フォーミュラ3000

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ファイル:Coulthard pacific f3000.JPG
フォーミュラ3000(レイナード93D、1993年)

フォーミュラ3000Formula 3000F3000)は、自動車レースの1カテゴリーで、国際自動車連盟(FIA)が定義するフォーミュラカー(オープンホイール)による四輪レースのうち、F1の直下に位置するカテゴリーであった。

F3000には国際選手権と地域選手権が存在した。本項ではおもに国際F3000選手権 (International Formula 3000 Championship) について説明する。

概要

1985年-1995年

F1の下位カテゴリーであったF2がワークスエンジンの開発競争激化などによる費用高騰のため、それに代わる物として、F1のレギュレーションの変更により使われなくなった、かつてF1で一時代を築いたフォードコスワースDFVエンジンV8 3,000cc)を再利用し、回転数を9,000rpmに制限するなどの方法でコスト低減されたカテゴリーとして1985年に再編成された。

しかしシリーズが進むにつれてシャシー(マーチローララルトレイナードダラーラフットワーク童夢)、エンジン(無限ジャッドコスワースAC)等多数のメーカーが参入し、また各チームによる「スペシャルガソリン」や「トラクションコントロールシステム」等の開発、シーズン途中でのシャーシー(例 ローラ→レイナード)やエンジンメーカー(例 無限→コスワース)の変更等を行うチームが発生し、その結果参戦コストが大幅に急騰してしまった。そのため1995年にレギュレーションの変更を行いシャーシー、エンジンをワンメイクにし入札を行ない、その結果1996年よりシャーシはローラ、エンジンはザイテック(設計はジャッド)のV型8気筒3,000ccへと変更になった。(タイヤは1986年よりエイヴォン・タイヤのワンメイク)

1996年-2004年

ファイル:Lola F3000.jpg
ローラB99/50(1999年)

1996年以降においてマクラーレンベネトンジョーダンアロウズプロスト等が若手育成を目的として「ジュニアチーム」を設立する(実際には参戦しているチームを支配下に置く方式)。これは若手ドライバーをレースだけに集中させるだけではなく、F1ドライバーになるためのレース活動以外のサポートをしたが、F1とF3000のマシンのレベルに差が大きすぎ、F1チームの予想に反してF1へのステップアップが想定通りには進まなかった。

その結果F1チームにおけるドライバー育成プログラムを見直し、ドイツF3(→F3ユーロシリーズ)やイギリスF3等のランキング上位者ドライバーをテストドライバーとして契約し将来的にはレギュラードライバーへステップアップさせる方法へ切り替えた。僅か数年で各F1チームはジュニアチームを解散させてしまい(本来の単独チームへ戻り)、その影響で多くのスポンサーが撤退してしまった。結果として、ますますF1へのステップアップが難しくなるという皮肉な結末になった。

FIAにおいても国際F3000がF1への重要なステップアップカテゴリーである認識は強かったので、テレビ放送によって露出を増やし、より多くのスポンサーの参入と目的とし、国際F3000による単独レースを止めてヨーロッパ内で行われるF1レースの前座レースへと変更をしたが、FIAの思惑とは裏腹に年々エントリーが減少し、F1へのステップアップカテゴリーとして機能しているとは言い難いものとなり、2005年からGP2に移行した。

選手権

国際F3000の他、イギリス日本など数カ国で国内選手権が行われており、中でもフェリペ・マッサなどを輩出したユーロ3000選手権の動きが活発であったが、同選手権も2009年限りで終了している。日本では1987年から1995年まで全日本F3000選手権が開催されていた。

