重商主義

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イングランドの重商主義的財政家トーマス・グレシャム。「グレシャムの法則」で知られる。
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フランスの財政総監ジャン=バティスト・コルベール。コルベルティズムと呼ばれる重商主義諸政策を遂行した。

重商主義(じゅうしょうしゅぎ、マーカンティリズム(テンプレート:Lang-en-short))とは、貿易などを通じて貴金属や貨幣を蓄積することにより、国富を増大させることを目指す経済思想および経済政策の総称。

概要

16世紀半ばから18世紀にかけて西ヨーロッパで絶対君主制を標榜する諸国家がとった政策である。資本主義産業革命によって確立する以前、王権が絶対主義体制(常備軍・官僚制度)を維持するため、国富増大を目指して行われた。チャイルドオリバー・クロムウェルジャン=バティスト・コルベールらが代表者。

初期の重金主義と後期の貿易差額主義に分けることができる。いずれにも共通しているのは、「富とは(や、貨幣)であり、国力の増大とはそれらの蓄積である」と言う認識であった。植民地からの搾取、他国との植民地争い、保護貿易などを加熱させたが、植民地維持のコストの増大や、国内で政権と結びついた特権商人の増加などが問題となり、自由経済思想(現代では古典派経済学と呼ばれるもの)の発達を促すもとになった。

歴史的展開

大航海時代、アメリカ大陸やインド・東南アジアへの西欧の到達と直接交易の開始が貴金属や香辛料など稀少商品の価格革命をもたらし、商業革命のパトロン(援助者・免許者)としての王権に莫大な富をもたらした。

オランダ、イギリス、フランスの各東インド会社は植民地政策の重要な尖兵となっただけでなく、有限責任方式の開発など市民社会形成に重要な足跡を残し、のちの産業革命をもたらした。また、その是非を通じて経済政策や思想における活発な議論がなされるようになり、これが後にフランソワ・ケネーデイヴィッド・ヒュームアダム・スミスが登場する素地となった。

思想・体系

17-18世紀のイギリスで隣国の発展を脅威と捉える人々が現れ、重商主義という経済思想が形成された[1]。重商主義の主な考え方は、輸出はその国に貨幣をもたらすが輸入はもたらさないため、輸出は良いが輸入は良くないというものである[2]。重商主義の基礎には近代国家があり、それを支える感情は愛国心ナショナリズムである[3]。重商主義は自国と他国を比較し、国家間に敵対関係を想定するものであった[3]

後に重商主義にとってかわる経済政策・経済思想は学問的背景を保持しながら主張されていくが、重商主義は明確な学説・思想を背後にもっていたものではない[4]。当時のヨーロッパの王国が絶対主義を背景に、植民地との貿易を通じて国富を増大させる政策を採用したことが重商主義と称されたものであり、学問の裏づけ無しに政治・経済の現状が先走ったものである[5]

重金主義

重金主義(じゅうきんしゅぎ、テンプレート:Lang-en-short、ブリオニズム)とは、貴金属のみを国富として、その対外取引を規制し流出を防止し、同時に対外征服や略奪、鉱山開発を推し進め、国富たる貴金属を蓄積させようとする政策。重工主義、取引差額主義ともいう。16世紀のスペイン、ポルトガルの代表的な政策で、のちフランス王ルイ14世に仕えた財務総監コルベールがとった経済運営(コルベール主義)が有名である。

国家は、税制優遇・補助金などで輸出を奨励し、関税によって輸入を抑制することで貿易黒字を増やし貴金属の流入を促進させた[6]

東洋に向かったポルトガルは王室国家権力による独占貿易をはかりカサ・ダ・インディア(インド庁)を設立した。リスボン到着の香辛料はすべてインド庁の倉庫に納入され転売益が国王収入となった[7][8]。新大陸に向かったスペインにとっては交易の成立しない異文明との遭遇は掠奪と破壊の対象となった(スペインによるアメリカ大陸の植民地化参照)。

貿易差額主義

貿易差額主義(ぼうえきさがくしゅぎ)とは、輸出を進めて輸入を制限することにより国内産業を保護育成し、貨幣蓄積をはかる政策。重金主義が国家間での金塊等の争奪や私掠船(官許の民間掠奪船)の横行、相互の輸出規制合戦の様相を呈したのに対し、貿易の差額による国富(ここでは貴金属)の蓄積が主張された。

