魏徴
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テンプレート:Sidebar 魏 徴(ぎ ちょう、580年 - 643年)は唐の政治家。字は玄成。太宗らに仕え、諫議大夫・左光禄大夫に任じられ、鄭国公に封じられた。直諫(じかに諫言)することで有名であり、そのやりとりは『貞観政要』に多く載せられている。
略歴
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魏徴の彫像
巨鹿曲城(今の河北省)の人。幼少時貧困で、隋末に李密(瓦崗軍)のもとへ身を寄せ、敗戦して唐へ帰する。竇建徳の捕虜となり、才能を見出される。建徳の兵が敗れ、唐へ帰り、太子洗馬つまり李建成の側近の地位を得た。玄武門の変で建成が死ぬと、太宗は率直さを評価して諫議大夫へ昇進させた、後に秘書監、侍中等の職を転任。癇癪を起こした太宗を二百回余りも諌めた。死亡時、太宗は非常に哀しみ、侍臣へ以下のように言ったという。
「人は銅を以て鏡と為し、衣冠を正すべし、古きを以て鏡と為し、興替を見るべし、人の為す鏡を以て、得失を知るべし。魏徴の沒、朕亡くせし一鏡矣。」(『資治通鑑』巻一九六)。
太宗の命で編纂した『隋書』の序論、『梁書』、『陳書』、『齊書』の総論など、多くの著作がある。その言論は『貞観政要』に多く収められている。「人生意気に感ず」の句で有名な「述懐」という詩を詠んだ。テンプレート:-
西遊記における魏徴
明代の白話小説『西遊記』では、魏徴は陽間(この世)と陰間(あの世)を往来できる人物として描かれ、太宗と囲碁の対局中にうたた寝した間に、天帝の命令により夢の中で涇河の龍王を処刑したことになっている。恨みを抱いた涇河龍王が太宗の夢枕に現れたため、太宗は衰弱死し、冥府めぐりを行って寿命を延ばし帰還した(詳細は西遊記の成立史)。