高力正長

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高力 正長(こうりき まさなが、永禄元年(1558年) - 慶長4年4月22日1599年6月14日))は、徳川氏の家臣。徳川家康の重臣で武蔵国岩槻藩主・高力清長の長男。母は阿倍氏。正室は本多忠俊の娘。子は高力忠房(長男)、高力正重(次男)、高力長次(三男)、娘(本多信勝室)、娘(脇坂某室)。通称は与次郎、権左衛門。官位は従五位下、土佐守。

父清長と同じく徳川家康に仕え、三方ヶ原の戦い長篠の戦い小牧・長久手の戦いなどで戦功を立てた。 天正10年(1582年)には武田勝頼の娘・貞姫(後に宮原義久室)を預かる役目を請け負った。天正15年(1587年)、大番頭に就任。慶長4年(1599年)、従五位下土佐守に叙任する。しかし、同年父に先立って早世し、家督は長男の忠房が継いだ。墓所は埼玉県さいたま市の太平山芳林寺。戒名は「快林院全室道機居士」