学習院大学

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テンプレート:Infobox 学習院大学(がくしゅういんだいがく、テンプレート:Lang-en)は、東京都豊島区目白1-5-1に本部を置く日本私立大学である。1949年に設置された。大学の略称は特に無く、一般的には学習院とだけ呼ばれる。

目次

概観

大学全体

江戸時代後期の1847年京都御所で開講された学習所を起源とし、明治時代初期、1877年皇族華族のための教育機関としてあらためて開校された。新制大学としての学習院大学の開校は第二次世界大戦後の1949年。皇族が通う大学として日本国内ではよく知られている。

建学の精神(校訓・理念・学是)

学習院系列校共通の教育目標として「ひろい視野 たくましい創造力 ゆたかな感受性」を謳っている。

また第25代学習院長の波多野敬雄が『グローバル学習院』を提唱し、海外研修等を実施している他[1]、ピラミッド校舎の跡地に建設される新校舎を新学部の拠点にすることを視野に入れている[2]

教育および研究

学習院大学は、卒業生が教員や研究者として多くの大学に採用されている分野があり、これまでに多くの研究者を育ててきたと謳っている。教育目標として「ひろい視野」を掲げている通り、学部・大学院とも個別の専攻に極端に偏らないように広範囲の科目を履修させるカリキュラムを組んでおり、基礎研究に力を入れる方針を示している。旧華族学校の校風が教育・研究の面でも引き継がれており、「実社会で役に立つ学問」「実学」を重視したり極度なリベラル主義ではないが、資格取得を支援する各種プログラムを設置している。

学風および特色

第二次世界大戦前は初等学科・中等学科・高等学科(後に初等科・中等科・高等科となる)が設置されていた。学習院は特別の法令によって設立されていたため、学制と必ずしも一致するわけではないが、初等科は尋常小学校、中等科は中学校高等女学校、高等科は旧制七年制高等学校に相当する。なお、高等科を旧制大学と扱う文献も存在しているが、学習院学制自体が大学令とは無関係の法令であり、制度としては旧制七年制高等学校相当である。また、旧学習院高等科から旧制大学へ進学した学生も多く存在していることから、旧高等科を旧制大学相当として扱うことには教育制度の研究家の間に異論もある。

沿革

略歴

ファイル:Gakushuin in 1933.JPG
学習院正門(1933年)

テンプレート:Seealso 1847年仁孝天皇京都御所内に設けた公家を対象とした教育機関である学習所を起源とする。ただし、仁孝天皇自身は前年に崩御したため、目にすることは出来なかった。1849年には勅額が下賜されたことに伴い、京都学習院となる。明治維新を経て、華族制度が整備されると1876年には華族学校という校名となる。翌1877年に華族学校学則が制定され、さらに明治天皇のもとで開校式が行われた際に改めて学習院と改名された。学習院ではこの年を学校の創立年としている。もともとは皇室の設置する私塾という位置づけであったが1884年には宮内省が所轄する正式な官立学校となる。

第二次世界大戦前の学習院は学習院学制および女子学習院学制に基づく教育機関で文部省ではなく宮内省の管轄下に置かれ、華族の子弟なら原則として無償で学習院に入ることができた。それ以外は一部のみで、授業料は有償・幼稚園への入園や外部生としてしか許されないなどの待遇を受けた。1924年の制度改革以降も授業料の金額格差・階級による幼稚園への入園禁止など差別待遇が残り、華族を中心とした学校として維持してきた。また平民等でも例外が存在している場合があった。

第二次世界大戦後に華族制度が廃止され、学習院設置の根拠法であった学習院学制および女子学習院学制が廃止されると、私立の学校法人として再出発し、待遇も無くなった。だが、現在でも一部を除く皇族が通い、“御学友”(一般市民でありながら同席で学ぶ事を許された特別な生徒・学生)が存在するなど、戦前の学習院の痕跡を僅かながらに残している。

