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2014年8月22日 (金) 00:09時点における最新版

テンプレート:基礎情報 アナウンサー 山中 秀樹(やまなか ひでき、1958年12月19日 - )は、日本のフリーアナウンサータレント。元フジテレビアナウンサー広島県広島市南区京橋町生まれ、広島市中区八丁堀、幟町育ち[1]タイタン所属。

来歴・人物

愛称は「山ちゃん」「山チュー(『空飛ぶ!爆チュー問題』での役名から)」。血液型はO型。幟町小学校修道中学校・修道高等学校卒業。同級生にアニメーション監督の西尾大介、先輩に脚本家遊川和彦コラムニスト神足裕司(一学年上)ら、後輩には歌手吉川晃司らがいる。先輩アナの福井謙二は小中高校の5年先輩にあたる。同郷・フジテレビの後輩には三宅正治早稲田大学の後輩でもある)、西山喜久恵がいる。

1977年、早稲田大学第一文学部哲学科社会学専修に進学。中学生時代から初心貫徹でアナウンサーを志望し、『大相撲熱戦十番』(文化放送)や『タモリのオールナイトニッポン』(ニッポン放送)でADアルバイトをしていた。第一文学部の先輩には逸見政孝松倉悦郎がいる。アナウンス研究会の先輩には近藤雄介[2]、後輩には向坂樹興牧原俊幸がいる。

NHKアナウンサーの杉浦圭子(現:NHK大阪放送局チーフアナウンサー)は、同郷人且つ早稲田大学の同期であり、また放送研究会でも一緒だった。杉浦が東京アナウンス室時代に『7時のニュース』を担当していた当時、山中が『7時のニュース』での杉浦のアナウンスをチェックしていて、彼から厳しいアドバイスを度々貰っていたことを明かしていた[3]

1981年にフジテレビに入社。同期には頼近美津子[4]本間淳子鈴木克明[5]大多亮[6]がいる。

若手時代は『プロ野球ニュース』でプロ野球各試合のダイジェストを担当していた。その後、報道へ移り、特に土日の報道番組キャスターを長く務めた。一方で、バラエティ番組の「笑っていいとも!」のテレフォンショッキングや『笑っていいとも!増刊号』のナレーションも同僚の吉沢孝明とともに長期間務めた。

2006年6月29日付で「ライツ開発局ライツ開発担当部長」へ異動し長年在籍したアナウンス室を離れたが、『湘南 OLD BOY 山中』『天才のパチンコ』(いずれもフジテレビ721・739)など、アナウンサー時代からの出演番組も掛け持ちした。

2006年10月20日にフリーになることを発表。同年12月末にフジテレビを退社、2007年1月から20年来の知人であり『ポンキッキーズ』『空飛ぶ!爆チュー問題』でも共演している爆笑問題が所属するタイタンに移籍した。

フジテレビ・フジテレビワンツーネクストで放送されている『男おばさん』(軽部真一笠井信輔)の名付け親でもある。

2007年1月1日、フジテレビの『第40回初詣!爆笑ヒットパレード』にて、ヘリコプター中継のカメラに映るコレオグラフィの指導者役としてフリーデビュー。同年1月10日には日本テレビラジかるッ』で他局初出演を果たし、その後に水曜レギュラーとなった。映画『スパイダーマン3』でニュースキャスターの吹き替えを担当した。

趣味落語観賞など。またパチンコも趣味の一つで、2005年からは趣味が昂じて『サンケイスポーツ』紙上でコラム「天才のパチンコ」」(隔週連載)を担当するようになった。同連載は2010年11月に「山中秀樹 パチパチLife」と改題して月1回連載となったが、現在も連載を継続している[7]

