バブルガムフェロー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

テンプレート:Infobox バブルガムフェローとは日本競走馬である。おもな勝ち鞍は朝日杯3歳ステークス天皇賞(秋)。1995年JRA賞最優秀3歳牡馬。引退後は種牡馬となっていた。名前の由来は「風船ガムを噛む奴」を英訳したもの。

戦績

馬齢は旧表記(数え年

3歳

美浦藤沢和雄厩舎に入厩したバブルガムフェローは1995年10月、東京でデビューした。デビュー戦こそ3着に敗れたが、2戦目であっさりと勝ち上がった。その後、府中3歳ステークス(当時オープン特別)も勝ったバブルガムフェローは朝日杯3歳ステークスに挑んだ。

この朝日杯で1番人気に推されたバブルガムフェローは、最後の直線で先に抜け出したエイシンガイモンを捕らえて優勝、3連勝でGI初制覇を果たした。この朝日杯の勝利が決め手となり、バブルガムフェローはこの年、JRA賞最優秀3歳牡馬(旧称。現在のJRA賞最優秀2歳牡馬)に選ばれている。

4歳

1996年クラシックの主役として、ダンスインザダークとともに期待されていたバブルガムフェローは初戦の皐月賞トライアルスプリングステークスで1番人気に応えて快勝した。しかし、皐月賞の1週前に右後脚を骨折してしまい、春のクラシックである皐月賞と日本ダービーを断念することとなった。

骨折は全治6ヶ月と診断されていたが、予想以上に回復が早く、バブルガムフェローは夏に帰厩し、秋に備えた。秋になると、バブルガムフェローは距離適性を考慮して菊花賞ではなく、秋の天皇賞を目指すことになり、天皇賞の前哨戦にあたる毎日王冠で復帰した。毎日王冠で古馬相手に3着と善戦したバブルガムフェローは、秋の天皇賞でマヤノトップガンサクラローレルマーベラスサンデーの3強に挑むことになった。

しかし、主戦の岡部幸雄ブリーダーズカップ・クラシックに出走するタイキブリザードに騎乗するためにカナダへ遠征することになり、騎乗できなくなった。そのため、この秋の天皇賞では蛯名正義が騎乗することになった。

レースでは、バブルガムフェローは4コーナー3番手から直線鋭く伸び、追ってきた3強を抑えて優勝した。秋の天皇賞を4歳(現在の3歳)馬として制したのは、JRAでは史上初の快挙だった。また、鞍上の蛯名もこの天皇賞での勝利がJRAでのGI初勝利であった。

天皇賞後、バブルガムフェローは鞍上を岡部に戻して、ジャパンカップに出走したが、走る気を全く起こさずに13着と大敗し、この年を終えている。このジャパンカップ時の関係者の落胆ぶりは相当なもので、騎乗した岡部は「壊れた(故障した)のではないですか?」という記者の質問に対し、「壊れたのは、馬の頭だよ」と述べている。

5歳

1997年、休養から帰ってきたバブルガムフェローは鳴尾記念を快勝し、宝塚記念に出走した。宝塚記念では岡部がタイキブリザードに騎乗するため、鞍上は蛯名に戻っている。レースでは、ゴール前でマーベラスサンデーに豪快に差し切られ、2着に敗れた。

秋に入り、鞍上を岡部に戻して、毎日王冠を快勝したバブルガムフェローは連覇を狙って、秋の天皇賞に出走した。対抗馬と目されていたサクラローレルマヤノトップガンは故障で既に引退、マーベラスサンデーも骨折で休養中、バブルガムフェローと同い年のロイヤルタッチは故障明け初戦、ジェニュインは既に前走で破っていることから、秋の天皇賞連覇は濃厚と見られていたバブルガムフェローは1.5倍の断然の1番人気に推された。

しかし、レースでは、エアグルーヴとの壮絶な叩きあいの末にクビ差競り負けて、2着に敗れた。鞍上の岡部はレース後に「馬が前を行く(大逃げした)サイレンススズカを早めに捕まえようとしてしまった」と嘆いた。

天皇賞後、バブルガムフェローはジャパンカップに出走したが、ピルサドスキー、エアグルーヴに及ばず3着に終わった。このジャパンカップを最後にバブルガムフェローは現役を引退し、種牡馬入りした。