年表

  • 1847年 仁孝天皇が京都御所内に学習所開設。
  • 1849年 孝明天皇より「学習院」の勅額(院宝)下賜される。
  • 1868年 大学寮代と改称。
  • 1877年 華族学校学則制定、学習院開業式挙行。
  • 1884年 官立学校となる。同時に宮内省所轄となる。
  • 1893年 大学科を設置。
  • 1905年 大学科廃止。
  • 1908年 目白の現校地へ移転。
  • 1947年 学習院学制・女子学習院学制が廃止。財団法人学習院となる。
  • 1949年 新制大学としての学習院大学開設。文政学部(文学科、哲学科、政治学科)と理学部(物理学科、化学科)を設置。
  • 1950年 東京四大学学習院大学武蔵大学成蹊大学成城大学 )対抗運動競技大会始まる。
  • 1951年 財団法人から学校法人となる。
  • 1952年 文政学部を政経学部(政治学科、経済学科)と文学部(哲学科、文学科)に改組。東洋文化研究所設置。
  • 1953年 大学院人文科学研究科(哲学専攻、国文学専攻)、自然科学研究科(物理学及び化学専攻)設置。
  • 1957年 文学部文学科を国文学科、イギリス文学科、ドイツ文学科、フランス文学科に改組。大学院人文科学研究科修士課程にイギリス文学専攻、ドイツ文学専攻、フランス文学専攻を設置。
  • 1961年 文学部に史学科を設置。大学院自然科学研究科物理学及び化学専攻を物理学専攻と化学専攻に変更し、博士課程(物理学専攻、化学専攻)を設置。
  • 1963年 理学部に数学科を設置。
  • 1964年 政経学部を法学部(法学科、政治学科)と経済学部(経済学科)に改組。
  • 1965年 大学院人文科学研究科修士課程に史学専攻を設置。大学院人文科学研究科博士課程(哲学専攻、国文学専攻、イギリス文学専攻、ドイツ文学専攻、フランス文学専攻、史学専攻)を設置。
  • 1967年 大学院自然科学研究科修士課程に数学専攻を設置。
  • 1969年 大学院自然科学研究科博士課程に数学専攻を設置。
  • 1972年 大学院法学研究科(法律学専攻)修士課程を設置。
  • 1974年 経済学部に経営学科を設置。
  • 1975年 文学部に心理学科を設置。文学部イギリス文学科を英米文学科に改称。史料館設置。
  • 1978年 大学院経営学研究科修士課程専攻を設置。
  • 1979年 大学院政治学研究科修士課程に政治学専攻を、経済学研究科修士課程経済学専攻を設置。
  • 1980年 大学院人文科学研究科修士課程に心理学専攻を専攻を設置。
  • 1981年 大学院政治学研究科博士課程政治学専攻を設置。
  • 1991年 文学部国文学科を日本語日本文学科、大学院人文科学研究科国文学専攻を日本語日本文学専攻に改称。
  • 1999年 学習院生涯学習センターを設置。
  • 2001年 学習院マネジメント・スクール(GMS)を設置。
  • 2004年 専門職大学院法務研究科(法科大学院)を設置。大学院法学研究科(法律学専攻)博士前期課程廃止。
  • 2005年 法学部政治学科にFT特別選抜コースを設置。
  • 2007年 文学部ドイツ文学科及びフランス文学科をドイツ語圏文化学科及びフランス語圏文化学科に改称。
  • 2008年 文学部英米文学科を英語英米文化学科に改称。大学院人文科学研究科哲学専攻を哲学専攻と美術史学専攻に分割改組。大学院人文科学研究科にアーカイブズ学専攻と身体表象文化学専攻を設置。大学院自然科学研究科に生命科学専攻を設置。
  • 2009年 理学部に生命科学科を設置。大学院人文科学研究科心理学専攻を心理学専攻と臨床心理学専攻に分割改組。大学院人文科学研究科イギリス文学専攻を英語英米文学専攻に改称。
  • 2010年 大学院人文科学研究科ドイツ文学専攻をドイツ語ドイツ文学専攻に改称、同研究科臨床心理学専攻が日本臨床心理士資格認定協会第1種指定大学院に変更。
  • 2013年 文学部に教育学科を設置。
  • 2016年 国際社会学部を設置予定。

基礎データ

所在地

  • 目白キャンパス(東京都豊島区目白1-5-1)
    • 学習院大学の他、学習院中等科・高等科学習院幼稚園・学習院生涯学習センター・学習院マネジメント・スクール(生涯学習センターとマネジメント・スクール事務局の住所は東京都豊島区目白1-3-19)もキャンパス内にある。

