スタグフレーション

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スタグフレーション(stagflation)とは経済現象の一つである。stagnation(停滞)、inflation(インフレーション)の合成語で、経済活動の停滞(不況)と物価の持続的な上昇が共存する状態を指す。

解説

スタグフレーション(stagflation)という用語は、英国下院議員テンプレート:仮リンク1965年、議会での演説の中で発したのが始まりとされる[1][2][3]。スタグフレーションの状態とは、景気が悪化するとともにインフレーションが進行し停滞することを意味する。雇用や賃金が減少する中で、物価の下落ではなく物価の上昇が発生してしまい(通常、雇用や賃金が減少すると物価の下落が発生する)、収入が減るうえ貨幣や預貯金の実質価値まで低下するため生活が苦しくなる。

スタグフレーションにはいろいろな要因が指摘されている。通常は物価上昇(インフレーション)と景気拡大とは同時進行的であると理解されており、フィリップス曲線にみられる実証研究によりその有意性には一定の評価がある。なお、スタグフレーションが発生するのはフィリップス曲線が右上にシフトするためである。

スタグフレーションが起きる背景には、ケインズ的な有効需要管理政策があり、年金・社会保障などが巨額の財政支出を生み常にインフレ促進要因となっていることや、賃金が下がりにくい(賃金の下方硬直性)社会構造をつくり出してきたことなどがある[4]。そういった背景からアメリカやイギリスでは「小さな政府」を目指す動きとなっていった[4]

供給ショック

供給曲線の左シフトによって、取引量の減少と価格の上昇が引き起こされた状態。デマンド・プル・インフレーションのように総需要の高まりが価格を上昇させる場合と異なり、何らかの外的要因によって生産コストが増加し、それが販売価格に転嫁されるコストプッシュインフレーションの場合に起こりうる。需要が変わらない中で価格が上昇するため取引量も減少することになり、インフレと不景気の複合=スタグフレーションになる。あるいは、戦争や災害による生産設備の損傷や悪天候などといった、供給力能力の減少によって総需要に見合うだけの生産が出来ない場合にも、価格の上昇と取引量の減少が起きうる。

供給側の制約を十分に考慮せず、拡張的なマクロ経済政策を続ければやがてインフレとなり、それを引き締めようとすれば今度はスタグフレーションになる[5]

具体例として、1973-1974年の第1次オイルショック1979年の第2次オイルショックでは多くの先進国がスタグフレーションに悩まされたことがよく挙げられる[6]1980年代に入り石油価格がほぼ半値まで低下しスタグフレーションからの脱却は成功した。生産設備や生産工程の見直し、省エネルギー運動による供給力向上や原油価格の影響を受けにくい体制作りも脱却の一因である。

物価賃金スパイラル

労働運動などを要件に恒常的・定例的な賃上げが不況下で行われる場合[7]。あるいは賃金・価格統制が解除されることで賃金・物価がキャッチアップインフレを起こす場合[8]

景気拡大→労働不足→名目賃金の上昇→非正規雇用・労働時間の増加→労働供給量の増加→生産の拡大→緩やかな物価上昇を伴った経済の拡大といった循環を経て、労働者が実質賃金(名目賃金を物価で割り引いたもの)が下がったと判断しその結果、労働組合が将来のインフレ率を織り込み賃金の引上げを要求し、企業が賃上げを受け入れる[9]。このように名目賃金率とインフレ率が同時に同じ速さで上昇すると、実質賃金が上昇しなくなるため、労働供給量が減少し、統計的に失業率が上昇する[10]。こうして、失業率が上昇しているのにインフレ率も上昇しているというスタグフレーションが発生する[10]

景気後退と通貨価値下落の重合

通貨価値が下落するも不況から脱せない場合[11]。あるいは国債発行残高が大規模になり、もはや財政ファイナンス(マネタイゼーション 政府発行公債を中央銀行が引き受けること)を行わなければ財政が維持不能となることが懸念され、中央銀行が貨幣発行量の独立的コントロールを失って不況下であるにもかかわらずインフレが発生してしまう場合[12][13]

税制上の要因

累進課税下でのコストプッシュ・インフレは増税に機能する、また企業の減価償却費の実質価値を減価させる。この要因から消費・投資行動に抑制的バイアスが働く[14]

歴史

テンプレート:出典の明記

1970年代、アメリカ・日本でインフレ率が二桁台に上昇し、失業率・インフレ率も高まるという状況が生じた[15]

イギリス

1960年代末から1970年代におけるイギリスはインフレと失業が深刻であった[16]マーガレット・サッチャー首相はケインズ経済学を放棄し、市場経済を重視する新古典派経済学の政策である規制緩和民営化・競争促進・福祉削減を実行した(サッチャリズム[17]。サッチャーの改革は、イギリス経済を建て直した[18]

