ボルドー

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テンプレート:Communefra ボルドー(Bordeaux)は、フランスの南西部に位置する都市で、アキテーヌ地域圏の首府、ジロンド県の県庁所在地である。

概要

ガロンヌ川河口に位置する港町で、湾曲部にそって三日月形に市街地が形成される港町である。月の港と呼ばれる。ボルドーワインの産地として世界的に有名。中心部から北側にかけては、都市計画による大通りがある。市の南側は18世紀に建設されたが、狭くてまがった通りのある古い一画である。

ジロンド県の県庁が置かれている地で、フランス革命期にはジロンド派の地盤であった。現在も、フランス南西部の中心的な都市である。 ボルドーの市街区域1810ヘクタールが世界遺産(2007年)に登録されている。18~19世紀の都市計画によって生まれた調和のある街並みと、近年のガロンヌ河岸の再開発が評価されたもの。登録名の「月の港」は、三日月型に蛇行するガロンヌ川を中心に発展したボルドーの通称。

地理

位置

ボルドーはフランス南西部の大西洋の近くに位置する。 直線距離でパリから498km、ポーから172km、トゥールーズから220km、ビアリッツから170km、サン・セバスティアンスペイン)から201km、アルカションから51kmの地点に位置する。

概論

街をガロンヌ川が横切っている。 外洋船舶が接岸可能な港があるが、その大多数はジロンド川下流の港、主にヴェルドン(Verdon)を利用する。 ボルドーにはガロンヌ川最下流の橋である、アキテーヌ橋(pont d'Aquitaine)がある。ガロンヌ川はその先で、フェリー以外では渡河不能のジロンド三角江に流れ込む。

都市圏は急速に発展し、特に西方で強度のスプロール現象をもたらした。この現象は、特に、ボルドー都市圏の住居が3階建てを越えることが殆どなく、その上、4階建ては市街地中心部に隣接した城郭外に存在するという事実と結びついている。

中心市街地においては、1960~1970年代に行われたメリアデック(Mériadeck)地区の改造作戦が、人と自動車の通行を切り離すことを狙って行われ、道路の上に歩行者用の歩道が建設された。 この事業の成果については論争がある。

2000年代初頭から、中心市街地再開発の現場のリズムの中で「眠った美女(la belle endormie)」が目を覚まし、路面電車の復活[1]以来、非常に大きく変化した。

隣接コミューン

地質と地形

ボルドー市街地の大部分が位置するガロンヌ川左岸は、ボルドー湖(Bordeaux-Lac)周辺のように多くの場合湿地である大平原を構成する。いくつかの丘があるにも関わらず、左岸の平均標高はとても低い。この草原は主に砂利(gravier)が堆積したものである。 都市圏西部はランド砂平野(plaine sableuse des Landes)上に一部重なる。そこでは土壌はやせ、水を透過し、熱を容易に貯蔵する。その土壌は完全にブドウ栽培に適合している。ボルドーの街は地質面で極めて類似するメドック(下流)とグラーヴ(上流)の間に位置する。

ガロンヌ川右岸は平原から石灰岩台地にかわるので、全く違う様相である。標高は崖で90m近く上昇する。この台地上には、世界で最も高いワインを産するサン=テミリオンポムロールフロンサックといった世界的ブドウ園が、ボルドーから約20kmにわたって存在する。

気候

アキテーヌの気候は海洋性であり、冬はとても穏やかで、夏は暑いボルドーの特徴に表れている。降水は頻繁にあり、年間820mmの降水量が多い年で年150日、一年を通じて降る。夏には降水は暑さによる雷雨によって頻繁になる。1883年7月、フランスで最も多くかつてない30分間降水量を記録した降雨が、ボルドーで観測された。

平均気温は1月の6.4°Cから8月の20.9°Cで、年間平均気温は13.3°Cである。ボルドーでは夏に15~20日程度、気温が摂氏30度を超える日がある。最高気温は2003年夏に観測され、摂氏41度に達した。その夏、気温が摂氏35度を超える日が過去最高の12日間続いた。 ボルドーはしばしば年間2000時間を越えて2200時間にも達する沿岸部の長い日照時間の恩恵を享受している。

ボルドーは1985年1987年の厳冬、そして1988年から1992年にかけての乾燥でも知られる。より最近では、2002年から2005年の深刻な乾燥で知られている。

ボルドーは1892年8月16日観測の41.9度の最高記録気温と、1985年1月16日観測の-16.4度の最低記録気温と言った記録を持ち、Cfb(西岸海洋性気候)の気候区分に属する。年平均気温は13.3度である。