ジンクス

「国際F3000のチャンピオンになったドライバーは、F1ではチャンピオンになれない」というジンクスがある。

この話はヨーロッパF2時代からあり、事実としてヨーロッパF2、国際F3000ともに、そのチャンピオンドライバーはまだ1人もF1世界チャンピオンになっていない。国際F3000チャンピオンの中からはF1における優勝ドライバーもなかなか現れず、チャンピオンを獲得したドライバーで初めてF1で優勝を果たしたのは1995年カナダGPにおけるジャン・アレジである。アレジ以降もオリビエ・パニスファン・パブロ・モントーヤ以外にF1で優勝した元国際F3000チャンピオンはいない。なお、国際F3000とF1の両方で優勝したことがあるドライバーは上記3人のほか、ジョニー・ハーバートデビッド・クルサードエディ・アーバインフェルナンド・アロンソマーク・ウェバーがいる。またデイモン・ヒル(1991年総合7位)、ルーベンス・バリチェロ(1992年総合3位)も優勝こそない(いずれも最高位2位)ものの上位ランカーの一人ではあった。

歴代チャンピオン

国際F3000選手権チャンピオン
チャンピオン 国籍 所属チーム マシン レポート
1985年 クリスチャン・ダナー テンプレート:GER テンプレート:仮リンク マーチ85B・コスワース 詳細
1986年 イヴァン・カペリ テンプレート:Flagicon イタリア ジェノア・レーシング マーチ86B・コスワース 詳細
1987年 ステファノ・モデナ テンプレート:Flagicon イタリア オニクス マーチ87B・コスワース 詳細
1988年 ロベルト・モレノ テンプレート:Flagicon ブラジル Bromley Motorsport レイナード88D・コスワース 詳細
1989年 ジャン・アレジ テンプレート:Flagicon フランス エディ・ジョーダン・レーシング レイナード89D・無限 詳細
1990年 エリック・コマス テンプレート:Flagicon フランス DAMS ローラT90/50・無限 詳細
1991年 クリスチャン・フィッティパルディ テンプレート:Flagicon ブラジル パシフィック レイナード91D・無限 詳細
1992年 ルカ・バドエル テンプレート:Flagicon イタリア クリプトン・エンジニアリング レイナード92D・コスワース 詳細
1993年 オリビエ・パニス テンプレート:Flagicon フランス DAMS レイナード93D・コスワース 詳細
1994年 ジャン=クリストフ・ブイヨン テンプレート:Flagicon フランス DAMS レイナード94D・コスワース 詳細
1995年 ヴィンセンツォ・ソスピリ テンプレート:Flagicon イタリア スーパーノヴァ・レーシング レイナード95D・コスワース 詳細
1996年 ヨルグ・ミューラー テンプレート:GER RSMマルコ ローラT96/50・ザイテック 詳細
1997年 リカルド・ゾンタ テンプレート:Flagicon ブラジル スーパーノヴァ・レーシング ローラT96/50・ザイテック 詳細
1998年 ファン・パブロ・モントーヤ テンプレート:Flagicon コロンビア スーパーノヴァ・レーシング ローラT96/50・ザイテック 詳細
1999年 ニック・ハイドフェルド テンプレート:GER ウェスト・コーポレーション ローラT99/50・ザイテック 詳細
2000年 ブルーノ・ジュンケイラ テンプレート:Flagicon ブラジル ペトロブラス・ジュニアチーム ローラT99/50・ザイテック 詳細
2001年 ジャスティン・ウィルソン テンプレート:Flagicon イギリス コカコーラ・ノルディック・レーシング ローラT99/50・ザイテック 詳細
2002年 セバスチャン・ボーデ テンプレート:Flagicon フランス スーパーノヴァ・レーシング ローラB02/50・ザイテック 詳細
2003年 ビヨン・ビルドハイム テンプレート:Flagicon スウェーデン テンプレート:仮リンク ローラB02/50・ザイテック 詳細
2004年 ヴィタントニオ・リウッツィ テンプレート:Flagicon イタリア テンプレート:仮リンク ローラB02/50・ザイテック 詳細

関連項目

外部リンク

テンプレート:国際F3000結果 テンプレート:モータースポーツ テンプレート:Motorsport-stub