現在の出演番組

過去の出演番組

フリー転向後

ほか多数

フジテレビ時代

エピソード

  • 広島出身で、幼少時代からの広島東洋カープファンである。アンチ巨人ということもあり、就職活動でも読売ジャイアンツのグループであるという理由だけで日本テレビ読売テレビの受験をしないほど徹底していた(1981年に日テレに入社したのは小倉淳山下末則(山下は宮崎放送から移籍)である)。
  • 大学時代からラジオテレビの両方での仕事を希望していたため、首都圏で唯一のラテ兼営局であるTBSが第一志望であった。またTBSの他には文化放送とフジテレビしか受験しておらず、3社受験で文化放送とフジテレビの2社から内定をもらったのだが、フジテレビではラジオの仕事ができないことと、当時のフジテレビは鹿内春雄による機構改革前のいわゆる“暗黒時代”であり、視聴率もTBS、日本テレビに遥か及ばぬ万年3位と低迷していたためフジテレビへの入社は最初は消極的であったという。また文化放送は「テレビで仕事ができない」という理由で内定を辞退している。
  • 20年くらい前から見た目はほとんど変わっておらず、むしろその頃は今よりも太っていたため、当時20代後半であったにもかかわらず、周囲や視聴者からは40代前半か半ばの中年男性と見られていたという。実際、「FNNスーパータイム」を先輩の城ヶ崎祐子と共に担当していた頃、山中は城ヶ崎より4歳も年下であるにもかかわらず、「年上の男性に生意気な口をたたく小娘」「アナウンサーのくせに上司に対しての礼儀も知らないのか!」という苦情が城ヶ崎に対して数多く寄せられていたため、互いにこの誤解には苦笑いしていた。
  • 1997年1月1日、元旦スペシャル最初のニュースも担当したが、この時に「はい、あっうあーえーあけましておめでとうございます。」となってしまった。その直後、「あんまり寝てないもんですから本当にすみません」と苦笑いしながらも第一声の失敗に謝罪していた。
  •  『こちら山中デスクです』(TBSラジオ)で共演しており、かつ同郷(広島県出身)の後輩でもあるTBSアナウンサーの久保田智子とはフジテレビ時代から親交があった。彼女との最初の出会いは2002年、山中の母校・早稲田大学の先輩であり、フジテレビの大先輩である露木茂からの紹介がきっかけであった(当時、久保田はフリーに転身したばかりの露木と共に『おはよう!グッデイ』の司会を務めていた)。また露木は2007年4月9日放送の『こちら山中デスクです』にゲスト出演しており、これによりメディアの前で初めて3人での共演を果たした。
  • 日本テレビやTBSの番組の仕事でも、フジテレビ時代の元同僚と仕事をすることが非常に多い。『踊る!さんま御殿!!』で後輩の有賀さつきと共にゲスト出演を果たし、『サンデージャポン』では取材先の宮崎県庁舎内で後輩の河野景子(宮崎県出身)と偶然出くわしてミニインタビューを行った。『ザ!世界仰天ニュース』では元同僚の木佐彩子富永美樹深澤里奈と共演した。また先述の露木や、フジテレビ入社後の2年間(1981年 - 1983年)共に同僚時代をおくった先輩の田丸美寿々を『こちら山中デスクです』にゲスト招聘して、彼らがフジテレビ時代に行った歴史的なニュースの取材についてのエピソードを聞き出したりと、フジテレビの同僚時代にはありえなかったスタイルやトークで先輩や後輩との共演を果たしている。
  • 2008年11月23日に放送された『ウチくる!?』(フジテレビ系)で先輩の露木、福井、元同僚の近藤サト、富永と共演し、フジテレビ時代の思い出を語った。退社後のフジテレビ出演は1年半ぶりであった。
  • 2005年の放映の『FNSの日』では第7代、6人目の立会人を務めた(その年入社した新人アナウンサーは田淵、遠藤玲子平井理央宮瀬茉祐子の4人)。翌年の『FNSの日』から先輩の堺正幸が務めている。
  • フジテレビを定年前に退職し、フリーに転身した男性アナウンサーは1988年春退社の逸見政孝以来18年ぶりの事だった(それ以前は八木亜希子小島奈津子、木佐彩子、内田恭子など女性アナのフリー転身が多かった)[9]
  • 『FNNスーパータイム』担当時(2期目)にはかつての先輩・上司であった逸見の訃報を伝えている。また、1988年4月には『Date Line』にて当時のフジサンケイグループ議長・鹿内春雄の訃報も伝えた。
  • フリー転向後、『サンデージャポン』で宮崎県知事時代の東国原英夫の密着取材をしていたが、これがきっかけで2007年11月25日に、宮崎産業経営大学で行われた就職啓発セミナーに講師として出席した(メインの講師として東国原英夫も出席)。

関連項目

外部リンク

脚注

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  1. デイリースポーツ』広島版、2008年3月11日16頁。
  2. 現フジテレビ総合開発局メディア開発センターペイTV事業部ゼネラルプロデューサー。
  3. このことについては杉浦がかつて『サンデー毎日』にて連載していたコラム「杉浦圭子のステーションブレーク」で明かしていた。
  4. ただし彼女はNHKからの移籍入社であるため先輩にあたる。
  5. 現フジテレビ常務取締役営業・ネットワーク担当。
  6. 現フジテレビ常務取締役編成制作・映画事業・コンテンツ事業担当、フジ・メディア・ホールディングス取締役。
  7. 【山中秀樹】勝手に新台ベスト3 - サンケイスポーツ・2010年11月11日
  8. JR西日本の「エクスプレスE予約」「J-WESTカード」の宣伝番組であるが、脱線事故の影響のためJR西日本のクレジットは無し。なお、在広局制作番組では、2012年現在JR西日本の提供クレジットが復活している。
  9. 先輩の露木、野間脩平はフジテレビを退社後にフリーに転身した。