テンプレート:Weather box

交通

道路

ボルドーは大西洋側の高速道路を含む道路交通の要所であり、パリおよび北ヨーロッパから、スペイン大西洋岸へ行くためには通らなければならない経路にある。街からパリへはオートルート A10を通じて、ペリグーリモージュブリーヴクレルモン=フェランへはオートルート A89を通じて、トゥールーズへはオートルート A62を通じて、モン=ド=マルサンポーへはオートルート A65を通じて、バイヨンヌやスペインへはオートルート A63を通じて、それぞれ結ばれている。

ボルドーは、一般にロカード(rocade)と呼ばれる環状道路(オートルート A630)を備えており、夏季、バカンス、通勤時間帯には頻繁に渋滞する。45kmに亘るボルドーのロカードは、フランスの環状道路として最長のものである。西側区間では片側2車線、東側区間では片側3車線となっている。西側区間においては、現在A63と10番出口の間において片側3車線化の再整備が行われており、長期的には全区間において片側3車線化が計画されている。約30の可変案内標識が、ドライバーに対して、都市圏内で問題が発生している箇所とは異なる経路や、交通障害や事故の発生が想定される箇所を避ける経路を案内している。また、料金所は一箇所も存在しない。最高速度は90km/h(2007年6月21日午前6時以降、それ以前は110km/h)、重量車両は80km/hである。

ボルドー大バイパスの研究が2003年より開始された。それは国際的な自動車交通を迂回させるためにA10とA63をブライとボルドー西部に位置するメドックを経由して結ぶまなければならなかった。料金所無しで、それは大西洋軸上の大型長距離トラックの交通を容易にする目的をもっていた。しかしながら、その目的で着想されなかったこの高速道路プロジェクトは、地域交通と都市近郊交通飽和状態のボルドーのロカードの交通量を緩和することはない[2]

プロジェクトは2007年3月の地方裁判所決定により無効とされ、プロジェクトがその発案者によって再提出された場合には完全な公開討論の手続がとられる必要がある。この可能性において、また増大するこの種の貨物交通を優遇する解決策への拒絶の前に、今回、ボルドー都市圏は、ロカードの全線片道三車線化の仮定の後であっても、交通全体を熟考する構造をつくることは出来ないであろう。


中心市街地はブールバールによって囲まれている。

ガロンヌ川渡河

ガロンヌ川には長い間、橋が架かっておらず、ボルドーの市民は、敵に対する自然の防御とみなしていた。

初の架橋となった1821年のピエール橋(pont de pierre)建設以降、都市開発は最重要課題の一つとなった。1860年のエッフェル橋(fr:passerelle Eiffel)以降、1965年に3番目の橋となるサン=ジャン橋が架かるまでは1世紀以上待たねばならなかった。また、続いて1967年にはロルモン(fr:Lormont)とを結ぶアキテーヌ橋(fr:pont d'Aquitaine)が開通した。1993年にはボルドーのロカードを結ぶためにフランソワ・ミッテラン橋(pont François Mitterrand)が開業した[3]。2008年には新しい鉄道橋が老朽化したエッフェル橋に取って代わった。しかし、エッフェル橋はその建築上及び歴史上の価値から保存されることとなった[4]

近い将来、2つの新しい橋が計画されている、2009年に着工し2012年開通に向けて建設されているバカラン=バスティド橋(fr:pont Bacalan-Bastide)などである。

鉄道

ファイル:Bordeaux passerelle Eiffel.jpg
1900年頃のエッフェル橋

ボルドーにおける鉄道は1841年に、ボルドー - ラ・テスト鉄道によってラ・テスト (fr:La Teste)との間で開業したのが始まりである。ボルドー最初の駅(ボルドー=セギュール駅)はこの時開業した。この駅は兵舎によって移転させられ、現在のペサック通りに面して位置していた。