アメリカ

アメリカでは1979年の第2次オイルショックにより、スタグフレーションが深刻化した[19]。1980年代にはロナルド・レーガン大統領による減税・規制緩和を柱とした経済政策レーガノミクス」や当時のFRB議長であるポール・ボルカーによる強力な金融引き締め政策によってインフレは終息した[19]

日本

オイルショック

テンプレート:Main

1970年代前半の石油価格高騰では工業生産の停滞が起き石油の需要にはブレーキがかかったが、生産縮小から労働需要にもブレーキがかかり失業増大を招いた。一方、1970年代末、多くの先進諸国が第2次オイルショックでスタグフレーションに陥る中、日本の影響は軽微に留まり1980年代の好景気へ入っていった。これは産業の合理化や、第1次オイルショックでの過剰な調整により生産・雇用の余力があったことが原因と見られる。

なお、1980年代はその初頭にふたたび石油価格が上昇してスタグフレーションを招いたが、その後は逆に石油価格がほぼ半値まで下落し「物価安定と好景気」が先進国を活気付けた。

サブプライムローン問題

2008年サブプライムローン問題に端を発した米国不景気から資金が原油や穀物市場に流れて価格が高騰、その結果各種コスト高から物価が上昇した。日本銀行白川方明総裁は、同年5月27日に開かれた参議院財政金融委員会で日本がスタグフレーションに陥るおそれがあるとしたが、7月17日の会見ではスタグフレーションの発生を否定する認識を示した。その後、世界景気の急速な後退などを背景に原油・穀物価格は2008年後半から急速に下落、翌年にかけては内外の需要の落ち込みと輸出の急減で個人消費や消費者物価の下落が顕著となりデフレーションに陥った。

脚注

  1. Online Etymology Dictionary. Douglas Harper, Historian. http://dictionary.reference.com/browse/stagflation (accessed: May 05, 2007).
  2. British House of Commons' Official Report (also known as Hansard), 17 November 1965, page 1,165.
  3. Edward Nelson and Kalin Nikolov (2002), Bank of England Working Paper #155 (Introduction, page 9). (Note: Nelson and Nikolov also point out that the term 'stagflation' has sometimes been erroneously attributed to Paul Samuelson.)
  4. 4.0 4.1 神樹兵輔 『面白いほどよくわかる 最新経済のしくみ-マクロ経済からミクロ経済まで素朴な疑問を一発解消(学校で教えない教科書)』 日本文芸社、2008年、96頁。
  5. 野口旭・田中秀臣 『構造改革論の誤解』 東洋経済新報社、2001年、62-63頁。
  6. なお、第1次オイルショックにおける日本のインフレは、列島改造ブームや日銀による金融緩和姿勢など、需要面の影響からオイルショック前にインフレが昂進していた中でのことであったことに注意。オイルショックを参照。
  7. スタグフレーションについて 中谷武(神戸大学学術成果リポジトリ)[1]
  8. アメリカにおける大スタグフレーション 西村晃(同志社アメリカ研究)[2]
  9. 岩田規久男 『マクロ経済学を学ぶ』 筑摩書房〈ちくま新書〉、1996年、166頁。
  10. 10.0 10.1 岩田規久男 『マクロ経済学を学ぶ』 筑摩書房〈ちくま新書〉、1996年、167頁。
  11. 現代変動相場制分析 佗美光彦(経済学季報)[3]
  12. 変動相場制移行後、各国とりわけ70年代後半から80年代の米国でインフレと失業が同時に発生するスタグフレーションが発生したことをふまえ、合理的期待形成学派により中央銀行の政府(国庫)からの独立性が高められなければ、財政政策はインフレバイアスをもたらすだけであるとする議論がなされた。
  13. 財政赤字とインフレーションについてはIMES Discussion Paper Series 2000-3-6[4]参照。
  14. 現代におけるケインズ・マクロ経済学の再考 磯部智也(福祉社会研究)[5]
  15. 岩田規久男 『マクロ経済学を学ぶ』 筑摩書房〈ちくま新書〉、1996年、166頁。
  16. 橘木俊詔 『朝日おとなの学びなおし 経済学 課題解明の経済学史』 朝日新聞出版、2012年、186頁。
  17. 橘木俊詔 『朝日おとなの学びなおし 経済学 課題解明の経済学史』 朝日新聞出版、2012年、11頁。
  18. 橘木俊詔 『朝日おとなの学びなおし 経済学 課題解明の経済学史』 朝日新聞出版、2012年、189頁。
  19. 19.0 19.1 三菱総合研究所編 『最新キーワードでわかる!日本経済入門』 日本経済新聞社〈日経ビジネス人文庫〉、2008年、163頁。

関連項目

外部リンク