競走成績

年月日 競馬場 競走名


オッズ
(人気)
着順 騎手 斤量 距離(馬場) タイム
(上り3F
着差 勝ち馬/(2着馬)
1995. 10. 7 東京 3歳新馬 12 1 1 1.3(1人) 3着 岡部幸雄 53 芝1800m(良) 1.53.7(34.3) 0.0 アービルサンゴッド
10. 29 東京 3歳新馬 9 1 1 1.2(1人) テンプレート:Color 岡部幸雄 53 芝1800m(良) 1.49.3(36.8) -0.2 (トーシンアトラス)
11. 19 東京 府中3歳S OP 12 6 7 3.4(2人) テンプレート:Color 岡部幸雄 54 芝1800m(良) 1.50.0(35.0) -0.2 サクラスピードオー
12. 10 中山 朝日杯3歳S テンプレート:Color 12 4 4 2.6(1人) テンプレート:Color 岡部幸雄 54 芝1600m(良) 1.34.2(35.7) -0.1 エイシンガイモン
1996. 3. 24 中山 スプリングS テンプレート:Color 13 2 2 1.5(1人) テンプレート:Color 岡部幸雄 56 芝1800m(良) 1.50.1(35.7) -0.1 チアズサイレンス
10. 6 東京 毎日王冠 テンプレート:Color 12 6 8 5.0(2人) 3着 岡部幸雄 56 芝1800m(良) 1.46.0(34.9) 0.2 アヌスミラビリス
10. 27 東京 天皇賞(秋) テンプレート:Color 17 2 4 7.2(3人) テンプレート:Color 蛯名正義 56 芝2000m(良) 1.58.7(34.5) -0.1 マヤノトップガン
11. 24 東京 ジャパンC テンプレート:Color 15 3 6 3.7(2人) 13着 岡部幸雄 55 芝2400m(良) 2.26.8(38.8) 3.0 シングスピール
1997. 6. 15 阪神 鳴尾記念 テンプレート:Color 15 6 10 3.3(2人) テンプレート:Color 岡部幸雄 59 芝2000m(良) 2.01.4(35.6) -0.3 トウカイタロー
7. 6 阪神 宝塚記念 テンプレート:Color 12 5 6 3.5(3人) 2着 蛯名正義 58 芝2200m(良) 2.11.9(36.6) 0.0 マーベラスサンデー
10. 5 東京 毎日王冠 テンプレート:Color 9 6 6 2.0(1人) テンプレート:Color 岡部幸雄 59 芝1800m(良) 1.46.1(35.0) -0.1 ツクバシンフォニー
10. 26 東京 天皇賞(秋) テンプレート:Color 16 4 7 1.5(1人) 2着 岡部幸雄 58 芝2000m(良) 1.59.0(35.1) 0.0 エアグルーヴ
11. 23 東京 ジャパンC テンプレート:Color 14 8 13 3.7(1人) 3着 岡部幸雄 57 芝2400m(良) 2.26.0(34.9) 0.2 ピルサドスキー

種牡馬時代

引退後は2003年までは社台スタリオンステーションにて繋養され、2004年からはブリーダーズ・スタリオン・ステーションにて繋養されていた。 産駒傾向としては、パワータイプの中距離馬が多く、ダートで高い適性を示す馬が多い。また、オーストラリアにもシャトル種牡馬として行っており、重賞馬も複数輩出している。

1999年から2005年までは日本国内だけでも毎年150頭以上の繁殖牝馬を集めたが、リーディングサイアーランキングでは最高9位(2004年)に留まり、やや期待外れの種牡馬成績となっている。

2010年4月26日午後8時40分、供用先の北海道沙流郡日高町ブリーダーズ・スタリオン・ステーション肺炎のため死亡した。

主な産駒

血統表

バブルガムフェロー血統サンデーサイレンス系ヘイルトゥリーズン系)/Almahmoud 4×5=9.38%

*サンデーサイレンス
Sunday Silence 1986
青鹿毛 アメリカ
Halo
1969 黒鹿毛
Hail to Reason Turn-to
Nothirdchance
Cosmah Cosmic Bomb
Almahmoud
Wishing Well
1975 鹿毛
Understanding Promised Land
Pretty Ways
Mountain Flower Montparnasse
Edelweiss

*バブルカンパニー
Bubble Company
1977 栗毛
Lyphard
1969 鹿毛
Northern Dancer Nearctic
Natalma
Goofed Court Martial
Barra
Prodice
1969 栗毛
Prominer Beau Sabreur
Snob Hill
Euridice Tabriz
Euroclydon F-No.1-b
主な近親

外部リンク

テンプレート:JRA賞最優秀2歳牡馬 テンプレート:朝日杯フューチュリティステークス勝ち馬 テンプレート:天皇賞(秋)勝ち馬