1852年パリ・オルレアン鉄道はボルドーとパリを結ぶことを可能にする、ボルドーとアングレームを結ぶ路線を開通させた。このとき、列車は右岸に開かれたボルドー=オルレアン(Bordeaux-Orléans)駅(ボルドー=バスティード(Bordeaux-Bastide)駅)を発車していた。1853年、ボルドー - ラ・テスト鉄道はミディ鉄道(Compagnie des chemins de fer du Midi)に統合される。1855年にはボルドー=セギュール駅は廃止され、ボルドー=サン=ジャン駅に取って代わられた。このとき、2つの異なる鉄道会社に所属する異なる2つの主要駅を発着する2つの路線網が存在した。この状態は、ガロンヌ川を渡ることの出来る鉄道橋が存在しなかったという事実から説明された。パリを旅立ちアキテーヌ南部へ赴こうとする旅客は、ボルドー=オルレアン駅で列車を降り、ガロンヌ川を渡り、サン=ジャン駅で再び列車に乗らなければならなかった。この2つの駅を連絡する架け橋が、1860年ギュスターヴ・エッフェルとポール・レニョール(Paul Régnauld)によって建設された。しかしながら、オルレアン駅はクレルモン=フェランリヨン、パリへ向かうパリ=オルレアン鉄道の起終点として残された。1898年、より多くの旅客を迎えるため、現在のサン=ジャン駅が建設された。そのころオルレアン駅は、徐々にその価値を失い、1934年の2会社の合併(パリ=オルレアン・ミディ)と1938年フランス国鉄(SNCF)設立はサン=ジャン駅のために、オルレアン駅の決定的な終焉を告げた。廃止されてから長い間、幾度もの計画中止とノワール・デジール (fr:Noir Désir)のコンサートの後、オルレアン駅の建物は映画館へと転用された。


現代においてボルドーは、パリとスペインの間における鉄道の要所となっている。ボルドーの中心駅(ボルドー=サン=ジャン駅)には多数のTGVが発着している。実際にボルドーはモンパルナス駅、トゥールーズ、イルンダクスアンダイエポーとTGVで結ばれ、コライユTER、「ヴェンタドゥール」(Ventadour)によって、ナントペリグーモン=ド=マルサンリモージュリヨンクレルモン=フェランとも結ばれている。

また、ボルドーには他にTERが停車する次の2つの駅も存在している:

また、ボルドーにはもう一つの駅であるボルドー=ブノージュ(Bordeaux-Benauge)駅も存在していたが、路線改修(サン=ジャン駅からスノン(Cenon)分岐点までの区間を2線から4線化)に伴い近年解体された。このことはトラムA線が直接乗り入れるスノン駅(fr:gare de Cenon)の再開をもたらし、TERとトラムの連絡が図られた。

ボルドーの鉄道網は飽和状態に近づいており、ボルドーの鉄道は確実に線路容量不足に陥っていた。2線のエッフェル鉄道橋(2008年に148年目を迎えた)から10m離れない場所で建設され、4線を備えたふたつめのガロンヌ川鉄道橋は、現在、線路容量不足を乗り越え、TGV高速新線のボルドー到達に向けて準備されている[5]。2008年5月にはこの4線のうち2線の供用が開始された。

航空

ボルドー空港(ボルドー中心部から約10km離れたメリニャックに位置する)はフランスで5番目の地方空港である(2010年には370万人の旅客利用があった)。毎日140便以上がボルドーと世界60都市を結んでいる。
空港には、ロカード11b出口からアクセス出来、公共交通によってもアクセスできる(直行シャトルバスJet'Busもしくはバス1系統)。

市内公共交通

ボルドーとその都市圏(ボルドー都市共同体(CUB))は重要な公共交通路線網を保持している。Tram et Bus de la CUB(CUBのトラムとバス)の略称であるTBCの名称の下、運営されている。その事業は公共サービス委託契約によって、ケオリ・グループの企業であるケオリ・ボルドー(Keolis Bordeaux)により経営されている。TBCは2004年7月3日に、トラムB線の開業に伴う路線再編後の2004年7月3日にCGFTE(フランス語版)を置き換えた。

TBCの路線網は次の通り:

  • トラム3路線(A線、B線、C線)
  • ボルドー及びその都市圏における定期路線バス65路線
  • Flexoサービス
  • Resagoサービス

路線網はボルドー都市共同体内の27コミューン(基礎自治体)において、午前5時から翌午前1時まで運行している。

ボルドーでは2003年12月21日開業のA線を皮切りにトラムが運行されている。このトラムは歴史地区に架線を張らずに済む、地表集電方式(APS)を採用していることを特徴としている。市長とCUBはVAL方式軽量自動地下鉄計画の破棄後、トラム導入を決定した。ボルドーのメトロ建設は1986年に発表されたが、都市負担のコストが3億フランとの調査はこの方式の交通機関がボルドーに適合していなかったことを明らかにし、建設費が著しく高いことを明かした。その額は計画された15.7kmと6.3kmの2路線のみで70億フラン近いものであった。アラン・ジュペは社会主義者の野党支持者とともにトラム計画を決定することにより、メトロ計画を終わらせた。

