信州新町

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テンプレート:Infobox 信州新町(しんしゅうしんまち)は、長野県上水内郡にあったである。単に新町(しんまち)と呼ばれることもある。

2010年1月1日長野市に編入したため廃止された。

地理

歴史

沿革

行政

  • 町長:中村靖(1994年5月5日就任、4期目)

地域

教育

交通

ファイル:Kumejikyo Kumeji Bridge.jpg
久米路峡と久米路橋

路線バス

名所・旧跡・観光

  • 久米路峡 −  平安時代に「久米路の橋は心して行け」と歌われ県歌「信濃の国」にも歌われている。何度も架け替えられ、人柱の伝説にもいろどられ「くの字形」に折れ曲がった橋と奇岩、深い水面の景観は古来文人墨客に親しまれ紅葉の名所としても知られて来た。
  • かあさんの歌碑 −
  • 牧之島城跡 −  越後への牽制と更級、水内の山間部の鎮撫を目的に武田信玄の命を受けた馬場信春による1566年の築城と伝えられる。土塁や堀跡などの遺構に甲州流築城術の特徴が良好に保存されている。
  • 信州新町青少年旅行村
  • 武富佐神社続日本紀に、768年更科郡の建部大垣が「人となり恭順、親に孝あり」との理由で朝廷から褒美を得た記述がある。その住地の記載はないが建部氏日本武尊の名代部であり古代大和朝廷から各地に配置された職業的軍事集団でもあったとされる。更科郡下で倭健尊を祭神とする古くからの神社は当社と考えられるので建部大垣はこの周辺の住民であったと推定されている。姨捨山の棄老伝説が大和物語によって広く知られるようになるのは大垣の受賞から180年余も経てのことである。この長い間に大垣受賞の噂話が各地に広まる過程で物知りによって棄老を戒める仏教の説話が付け加えられて定着したものと考えられている。また当社は建部大垣の古墳上に建立されているのだとも伝説されていた。しかし近年の発掘調査によれば古墳は現在の社殿の北側にあって、大垣の頃より約150年ほどさかのぼる築造とされる。

姉妹都市・友好都市

名産物

関連項目

外部リンク