イギリス東インド会社の係官トーマス・マン19世紀の作家T・マンとは無関係)が主張、イギリス重商主義の中心的な政策となる。

主要な財政家・理論家

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W.ペティ / 彼の「政治算術」は重商主義経済学から古典派経済学への過渡期に位置づけられる

イギリス

  • キャラコ論争・対仏通商論争の参加者
    • J.ケアリ(? - 1720年頃) - 「キャラコ論争」(1670年代)で保護主義を主張。主著『イングランド交易論』(1695年)。
    • C.キング(18世紀前半) - コルベルティズムをめぐる「対仏通商論争」(18世紀前半)でウィッグ党の立場で保護主義を主張。主著『イギリス商人』(1721年)。
    • ダニエル・デフォー(1661年頃 - 1731年) - 対仏通商論争でトーリー党の立場で自由貿易を主張。主著『イギリス経済の構図』(1728年)。

フランス

アジア

日本においては江戸時代中期の政治家田沼意次がその先駆者として挙げられている。また18 - 19世紀に活躍した本多利明佐藤信淵帆足万里経世論のなかにも典型的な重商主義理論が見られる。また、五代十国時代の中国では、十国といわれる地方政権はいずれも鉄銭鉛銭の発行や輸出の促進などにより銀・を政府のもとに蓄積する政策を行った[10]

議論

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ある国にとって「貿易の黒字は利益で赤字は損失である」といった見方は重商主義的な誤解の典型である[11]。貿易の黒字・赤字は、他国に売った額と他国から買った額とを比べて、売った額>買った額なら黒字、売った額<買った額なら赤字と呼んでいるに過ぎず、利益や損失という概念には本質的に符合しない。

例えば、商店が顧客に商品を販売した場合、売る一方の商店は黒字で買う一方の顧客は赤字であるが、それを「商店が得をして顧客は損をした」と評論することには意味がない。まして、赤字を無くすべしとして顧客が売買をやめると、お互いに不利益となるだけである。それと同じく、貿易に関する政策においても貿易黒字の増減をもってして、その政策が望ましいか否かを判断することは誤りであり国民の不利益となる。

経済学者の若田部昌澄は「重商主義の『わかりやすさ』には、人間が人間であるがゆえにもつ各種のバイアスが寄与している」と指摘している[3]

アダム・スミスによる批判

重商主義は、18世紀には既にアダム・スミスによって間違いが指摘された考え方であり、『国富論』で繰り返し批判されている。

『国富論』によると人々が豊かになるのはあくまで輸入品を消費することによってであり、輸出によってではない。輸出は欲しいものを輸入するために必要な外貨の獲得のためのものであって、輸出それ自体が貿易の目的ではない。輸入業者が支払い請求に応じるのに必要な負担をまかなうために、輸出が必要となるにすぎない[12]。またこのことから、交易条件の改善によって、より少ない輸出でより多くの輸入が出来るようになることは国民を豊かにするが、自国通貨高は輸入価格と輸出価格の両方を変化させるので、より少ない輸出でより多くの輸入が出来るようになるわけではなく、そのためより多くの輸入品の購買や消費が可能になって国民が豊かになるわけでもないことがわかる。

たとえば、輸出によって得られる外貨は国内では決済完了性を持たない(使えない)。輸出業者が銀行に外貨を持ち込んで国内通貨と両替してもらえるのは、輸入や海外への投資のために外貨を必要とする人々がいるからである。しかし、輸入や海外への投資が禁じられているとすれば、輸出によって得られた外貨を必要とする人々はおらず、外貨の使い途は全くなくなる。使えもしない外貨と有用な製品とを交換することで国民が豊かになれるとは考えられない。

輸出で獲得した外貨を対外投資などで増大させ、投資による十分な外貨収入を確保した上で輸入制限を解禁するといった手段がよく採られていた。

経済学者竹中平蔵は「アダム・スミスは『国富論』の冒頭で、重商主義が言う貿易差額(黒字)で金銀を稼ぐことが富の源泉ではなく、労働こそが富の源泉であるという世の中の基本的な視点を明示的に示している」と指摘している[13]

またスミスは重商主義の背景にある愛国心について「愛国心は、他のあらゆる近隣国の繁栄・拡大を、悪意に満ちた妬み・羨望をもって眺めようとする気分にさせることが多い」と述べており、自分の身の回りの人々に愛を感じることは自然であり必要でもあるが、それが偏狭な国民的偏見をもたらす可能性を警戒していた[3]

