ニセコ町

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テンプレート:Mboxテンプレート:Infobox ニセコ町(ニセコちょう)は、北海道後志総合振興局管内、虻田郡にある町。

概要

スキー場を中心とする観光を主要な産業とする。隣町の倶知安町にまたがる地域と合わせてスキーリゾートを構成している。世界でも有数のパウダースノーに人気が集まり、2000年代以降オーストラリアからのスキー客が増加しており、同国からの投資が盛んになっている。さらに、韓国中国台湾香港シンガポールをはじめとするアジア諸国からの観光客も増加している。 冬だけでなく夏の観光産業も活発になっており、夏場にはラフティングカヌートレッキングなどのアウトドアスポーツも人気がある。 町の人口も70年代は減少傾向であったが近年は道内の町としては珍しく微増傾向にある。

地理

隣接している自治体

※虻田郡京極町喜茂別町とは羊蹄山の山頂一点で接している。

歴史

地名の由来

現在、ニセコ町と真狩村との境界になっている真狩別川は、上流でも蛇行が多い。その地勢にちなみ、アイヌ語で「マク・カリ・ベツ」(奥のほうで曲がる川)と呼ばれ、それが真狩(まっかり)村の地名由来となった。その真狩村から分離した現在のニセコ町は、最初は真狩別川と尻別川との合流点を示す「マク・カリ・ベツ・プトゥ」(マッカリベツ川の川口)に当て字をした「真狩別太」を略した「狩太」の名で呼ばれていた。

 昭和38年に当地の地名である国鉄の駅名の「狩太駅」を「ニセコ駅」に改名する要請を当時の国鉄に行なったが、「町名を改正しない限り駅名改正は認めない」との国鉄の方針を受け、町名を改正することとなった。昭和39年町名を「狩太町」から「ニセコ町」に改名。町名改正の翌年、駅名の変更が認められた。

行政

1994年平成6年)の町長選において、ニセコ町職員だった逢坂誠二が、前職の渡辺冨雄を僅差で破って初当選した。

逢坂は在任中、町の行政改革として、「情報共有によるまちづくり」を掲げ、縦割り主義からの刷新を図り、役場が何をしているか住民はもとより担当外の職員も知ることのできる体制を作った。また、逢坂は就任直後から自ら住民の元に出向いて懇談する『まちづくりトーク』を始めたが、これは後に「出前講座」や「タウンミーティング」として全国に広まった。また、1995年平成7年)次の予算説明書を住民にも分かりやすい内容にした冊子「もっと知りたいことしの仕事」を初めて発行して注目を集めた。さらに、1988年昭和63年)には町民以外にも町政情報を開示する情報公開条例を公布(施行は翌年)、2002年平成14年)には住民基本台帳ネットワークシステム導入を念頭に個人情報保護条例を制定した。

逢坂は 2005年平成17年)8月に退任し、民主党衆議院議員に転向した。

経済

産業

スキー場を中心とした観光産業が主である。スキー場にはオーストラリア人が増えている。

立地企業

金融機関

農協

  • ようてい農業協同組合(JAようてい)ニセコ支所

郵便局

  • ニセコ郵便局(集配局)

宅配便

公共機関

警察

姉妹都市・提携都市

地域

人口

テンプレート:人口統計

教育

  • 町立高等学校(定時制)
  • 中学校
    • ニセコ中学校
  • 小学校
    • ニセコ小学校
    • 近藤小学校

交通

鉄道

バス

道路

空港

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

文化財

天然記念物
  • 後方羊蹄山の高山植物帯
その他
  • ニセコ赤坂奴 - ニセコ町無形民俗文化財、ニセコ町赤坂奴保存会
  • 曽我環状列石 - ニセコ町指定史跡

観光

舞台となった作品

脚注

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関連項目

外部リンク

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観光

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