PC/AT

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テンプレート:Infobox Information appliance PC/AT(ピーシーエーティー)は1984年IBMが発売したパーソナルコンピュータ モデル5170 のことである。更には、当アーキテクチャーを継承した、いわゆるPC/AT互換機全般や、そのアーキテクチャー群を指す場合が多い。

呼称

正式名称は“The Personal Computer for Advanced Technologies 5170”である。正式略称は「PC AT」であるが、一般的には「PC/AT」または「AT」と標記される場合が多い。

概要

PC/ATは、IBM PCおよびPC/XTの後継機種として登場した。Intel 80286を搭載し、システムバス(拡張スロット)を16ビット化(ATバス。後にISAとして規定された)し、ビデオ(グラフィック)にEGAを搭載した。

初代IBM PCと同様に、オープンアーキテクチャを採用し、内部仕様の多くが公開されたため、CompaqDellなど多くのメーカーからPC/AT互換機が発売された。

PC/AT及びその互換機のキラーアプリケーションともいえるソフトウェアが、表計算ソフトLotus 1-2-3」であった。アメリカ合衆国では、Apple II用アプリケーション「VisiCalc」などのヒットから、表計算ソフトが受け入れられる下地があった。「1-2-3」は、旧機種との互換性よりも性能を重視し、PC/AT以降に特化したソフトとして作られた。PC/ATの性能をフルに引き出すことで、互換性を重視した「Microsoft Multiplan」をはるかに凌駕する再計算スピードや、豊富なアドオンによるカスタマイズ性の高さをセールスポイントとしてアピールし、大ベストセラーとなった。互換機メーカは、PC/ATとの互換性よりも「1-2-3が使える」ことを売りにするほどであった。

マイクロソフトは、IBMによるPC DOSの権利譲渡の要求を頑なに拒んだ。逆に、自社ブランド (MS-DOS) でのオペレーティングシステム (OS) の各社へのOEM供給や単独販売を行うようになった。これにより、MS-DOSはCP/M-86との競争に勝利し、また互換機によるIBM純正機の市場シェア低下という結果をもたらしたのである。IBMは失った市場を取り戻す為、IBM PS/2によりクローズドアーキテクチャ路線への方向転換を画策したのだが、時既に遅く、市場はAT一色に染まっていたのであった。

基本仕様

PC/ATまでのあゆみ

IBM PC

テンプレート:Main 1981年IBM Personal Computer model 5150 として発売。パーソナルコンピュータの名称がまだ一般にはなじみが薄かったためもあり、「PCと言えばIBM PC」という連想を生んだ。この傾向は長く2000年前後まで続き、マッキントッシュなど他アーキテクチャのパーソナルコンピュータに対して、PC/AT互換機全般を「PC互換機」あるいは単に「PC」と呼称する場面が多くみられた。

IBM PCの開発に当たったのはフロリダ州ボカラトンの社内ベンチャー組織で、後にEDS(Entry Systems Division: 端末機事業部)に発展した。当時のリーダーはフィリップ・エストリッジ(1937年-1985年)で、彼はEDS部門長を経て同社の製造担当副社長に昇格した。

当時、各メーカー独自のプロセッサソフトウェアを搭載して構成されることが当然であった大型コンピュータ業界の雄であるにも関わらず、本機は一般市販部品で構成され、IBM製の半導体(IBMは当時も現在も世界的に最大手の電子デバイス製造業者のひとつである)を主要部において一切使っていなかった。加えてソフトウェアもすべて外部調達でまかなっていた。

カタログ上の機能・性能においては傑出したものとは言えず、当初は平凡と評されたこともあった。しかし拡張性を考慮してあり、しかも拡張バスなどの仕様が公開されていたことから、IBM自身の提供するオプション基板より優れた拡張カードを発売するサードパーティが相次ぎ、結果として本機の有用性を高めることとなった。

元々大型コンピュータの巨人として知られた同社がPC事業に参入したことで、PCが個人ユースから企業向け市場に進出するきっかけになった。これによりPC市場が活気付いただけでなく、その後他社がIBM PC互換機を発売したこと、20年以上を経た今日でもそのハードウェアの名残が残存することを考慮すると、PCアーキテクチャ史上も画期的な機種のひとつであった。

当時の各社独自仕様のPCメーカーは、広告でIBM PCとの比較表を提示して自分たちの製品の優位性をアピールしたが、最終的にはIBM PC互換機に移行する。その要因としては、IBM PC向けアプリケーションソフトウェアの品揃えが短期間で豊富になったことがあげられる。当時のMS-DOS環境ではハードウェアの相違を吸収しきれなかったため、DOS用のソフトウェアといえども機種ごとに個別対応が必要であった。このため、ソフトウェアベンダとしては市場からの絶大な信用を持つIBM機向けに製品ラインを絞ったほうが有利であり、PCメーカーとしてもこの現実に対応せざるを得なくなったのである。

基本仕様

PC XT

1983年、貧弱な外部記録装置しか持たなかった初代PCをアップグレードするため、基本設計はそのままにメモリ・ハードディスクなどを強化したIBM Personal Computer XT model 5160が発売された。

本機種に合わせ、ファイルシステムを階層ディレクトリを用いて管理可能にするなど多くの強化を施されたPC-DOS 2.0が発売された。

1986年、貧弱な演算能力を改善するためCPUを6MHzクロックIntel 80286に変更したPC/XT 286 (model 5162) が発売されたが、すでにPC/ATが市場に出ており、短期間で発売は中止された。

基本仕様

  • CPU: 8088 4.77MHz
  • メモリ: 256KB~640KB(標準)
  • 外部記憶: フロッピーディスク 360KB×2基、ハードディスク 10MBまたは20MB
  • ディスプレイ: MDAまたはCGA
  • ROM-BASIC (Microsoft GW-Basic)
  • 83キーボードまたは101キーボード
  • XT拡張バス

PCjr

1984年に発売されたコンシューマ市場向けのローエンドPC。通常のIBM PCとの互換性や拡張性の低さ、高い売価、とりわけ貧弱なラバースイッチ式キーボードなどの欠点のため失敗作となった。

JX

テンプレート:Main 日本IBMが日本電気 (NEC) のPC-9800シリーズに対抗した家庭用PC。PCjrをベースに日本語化し(OSはJX専用の「日本語DOS」)、ラバースイッチ式キーボードを改め、イメージキャラクターに森進一を起用するなどしたが、これも失敗作に終わった。

PC Portable

1984年にコンパックのIBM PC互換ポータブルPCの対抗のため発売したポータブルPC (model 5155)。当時の「ポータブル」は大き目のスーツケースほどもある、CRTディスプレイ一体型の筐体の装置であった。性能的にはPC/XTからHDDを除いた程度であった。

PC Convertible

1986年に発売されたモノクローム液晶ディスプレイと2台の3.5インチ720KBフロッピーディスクドライブを搭載したラップトップ型PC。CPUはCMOSプロセスの80C88を使用した。

XT 370

IBMのメインフレームであるシステム370のエミュレーションを行うPCで、モトローラMC68000MPUとカスタマイズした8087を採用、メインフレーム用のVM/370 CMSのサブセットであるPC/CMSをオペレーティングシステム (OS) とした。

3270 PC

IBMのメインフレーム(MVS系)の専用端末であるmodel 3270の、端末エミュレーション・ソフトウェアを搭載したもの。

関連項目

外部リンク

テンプレート:IBM Computers