肯定論

経済学者の根岸隆は、ジョン・メイナード・ケインズが著書『雇用・利子および貨幣の一般理論』にて重商主義を「復権と尊敬とに値する」と主張したとしている[14]。また根岸は、ケインズが重商主義者が需要不足の問題を直感的に理解していたと考えたとしている[14]

現代の重商主義

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重商主義は絶対王政の存在と植民地主義の下での経済思想であるため、現代ではこの二つの条件を満たしている国はほとんど存在しない[15]。しかし貿易によって利益を得る、輸出を増大させる重工主義などは重商主義以降も生き続けた[16]

過去の遺物のように考えられがちである重商主義が、今日でも貿易問題が論ぜられる際には重商主義的な誤解がしばしばなされる。現在では「国力=貴金属」とする重金主義思想がとられることはないが、貿易差額主義的な国家エゴ思考は経済学者以外の議論としてはよくみられる。

20世紀に入っても、輸出主導で経済成長を図ろうという政策は、さまざまな形で見られる。このような貿易政策は新重商主義あるいは単に重商主義と呼ばれている[17][18][19][20]

ジョーン・ロビンソン新重商主義を「各国政府は自国民の利益のために、国際経済活動における自国のシェアを拡大することが、価値ある、そして称賛さるべき目的であると感じる。これが新しい重商主義である」と定義している[18][21]ダニ・ロドリック(Dani Rodrik)は、現在における自由主義と重商主義の対立を語っているが[20]、ジョーン・ロビンソンは「自由主義の教義は、より巧妙な重商主義の形態にすぎないようにみえる。この新い重商主義は発展途上国にとって、残酷なまでに障害になっている」と指摘している[18][22]

根岸隆は、貿易黒字は外国への投資であり、自国の生産物への追加的な需要であるとしている[23]。また根岸は、貿易黒字による金の国内流入は、金本位制のもとでは国内への貨幣の供給を増加させるとしている[23]。根岸は、重商主義政策はケインズ政策、つまり有効需要確保の政策であったとしている[24]

貿易黒字とは、国内で生産されたが流出超過で、資本が流入超過である状態である。特に、金本位制が崩れた現代においては資本とは信用貨幣のことであるので、現代において貿易差額主義的な外貨獲得は、国家の貴金属保有量の増大に寄与せず、恒常的な貿易黒字は一方的な財の流出となるので注意が必要である。

完全自由貿易は「互恵貿易」ではなく「略奪貿易」になる危険性を秘めており、一方で近隣窮乏化政策で貿易黒字を拡大しようとする振る舞いは、その対立を先鋭化させて、世界貿易を縮小させる危険性が強いために、そのような振る舞いをする貿易黒字国は、貿易赤字国から「重商主義」として非難され、報復関税や報復通貨切り下げを招くことが経済学者以外にはよく理解されていないという理由もある。但し、貿易赤字国において、GATTで許可されている手段で、自国の貿易収支を改善しようとするのを「重商主義」と表現するのも誤用なので注意が必要である。

日本でも、より強い国際競争力を求めて、政府に対する政策要望が出され[25]、また政府の政策に取り入れられることが多い[26]

経済学者の野口旭は「重商主義こそが国際競争主義の元祖であったというべきである」と述べている[27]。若田部昌澄は「世間一般には重商主義はいまだに圧倒的な学説である」と述べている[28]

松原隆一郎は、このような新重商主義的政策を重商主義と断定するほか[29]塩沢由典も輸出に頼って経済成長を計る政策思想を「重商主義」と差異がないとしている[30]

経済学者の西川潤は「重商主義は、国内の過剰生産を解消するとともに、貿易による収入で資本蓄積し、経済を成長させる上で有効な政策体系であった。今日のアジア発展途上国と高度経済成長期の日本も、このような輸出主導型成長の道を歩んできた」と指摘している[31]

経済学者の松井彰彦は「人が自分だけが幸せになることができないように、国も自国だけが富み栄えることはできない。隣国が発展することで自国の財も売れる。自国も隣国の財を買うことでバランスをとらなければならない」と指摘している[1]