象徴

校歌

校章

校章は桜をかたどったものである。ただしわずかな相違点が一部見られる。ロゴとして積極的には使われていない。

在学者数

  • 約8,500名(学部・法科大学院・大学院合計)

教育および研究

組織

学部

大学院

  • 法学研究科(博士後期課程)
    • 法律学専攻
  • 政治学研究科(博士前期・後期課程)
    • 政治学専攻
  • 経済学研究科(博士前期・後期課程)
    • 経済学専攻
  • 経営学研究科(博士前期・後期課程)
    • 経営学専攻
  • 人文科学研究科(博士前期・後期課程)
    • 哲学専攻
    • 美術史学専攻
    • 史学専攻
    • 日本語日本文学専攻
    • 英語英米文学専攻
    • ドイツ文学専攻
    • フランス文学専攻
    • 心理学専攻
    • 臨床心理学専攻(博士前期課程のみ、日本臨床心理士資格認定協会第1種指定大学院)
    • アーカイブズ学専攻
    • 身体表象文化学専攻
  • 自然科学研究科(博士前期・後期課程)
    • 物理学専攻
    • 化学専攻
    • 数学専攻
    • 生命科学専攻
  • 法務研究科

附属機関

ファイル:GakusyuinUniversity Shiryoukan.jpg
史料館(登録有形文化財)
附置研究施設
附属施設
校外施設

その他

  • 学長室経営企画課
  • 学長室研究支援センター
  • 学長室保健センター
  • 学長付国際研究交流オフィス
  • 教職課程 
  • 学芸員課程

研究

文部科学省私立大学戦略的研究基盤形成支援事業

  • 「生体システムの環境応答に関する分子細胞生物学的研究-老化・がん化の制御に向けて-」

  プロジェクトリーダー:花岡文雄(理学部生命科学科・教授)【理学部】   2008年度~2012年度 

  • 「環境調和を指向する基盤技術と新物質の開発」

  プロジェクトリーダー:高橋利宏(理学部物理学科・教授 【理学部】   2009年度~2013年度 

  • 「東アジア高齢社会の法的問題解決に向けた共同研究拠点の形成」

  プロジェクトリーダー:岡孝・草野芳郎(法学部法学科・教授)   【学長付国際研究交流オフィス】2011年度~2015年度 

  • 「近代アジアへの眼差しと教育-学習院コレクションの総合的活用」

  プロジェクトリーダー:大澤顯浩(外国語教育研究センター・教授)   【学長付国際研究交流オフィス】2012年度~2014年度 

文部科学省私立大学教育研究活性化設備整備事業

  • 「大学の歴史的資産を用いた学芸員養成教育の一層の活性化」【史料館・学芸員課程】2012年度 

日本学術振興会・頭脳循環を活性化する若手研究者海外派遣プログラム

  • 「リモートセンシングデータを利用した黄河流域の歴史と環境」国際共同研究プログラム

 (代表研究者 鶴間和幸 文学部史学科教授)   【学長付国際研究交流オフィス】   2010年度~2012年度 

日本私立学校振興・共済事業団学術研究振興資金

  • 「日本語研究者/教育者支援アジア・ネットワーク形成の試み」

 (代表研究者 前田直子 文学部日本語日本文学科教授)   【学長付国際研究交流オフィス】   2012年度~2014年度 

日本学術振興会・若手研究者招聘事業―東アジア首脳会議参加国からの招聘

  • 「日本型ADRシステム“WAKAI(和解)”のアジアへの発信」

 (コーディネーター 草野芳郎 法学部法学科教授)   【東洋文化研究所】2011年

文部科学省私立大学学術研究高度化推進事業

  • ハイテク・リサーチ・センター整備事業
    • 基礎物性研究センター(研究代表者 小谷正博 理学部化学科教授)

 『環境調和と経済性を重視した高機能性分子集合体の実態化』

  • オープン・リサーチ・センター整備事業
    • 学習院大学東アジア学ナリッジセンター(研究代表者 岡孝 東洋文化研究所所長)