A線は2003年12月21日に、ジャック・シラクと市長であったアラン・ジュペの臨席の下、メリアデック(Mériadeck)とロルモン(fr:Lormont)及びスノン(Cenon)の間で開通した。APSの故障に起因する多数の技術的問題は2004年春に予定されていたB線及びC線の開業の遅れをもたらした。最終的にC線は2004年4月24日にカンコンス(Quinconces)とサン=ジャン駅(gare Saint-Jean)の間で開業した。B線は同年5月15日にカンコンスとサン=ニコラ(Saint-Nicolas)間、2.2kmの区間で部分的に開業した。キャンパス及びペサック方面の残りの区間はTBCが他のトラムを再編した同年7月3日まで開業しなかった。2007年のはじめより、トラムの3路線は末端部が数kmずつ定期的に延長されている。2008年末まで第二段階は完了しなかった。現在、第三段階のトラム整備へと向けて、開業済三路線の末端部延伸と現在トラムの路線網から外れている都市圏北西部(特に、コデランとル・ブスカ(Le Bouscat))への4番目の路線建設について、議論と研究が開始されている。


自転車

自動車無しの日「ボルドーの日曜日(« Dimanche à Bordeaux »)」が毎月第一日曜日に中心部で展開されている[6]

2001年6月、ボルト―市長は4500台以上の自転車を無償で配置した[7]

レンタサイクルシステムは2010年2月20日よりボルドー都市共同体により運営されている。VCUBは合計1545台の自転車がボルドー市内において300m間隔で配置されている99箇所を含めた、合計139箇所のステーションに配置されている。

歴史

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マネ作「ボルドーの港」(1871年)

ボルドーの町は紀元前300年ケルト系ガリア人によって創設され、ブルティガラと呼ばれた。紀元前1世紀にはローマに占領されて主要な交易港となり、ワイン生産が盛んで商業地としてさかえた。4世紀には、アクイタニア・セクンダ属州の州都となり、大司教座がおかれた。5世紀にローマ帝国が崩壊した後にゲルマン民族の一派であるゴート人に支配され、10世紀にはノルマン人ヴァイキングの侵略を受けた。732年にはイベリア半島から来たアブド・アル・ラフマーンのイスラム軍に占領されている。1154年、アキテーヌ女公エリアノールがやがてイングランド王となるヘンリー2世と結婚したため、12世紀から15世紀にかけてイングランドの支配下に入った。だが、イングランド軍はフランス軍との戦いに敗れ、百年戦争末期の1453年に撤退し、フランスに奪回された。イングランドの支配下である程度の自治を享受していたため、1548年から1675年にかけてボルドーはフランスの支配に対して反逆した。ボルドーは18世紀西インド諸島との貿易で黄金時代を迎える。フランス革命時には、穏健共和派であるジロンド派の本拠地であった。ジャコバン派による恐怖政治の時代には、ボルドーのジロンド派に対して報復が何度もなされた。1871年、普仏戦争が敗勢に陥る中、ボルドーで国民議会が開催され、ボルドーにフランス政府が置かれた。この時に、ティエールが行政長官に選ばれた。1880年ごろから、ブドウのべと病を防ぐボルドー液が使われ始めた。

第一次世界大戦中にも、ドイツ軍がパリ近郊まで迫ったため、フランス政府がトゥールを経てボルドーに遷された。第二次世界大戦でも1940年6月にパリ陥落を前に一時期政府が置かれたが、間もなくドイツ軍に占領され、政府はヴィシーに遷る。その後もドイツの占領下に置かれたが、1945年4月、連合軍の手によって解放された。当時、レジスタンス運動の指導者だったジャック・シャバン・デルマスが戦後の1947年から1995年まで長期にわたってボルドー市長を務めた。ボルドー市長の座は1995年から2004年までアラン・ジュペが占め、その後、ユグー・マルタンとなっている。

観光

3ヶ所がフランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路のモニュメントとして1998年に世界遺産に登録されている。

  • サン・タンドレ大聖堂
  • サン・スラン大寺院
  • サン・ミッシェル大寺院

また、市内の歴史地区が「月の港ボルドー」の名で、2007年に世界遺産に登録された。

教育

1441年に開学したボルドー大学を始め、グラン・ゼコールなどの高等教育機関が多く、町全体の学生数は7万人で、ヨーロッパ最大の学生町となっている。

スポーツ

FCジロンダン・ボルドーが地元住民の人気を集めている。

姉妹都市・提携都市

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出身有名人

出典

  1. Une renaissance urbaine et économique
  2. voir rapport CNDP 2003 p.37
  3. Les ponts de Bordeaux
  4. Bordeaux : un tour de ville en 101 monuments, Édition Le Festin, juillet 2008.
  5. Site internet officiel consacré à ce sujet et administré par RFF
  6. Bordeaux>Cadre de vie >Circuler, stationner >En véhicule particulier >Restrictions de circulation
  7. Voir le site de la mairie

関連項目

外部リンク

テンプレート:Commons&cat

公式
メディア
観光