軽井沢町
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テンプレート:Infobox 軽井沢町(かるいざわまち)は、長野県東部の町。北佐久郡に属する。「かるいさわ」と言われることもある。
目次
概要
避暑地、別荘地として非常に有名である。西武グループの手による観光開発が行われ、首都圏や中京圏などから多くの観光客が訪れる地域である。2005年には、約780万人の観光客が訪れている。
日本において財務状況が優良な地方自治体であり、地方交付税不交付自治体でもある。
1964年の東京オリンピックでは馬術、1998年の長野オリンピックではカーリングの競技会場にもなり、世界で唯一、夏季・冬季両方のオリンピック競技会場とされた町である。
人口
地理
- 最高地点 2,568 m(浅間山山頂)
- 最低地点 798.7 m
- 軽井沢駅は標高約940m。
気候
ケッペンの気候区分において、亜寒帯湿潤気候となっている。また、標高約1000 m前後と高地にあるため、冬の寒さは厳しく夏は涼しいという、典型的な高原型避暑地の気候である。冬季は気温が零下15 ℃以下になる。
- 気温 - 最高34.2℃(1946年(昭和21年)7月16日)、最低-21.0℃(1936年(昭和11年)3月1日)
- 最大降水量 - 318.8ミリ(1949年(年)8月31日)
- 最大瞬間風速 - 36.3メートル(1959年(昭和34年)8月14日)
- 最深積雪 - 99センチ(2014年(平成26年)2月15日)
- 夏日最多日数 - 85日(2010年(平成22年))
- 真夏日最多日数 - 22日(1995年(平成7年))
- 酷暑日最多日数 - 0日(1955年~2012年)
- 熱帯夜最多日数 - 10日(2002年(平成14年))
- 冬日最多日数 - 180日(1943年(昭和18年)寒候年)
隣接する自治体
歴史
- 縄文時代中期から後期 - 当町の南部に、北方文化形式の最南端の遺跡が所在[1]。
- 鎌倉時代 - 長倉牧が置かれる[1]。
- 1596年-1615年(慶長年間) - 中山道が整備され、これ以降、浅間三宿(軽井沢宿・沓掛宿・追分宿)が栄える[1]。
- 江戸時代 - 小諸藩領となる[1]。
- 1622年(元和8年) - 徳川忠長領となる[1]。
- 1624年(寛永元年) - 小諸藩領へ戻る[1]。
- 1662年(寛文2年) - 甲府藩領となる[1]。
- 1682年(天和2年) - 坂木藩領となる[1]。
- 1688年-1704年(元禄年間) - 幕府領となる[1]。
- 1783年8月5日(天明3年7月8日) - 浅間山が天明の大噴火を起こす。
- 1884年5月 - 碓氷新道が竣工[1]。
- 1885年 - 横川-軽井沢間に馬車が通る[1]。
- 1886年 - カナダ人の宣教師アレクサンダー・クロフト・ショーと東京帝国大学英文科講師ディクソンが軽井沢を避暑地として紹介[1]。
- 1888年9月5日 - 横川-軽井沢間で碓氷馬車鉄道が営業開始。
- 1889年12月1日 - 軽井沢駅開業[1]。
- 1893年 - 八田裕次郎(海軍大佐)が日本人として初めて別荘を建てる[1]。
- 1894年 - 亀屋ホテル(後の万平ホテル)創業。
- 1906年 - 三笠ホテルが開業。
- 1912年 - 半田善四郎が土地分譲・別荘分譲を始める[1]。
- 1916年 - 野沢源次郎[2]が土地分譲・別荘分譲を始め、島田三郎らにより軽井沢避暑団が設立される[1]。
- 1918年 - 堤康次郎が沓掛区有林を買収し、千ヶ滝一帯に別荘地を形成[1]。
- 1920年 - 堤康次郎が鬼押出しを買収する[1]。
- 1941年ころ - 外国人の強制疎開、各国大使館・民間人・学童疎開などで人口が急増[1]。
- 1945年 - ホテルやゴルフ場が米軍へ接収される[1]。
- 1947年 - 満州からの大日向開拓団が借宿の国有林に入植[1]。避暑客のための臨時列車が運行開始[1]。
- 1951年 - 国際親善文化観光都市指定。
- 1956年 - 軽井沢スケートセンター営業開始[1]。
- 1963年 - 世界オールラウンドスピードスケート選手権大会開催[1]。
- 1964年 - 東京オリンピック開催(総合馬術)
- 1971年11月11日 - 碓氷バイパス開通。
- 1972年2月19日 - 28日 - あさま山荘事件