  【東洋文化研究所】 2007年度~2011年度 

日本学術振興会・アジア研究教育拠点事業

  • 東アジア海文明の歴史と環境

 (コーディネーター 鶴間和幸 文学部史学科教授) 2005年度~2009年度 

学生生活

福利厚生

大学をはじめすべての学習院系列校の学生生徒・教職員に対する福利厚生と学園生活上の様々なサービスを提供する、「株式会社学習院蓁々会」という学習院が100%出資した会社が存在し、学食や購買部などを経営している。代表取締役(蓁々会会長)は学校法人学習院の理事から選任し、取締役ほか役員は法人管理職が兼務する。また同社の業務委託により大学内にコンビニエンスストアセブンイレブン(2007年9月まではローソン)や書店成文堂がある。この会社があるため大学生協はない。2010年9月、中央教育研究棟12階に「目白倶楽部 日比谷松本楼学習院大学店」が開店した。

部活動・サークル活動

1889年、学習院全生徒の学生活動のための機関として「輔仁会」(ほじんかい)が設けられ、以後現在まで学習院全体の課外活動の中心機関となっている。同会は幼稚園から大学、更に学校法人学習院本部までの役員・教職員・学生・生徒・児童・園児が会員となる。会長は学習院長が兼務し、会員は毎年輔仁会費(他大で言うところの自治会費ではない)を納入する。学習院に在学する皇族と特別な功労者は名誉会員(会費徴収なし)となる。本部の下に各学校ごとの支部組織がある。

学習院の運動部、文化部、自治会等すべての課外活動は、輔仁会の事業の一端として位置づけられ、輔仁会の予算から経済的支援を受けている。学習院大学における輔仁会の支部は「学習院輔仁会大学支部」であり、支部長は大学学生部長が兼務する。運動部会(他大で言うところの体育会)・文化部会・独立団体(学習院大学新聞社など)があり、輔仁会に公認されている各部は「学習院輔仁会大学支部運動部会○○部」「学習院輔仁会大学支部文化部会○○部」等と称する。大学学生自治会は消滅しており、現在「暫定協議会」と「自治会再建委員会」が活動している。「自治会再建委員会」が「大学公認」と称するのは「学習院輔仁会大学支部」に属する組織という意味である。会歌として「学習院輔仁会会歌(新)」 ·「学習院輔仁会会歌(旧)」がある。また機関誌として『学習院輔仁会雑誌』がある。このほか輔仁会大学支部に属さず自主的に運営される同好会・非公認サークル等も多数ある。

学園祭

  • 1949年の大学創立以来大学当局により運営される「学習院大学文化祭」(「院祭」と呼ばれた)が開かれていたが、1969年、学生による自主運営の行事として大学祭実行委員会が主催する「学習院大学大学祭」が新たに開催され、現在に至る。毎年10月31日から11月3日頃、3日間にわたって開催。
  • 全学習院の催し物として毎年4月の第3日曜日、「オール学習院の集い」が開催される。1984年から「花見の会」として目白界隈の住民を対象に構内を開放し、花見と散策の会を行っていたことが契機となり、1987年以来学習院全体の行事として開催されるようになった。1991年の第5回から「オール学習院の集い」と改称し現在に至る。学校法人学習院が主催し、役員・教職員・各学校在校生・父母保証人・桜友会員、更に近隣住民が参加する。この催しは学習院のホームカミングデーを兼ねており、この日に合わせて構内にてゼミや各部単位などの同窓会も開催される。