脚注

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文献情報

総論

関連項目

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  1. 1.0 1.1 日本経済新聞社編 『世界を変えた経済学の名著』 日本経済新聞社〈日経ビジネス人文庫〉、2013年、142頁。
  2. 伊藤元重 『はじめての経済学〈上〉』 日本経済新聞出版社〈日経文庫〉、2004年、29頁。
  3. 3.0 3.1 3.2 3.3 経済学史の窓から 第6回 ヒューム、スミスは行動経済学の先駆者か?書斎の窓
  4. 橘木俊詔 『朝日おとなの学びなおし 経済学 課題解明の経済学史』 朝日新聞出版、2012年、10-11頁。
  5. 橘木俊詔 『朝日おとなの学びなおし 経済学 課題解明の経済学史』 朝日新聞出版、2012年、11頁。
  6. 中矢俊博 『やさしい経済学史』 日本経済評論社、2012年、13頁。
  7. 胡椒は1キンダールあたり12ドゥカード、船賃4ドゥカードを加えた16ドゥカードでインド庁に納入された。インド庁はこれを32ドゥカードで転売した。
  8. 浅田實『東インド会社』講談社現代新書テンプレート:要ページ番号
  9. 小泉祐一郎 『図解経済学者バトルロワイヤル』 ナツメ社、2011年、170頁。
  10. 宮崎市定「五代宋初の通貨問題」(1943年)、「五代宋初の通貨問題梗概」(1950年)、いずれも宮崎市定全集第9巻(1992年)収録テンプレート:要ページ番号
  11. 野口旭 『グローバル経済を学ぶ』 筑摩書房〈ちくま新書〉、152頁。
  12. 『経済政策を売り歩く人々』, ポール・クルーグマン, 日本経済新聞社(1995), p301
  13. 竹中平蔵 『経済古典は役に立つ』 光文社〈光文社新書〉、2010年、45-46頁。
  14. 14.0 14.1 日本経済新聞社編 『やさしい経済学』 日本経済新聞社〈日経ビジネス人文庫〉、2001年、249頁。
  15. 橘木俊詔 『朝日おとなの学びなおし 経済学 課題解明の経済学史』 朝日新聞出版、2012年、14頁。
  16. 橘木俊詔 『朝日おとなの学びなおし 経済学 課題解明の経済学史』 朝日新聞出版、2012年、14-15頁。
  17. Edward Mead Earle 1925 The New Mercantilism, Political Science Quarterly, 40(4): 594-600.
  18. 18.0 18.1 18.2 J. Robinson 1966 The New Mercantilism, An Inaugural Lecture, New York: Cambridge University Press, in Collected Economic Papers, Vol. 4 (Oxford, Basil Blackwell).
  19. Johnson, H. G., 1974 Mercantilism: Past, Present and Future, The Manchester School, 42(1):1-91.
  20. 20.0 20.1 Danny Rodrik 2013 The New Mercantilist ChallengeBlog Project Syndicate 09 January 2013 http://www.project-syndicate.org/print/the-return-of-mercantilism-by-dani-rodrik
  21. 荒川弘1977『新重商主義の時代』岩波新書、旧黄版20、pp.60-61より引用。
  22. 荒川弘1977『新重商主義の時代』岩波新書、旧黄版20、p.164より引用。
  23. 23.0 23.1 日本経済新聞社編 『やさしい経済学』 日本経済新聞社〈日経ビジネス人文庫〉、2001年、250頁。
  24. 日本経済新聞社編 『やさしい経済学』 日本経済新聞社〈日経ビジネス人文庫〉、2001年、250-251頁。
  25. 経団連の「日本経済再生に向けた基盤整備」(2013年5月22日)では「国際的な事業環境の=フッティングを実現する基盤整備」と表現されている。https://www.keidanren.or.jp/policy/2013/050.html
  26. アベノミクス第3弾「日本再興戦略」(2013年6月14日)では、「立地競争力の更なる強化」「海外市場獲得のための戦略的取組」などと表現されている。http://www.kantei.go.jp/jp/singi/keizaisaisei/pdf/saikou_jpn.pdf
  27. 野口旭 『グローバル経済を学ぶ』 筑摩書房〈ちくま新書〉、2007年、63頁。
  28. 若田部昌澄・栗原裕一郎 『本当の経済の話をしよう』 筑摩書房〈ちくま新書〉、2012年、150頁。
  29. 松原隆一郎2011『日本経済論/「国際競争力」という幻想』NHK出版新書340、p.15.
  30. 塩沢由典2013『今よりマシな日本社会をどう作れるか』SURE、p.49.
  31. 日本経済新聞社編 『やさしい経済学』 日本経済新聞社〈日経ビジネス人文庫〉、2001年、109頁。