- 1997年10月1日 - 長野新幹線開業
- 1998年 - 長野オリンピック開催(カーリング)
- 2004年 - 浅間山噴火
行政区域の変遷
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、軽井沢村・峠町および長倉村の一部(沓掛・塩沢新田・借宿)の区域をもって東長倉村が発足。
- 1923年(大正12年)8月1日 - 東長倉村が町制施行・改称して軽井沢町となる。村制時の3大字を継承[1]。
- 1942年(昭和17年)5月8日 - 西長倉村を編入。同村大字長倉を当町大字長倉に編入。他に2大字を加えて5大字となる[1]。
- 1957年(昭和32年)2月1日 - 御代田町の一部(茂沢の一部)を編入[3]。大字茂沢が起立して6大字となる[1]。
- 1959年(昭和34年)4月1日 - 追分の一部(西鰍沢)が御代田町に編入[4]。
- 1960年 - 中軽井沢地区が起立[1]。
- 1971年 - 区画整理事業により、大字軽井沢の一部より軽井沢地区が起立[1]。
- 1973年 - 区画整理事業により、大字軽井沢の一部より軽井沢東地区が起立し、6大字・3地区となる[1]。
行政
姉妹都市
- テンプレート:Flagicon カンポス・ド・ジョルドン市(ブラジル・サンパウロ州)1968年6月締結
- テンプレート:Flagicon ウィスラー市(カナダ・ブリティッシュコロンビア州)1999年3月3日締結
- テンプレート:Flagiconバギオ市(フィリピン・ベンゲット州)2005年締結
教育
- 長野県軽井沢高等学校
- 軽井沢町立軽井沢中学校
- 軽井沢町立軽井沢東部小学校
- 軽井沢町立軽井沢中部小学校
- 軽井沢町立軽井沢西部小学校
- 軽井沢西保育園
- 軽井沢中保育園
- 軽井沢東保育園
- 軽井沢南保育園
- 聖ヨゼフ保育園
- 聖パウロ幼稚園
産業
企業の保養施設
ほか多数
交通
鉄道
堤康次郎の存命中には西武秩父線の軽井沢駅延伸の計画も存在していた。
道路
- 国道18号
- 国道146号(日本ロマンチック街道)
- 県道43号下仁田軽井沢線(プリンス通り)
- 県道80号小諸軽井沢線(浅間サンライン)
- 県道92号松井田軽井沢線
- 県道133号旧軽井沢軽井沢停車場線
- 県道137号借宿小諸線
- 県道157号豊昇茂沢中軽井沢停車場線
- 浅間-白根火山ルート鬼押ハイウェー(有料道路)
- 白糸ハイランドウェイ
- 妙義荒船林道
バス
名所・旧跡・観光スポット
名所・旧跡
- 旧軽井沢メインストリート(旧軽井沢銀座)
- 旧三笠ホテル
- 追分宿
- 幸福の谷
景勝地
登山
老舗ホテル・旅館
コンサートホール
教会
公園
美術館・博物館
- 追分宿郷土館
- 中山道69次資料館
- 堀辰雄文学記念館
- セゾン現代美術館
- ル・ヴァン美術館
- 軽井沢タリアセン - 軽井沢高原文庫、ペイネ美術館、深沢紅子野の花美術館
- ムーゼの森 - 軽井沢絵本の森美術館、エルツおもちゃ博物館
- 小さな美術館軽井沢草花館
ショッピング
- 旧軽井沢メインストリート
- 軽井沢プリンスショッピングプラザ
- ツルヤ軽井沢店(スーパー)
- マツヤ軽井沢店(スーパー)
温泉
その他
行事
- しなの追分馬子唄道中(7月最終日曜日)
- 軽井沢八月祭(8月下旬)
- 軽井沢紅葉まつり(10月1日-11月3日)
- 軽井沢ウィンターフェスティバル(11月下旬-1月下旬)
- 軽井沢ラブソング・アウォード(2月中旬)
区
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ゆかりの著名人
在住の有名人
出身者
文芸作品
- 風立ちぬ 、菜穂子、聖家族 他 / 堀辰雄
- 杏っ子 他/ 室生犀星
- 熱い絹 / 松本清張
- 軽井沢シンドローム /(漫画) たがみよしひさ
- 軽井沢誘拐案内 /(TVゲーム)堀井雄二:シナリオ
- 軽井沢殺人事件 / 内田康夫
- 追分殺人事件 / 内田康夫
- 恋 / 小池真理子
- 日美子の軽井沢幽霊邸の謎 / 斎藤栄
- 軽井沢夫人 / 嵯峨島昭
- 殺意の軽井沢・冬 / 皆川博子
- 軽井沢マジック / 二階堂黎人
- 避暑地の猫/ 宮本輝
脚注
関連項目
外部リンク
観光
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