スポーツ

大学関係者と組織

大学関係者組織

大学関係者一覧

施設

目白キャンパス

概要

  • 全学部が一つのキャンパスで学んでいる。1つのキャンパスしか設置していないが「目白キャンパス」という名称がついている。広さは約20万平方メートルである。目白通りを挟んで北側の川村学園キャンパスと豊島区立目白小学校校地も旧制時代は学習院の敷地で、馬場や舎宅があった。戦後川村学園に売却、また豊島区に譲渡された。また明治通り側豊島区立千登世橋中学校(旧豊島区立高田中学校)校地もかつては学習院の敷地であった。同所には湧水があり小川も流れており、近隣住民の子供達がザリガニ取りなどをして遊んでいた。戦後豊島区に譲渡され、高田中学校の校地となった。
  • 今もキャンパス内には自然が多く、豊島区内で唯一の自然林が残存している(2008年、新校舎建設のため一部伐採)。またタヌキテンハクビシンなどの野生動物が林の中などに数頭生息しており、時々目撃されている。夕刻から夜間のわずかな時間帯かつごく稀にではあるものの、樹上を移動するテンや群れをなして歩くタヌキに遭遇することもある。2010年2月には北別館(後述)にハクビシンが侵入し天井裏に潜り込んでいることが確認されたため、同月追い出し作業を行った。現在このハクビシンは「血洗いの池」(後述)付近の藪の中に生息している模様である。
  • 明治・大正時代の古い建物や旧制時代から使用されている校舎、最近建てられた真新しい校舎などが混在しており、独特の景観をなしている。第二次世界大戦前に皇族が寄宿舎として使用した建物を東別館と改称し、秩父宮雍仁親王・山階宮武彦王らが使用した部屋をそのまま教室に当てている。2000年切手の博物館向かいのキャンパス南西側に隣接していた株式会社ジャパン建材江東区に移転したことに伴い、同社土地建物を買収した。同建物は「西13号館」と称されたが教室等として使用されることはなく、閉鎖された状態のまましばらく維持されていた。2008年、老朽化等のために取り壊された。その後柵が新造され土地はキャンパスの敷地の一部となったが、建物が新築されることはなく、現在木が植えられている。
  • キャンパス出入口は6つある。
    • 正門 目白通り側、豊島区立目白小学校前。学習院幼稚園横。
    • 中高正門 目白通り側、警視庁目白合同庁舎前。学習院幼稚園裏。
    • 西門 目白駅改札東側に隣接。大半の教職員・学生・生徒・園児・父母保証人・来校者が使用する通用門。
    • 西坂門 UR都市機構アーバンライフ目白駅前1号棟前。主に蓁々会関係の業者が商品を搬入するための門で、使用時以外は閉鎖。
    • 馬場門 キャンパス南側、馬術部厩舎横。主に馬を車で搬出・搬入するための門で、使用時以外は閉鎖。
    • 南門 学習院下駅側。キャンパス南側の自然林を抜けた先にある小門。「学習院共同住宅」(後述)に隣接しており、かつて同住宅居住者はここからキャンパスに出入りした。
  • 御榊壇(おさかきだん)と呼ばれる聖域がある。1909年明治天皇の目白校地行幸を永く記念するため、乃木希典院長が1910年3月、周囲に石を巡らし築いた前方後円の壇で、円壇の中央に天覧の榊の木が植えられている。円壇を囲む石の一部は、乃木が当時の日本の東西南北国境から集めたものである。
  • 「血洗いの池」と呼ばれる池がある。元は湧水でできた用水池で、江戸時代には灌漑に使われており、水門・水路があった。学習院の構内になった後、赤穂浪士の1人堀部武庸が「高田馬場の決闘」において叔父の仇を討った血刀をこの池で洗ったという伝説が語られるようになった。この伝説は大正時代の学習院高等科生徒による創作で全く根拠はなく、史実ではないが、いつしかこの池を「血洗いの池」と呼ぶようになった。「血洗いの池」は魚類やザリガニ・水生昆虫水生植物等を保護するため自然のままに任せていたが、湧水の枯渇と雨水泥水流入等による水質汚濁や、護岸の崩れ等による周辺環境の悪化を改善するため、2001年に池の浚渫・護岸の整備・水質浄化装置の設置・植栽改善・電灯設置・木製八つ橋の架橋など整備工事が行われた。
  • 松尾芭蕉の句碑や道しるべなどもある。いずれも学習院ができる前の江戸時代に建てられたもので、現在博物館学芸員資格取得のための授業などで拓本取りの実習に利用されている。

講堂

学習院創立百周年記念会館がある。1978年に学習院が創立百周年を迎えたことを記念し、学習院全体の中心となる建物として竣工。地上4階建て。1,100名余を収容できる正堂のほか、小講堂、大小会議室、院史資料展示コーナー、ラウンジ、皇室専用特別控室などがある。式典、講演会、学内学会、音楽会、会議、授業等に利用されるが、常時開放はされていない。学校行事等での使用がない場合は、卒業生や学外にも貸出し(有料)を行っている。会館内に学習院桜友会と常磐会(学習院女子部の同窓会)の事務局がある。

