青野藩
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青野藩(あおのはん)は、美濃国不破郡青野(現在の岐阜県大垣市)を支配した藩[1]。
概要
元和4年(1618年)、稲葉正次(稲葉正成の子)が幕府に仕えて5000石を与えられた。寛永5年(1628年)5月に正次は死去。嗣子の稲葉正能は幼少のため、弟の稲葉正吉が継いだ。明暦2年(1656年)12月に正吉の後を継いだ稲葉正休は、天和元年(1681年)7月に2000石を加増され、翌年3月には若年寄となった。そして8月に5000石を加増されて、合計1万2000石を領する大名となり、青野藩が立藩された。しかし貞享元年(1684年)8月28日、正休は江戸城内で大老・堀田正俊を刺殺したため、自らも殺害されてしまった。ここに青野藩は断絶して廃藩となり、その所領は天領となった。
なお戦国時代の知将として有名な真田昌幸は、宿敵・徳川家康との再決戦を想定して、青野に陣を敷こうと考えていたと言われている。
歴代藩主
1万2000石。譜代。
- 稲葉正休(まさやす)
関連項目
脚注
- ↑ 二木謙一監修・工藤寛正編「国別 藩と城下町の事典」東京堂出版、2004年9月20日発行(310ページ)