学生食堂・学生会館

学食・ラウンジ・コンビニエンスストア・購買部等が入った輔仁会館がある。輔仁会及び蓁々会用の施設という位置づけである。また部活動用の黎明会館と富士見会館があり、部室の他部活動用の諸施設が入っている。部室は輔仁会に属する同会公認の団体のみに割り当てられる。

登録有形文化財

2009年5月、構内の7つの建造物が国の登録有形文化財に指定された。目白キャンパスでは1945年4月の東京大空襲で正堂・本館など木造校舎の大部分が焼け落ちたが、指定された下記の建造物はいずれも焼失を免れ、一部改築・改装・移築を経ながら現在まで維持されてきたものである。

  • 正門 1901年建造
  • 乃木館(旧総寮部) 1901年建造
  • 厩舎 1901年建造
  • 北別館(史料館)(旧図書館) 1902年建造
  • 東別館(旧皇族別寮) 1913年建造
  • 南1号館(旧理科特別教場) 1927年建造
  • 西1号館(旧中等科教場) 1930年建造

ピラミッド校舎

ファイル:Gakusyuinuniv Central Lecture Room.jpg
ピラミッド校舎 ※現存せず

ピラミッド校舎という校舎も存在していた。北1号館(旧文学部棟)、南2号館、大学図書館とともに前川國男が設計した建造物で、1959年に策定された「学習院創立八十五周年私学十五周年記念建設事業」において建設計画が決まり、1960年8月に竣工した。厳密なピラミッド型ではないが、ピラミッドのような形をした建造物がキャンパス中央に存在していた。「ピラ校」と通称され、大学学生証の裏にイラストが使用される等、キャンパスシンボル的存在であった。頂点までの高さは25メートル、周囲に小噴水を備えた状の細長い池を廻らし、映写設備を備えた一つの大教室と回廊、小倉庫・トイレという構成で、約700名の学生を収容。建物内部に階段があり、頂点まで到達することができた。大学校舎には似つかわしくないような一風変わった形状の建造物で、ウルトラセブン第29話「ひとりぼっちの地球人」に「京南大学」という大学の校舎という設定で登場するなど、学外でもその存在が知られた建物であった。その後も長らく使用されたが、教室としての使い勝手が悪くなっていたことや老朽化による補強工事の必要性、アスベスト使用等の問題などから、「学習院21世紀計画」の一環として2008年、解体と新校舎建設が決定・公表された。これに対し日本建築家協会が大学側に保存要望書を提出するなど、建築史に残る文化財であるとして維持を求める運動が主に学外で行われたものの、同年3月より解体、新校舎建設工事が開始された。跡地には2010年3月、地上11階・地下1階の中央教育研究棟が竣工。中央教育研究棟前広場にはピラミッド校舎頂部がモニュメントとして設置され、2010年10月、広場は「ピラミッド広場」と命名された。モニュメント傍らには解説板も建てられ、在りし日のピラミッド校舎の様子を偲ぶことが出来る。また中央教育研究棟2階ホールにはピラミッド校舎の模型が飾られている。なお、北1号館、南2号館、大学図書館はアスベスト除去工事が施され、今後も維持される。

学習院大学周辺遺跡

学習院大学周辺遺跡は学習院大学キャンパス全体をその範囲として存在が推定される旧石器時代から縄文時代にかけての遺跡である。1905年ごろ、学習院建設予定地付近の切り通しにおいて鈴木辰造が縄文土器を発見し、はじめて遺跡の存在が明らかとなった。その後間もなく校舎が建設されたため調査は行われず、キャンパス整備の過程で遺跡自体も失われたものと見られていた。しかし1980年、学習院大学考古会の広瀬雄一により、キャンパス内の建設現場で発見された黒曜石石器が紹介され、旧石器時代の遺跡が存在する可能性が浮上。ただその後も詳細な調査は行なわれなかった。2000年には豊島区教育委員会によりキャンパス内の発掘調査が行われ、縄文時代早期の土器が出土、また包含層を確認、縄文遺跡が残存していることが判明した。更に2008年、「学習院21世紀計画」の一環である学習院大学新自然科学研究棟(南7号館)の建設に伴う発掘調査により、約2万年前の関東ローム層(立川ローム層)の土層から石器と焼けた礫群(火を焚いた跡)を発見、旧石器時代の人の生活の痕跡が確認された。豊島区内には旧石器時代の遺跡や遺物の発見はほとんどなく、区内有数の旧石器時代遺跡として注目を集めている。なお2008年に調査された地点は新自然科学研究棟の下になっており、既に遺跡は存在しないが、出土遺物は史料館に所蔵されている。また過去の遺物出土地点が広範囲に及んでいるため、大規模な遺跡が現在もキャンパス全体の地中に埋もれているものと考えられている。

大学学生寮として昭和寮が存在した。昭和寮は1928年、宮内省内匠寮により旧制高等科学生の寄宿舎として近衛公爵邸跡地(近衛町、現在の新宿区下落合2丁目)の高台に建設、開寮された。建物は西洋式で、イギリスの大学学生寮をモデルに設計された。鉄筋コンクリート造りの地上2階・地下1階のスパニッシュ様式建築で、広大な敷地にダンスホール・バーカウンター・テニスコート等、豪華壮麗な設備を有した。しかし昭和寮は第二次世界大戦中の食糧事情の悪化などにより1944年に閉鎖。その後建物は戦火を免れたが、1952年、新制学習院の財政確立と新校舎(旧西3号館、2001年取り壊し、現在は緑地)建設の資金に充当するため日立製作所に売却された。同年、大学学生のための新たな寮として旧建物の近傍に改めて「昭和寮」が建設された。寮長には代々学習院大学教授が就任した。長らく大学学生寮として利用されたが、1997年3月、「学習院21世紀計画」による事業の一環として、建物の老朽化と入寮者の減少を理由に閉寮となった。建物は取り壊され、土地も売却された。元寮生の同窓会として桜友会傘下に学習院昭和寮会がある。なお旧昭和寮建物は1953年、日立製作所の福利厚生施設「目白日立クラブ」となり現存。歴史的重要建築物として東京都の「未来に残したい100の建物」に指定されている。入場・利用は日立製作所社員・家族のみで、見学不可・非公開となっているが、新目白通り(建物南側)や山手線(建物東側)・西武新宿線(建物南側)の車窓から外観の一部を望むことができる。また現在、生涯学習センター(西11号館)の隣に外国人留学生・外国人客員研究員用の寮(ゲストハウス・西12号館)がある。

その他の施設

かつては学習院教職員用の「学習院共同住宅」と称するアパートがキャンパス内に所在、南門の東側に2棟建っていた。川嶋辰彦経済学科教授も入居、長女の文仁親王妃紀子が少女時代から秋篠宮文仁親王と結婚した1990年までの日々を過ごした建物であり、同妃が「3LDKのプリンセス」と呼ばれた所以となったアパートであった。入居者の減少と老朽化のため2007年までにすべて取り壊された。跡地は新校舎敷地等に当てられる予定。

対外関係

大学間交流

大学院間交流

(いずれも単位互換制度)

大学院・研究機関間交流

海外留学協定校

関係校

旧制学習院高等科が旧制7年制高等学校相当の教育機関であったことから類似した旧制七年制高等学校の流れを汲む下記大学とは現在でも関係が深く、特に在京の4大学に関しては東京四大学というグループを形成している。

系列校

学校法人学習院が経営している系列校はそれぞれが独立しており、附属校という扱いではないためここでまとめる。

附属学校

学校法人学習院が経営している系列校はそれぞれが独立しており、附属校という扱いではないため系列校でまとめている。

公式サイト

関連項目

脚注

  1. たくましいグローバル人材を育てる - 学校法人学習院
  2. 成長への新たなシナリオ 学習院長・波多野敬雄氏 - 提言ニッポン」フジサンケイビジネスアイ、2008年3月24日。
  3. 陸上競技社「箱根駅伝公式ガイドブック2007」(月刊陸上競技1月号増刊)陸上競技社および同社刊「箱根駅伝公式ガイドブック」各年号

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