長与駅
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長与駅(ながよえき)は、長崎県西彼杵郡長与町吉無田郷にある、九州旅客鉄道(JR九州)長崎本線(長与支線)の駅である。駅名標のデザインは中尾城公園。
駅構造
相対式ホーム2面2線を有する地上駅で橋上駅舎を持つ。駅舎は1997年頃に橋上化され、長与町特産のみかんを半分に割った形状をモチーフに作られた。窓ガラスにステンドグラスがはめ込んである。
2つ諫早寄りにある大草駅と同じく、長崎本線旧線上にある数少ない交換可能駅である。長崎駅や浦上駅と当駅との間を行き来する利用者も多いため、長崎駅から来た一部の列車が折り返している。
JR九州鉄道営業が駅業務を行う業務委託駅で、みどりの窓口が設置されている。出札窓口は簡易売店も兼ねており、自動券売機の横の棚で商品を売っている。
のりば
1・2 | テンプレート:Color長崎本線 | (上り) | 喜々津・諫早・佐世保方面 |
---|---|---|---|
(下り) | 長崎行き |
- 引き上げ線や留置線はない。当駅折り返しの長崎行きは1番のりばから発車することもあるので、時刻表や改札前にある発車案内のモニターでのりばを確認する必要がある。また、まれに2番のりばから諫早方面の列車が発車すること(1番のりばから折り返しの長崎行きが発車するとき、長崎方面から諫早方面へ向かう列車は2番のりばに入る)もあるので、注意が必要である。
- 改札内にエレベーターは設置されておらず、公道からホームに直接入る車椅子専用の通路がある(駅舎は自由連絡通路でもあるため車椅子でも行き来できるよう、エレベーターは改札外に設置されている)。
- 1番のりばの長崎寄りが一部欠き取られているが、現在は使われていない。
- 列車が到着すると、自動放送(西浦上駅や浦上駅でも使われている、簡易タイプ)が流れる。
- ホームはかつて多くの優等列車が行き交っていた名残で、かなり長くなっている。列車の停車する部分(4両分程度)のみ、かさ上げがなされている。
- 国鉄時代、現在の2番のりばの反対側にもホームが存在していた。民営化と同時に廃止となり、ホームは埋め立てられた。当初はホームがあった名残もあったが、現駅舎立替と同時に行なわれた区画整理で当時の面影は残っていない。
利用状況
- 2010年度の1日平均乗車人員は1,865人(前年度比+20人)である。
乗車人員推移 | |
---|---|
年度 | 1日平均人数 |
2001 | 1,806 |
2002 | 1,877 |
2003 | 1,910 |
2004 | 1,904 |
2005 | 1,889 |
2006 | 1,880 |
2007 | 1,880 |
2008 | 1,873 |
2009 | 1,845 |
2010 | 1,865 |
駅周辺
- 長与駅コミュニティホール(駅舎内、改札前にある)
- 地上駅時代に使われていた駅名標や絵画などが展示されている。
東口(公園口)方面
- 吉無田公園
- 長与町役場
- 中尾城公園
- 長与町民文化ホール
- 陶芸の館
西口(大学口)方面
駅出入口からそのまま歩道橋で道路の反対側へ繋がっている。
- 長崎県道33号長崎多良見線(長崎県道45号東長崎長与線重複)
- 長与町立長与第二中学校
- 長崎県立大学シーボルトキャンパス(旧・県立長崎シーボルト大学)
- 長与ニュータウン
バス路線
- 長与駅バス停(東口ロータリー内にある)
- 長与駅 - 時津方面(2時間に1本程度)
他に、以下のバス停が駅の近くにある。
- 長与駅東口バス停(長与川にかかる橋を渡ったところにある)
- 長与ニュータウン - 長与駅東口 - 時津・上横尾方面(毎時1本程度)
- 長与駅西口バス停(西口を出てすぐのところにある。バスターミナルは無い)
- 崎尾入口バス停(西口を出て少し長崎方面に歩いたところにある。西口からは長与駅西口バス停までと同じくらい離れている)
歴史
- 1897年(明治30年)7月22日 - 開業。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、JR九州に継承。
- 1997年(平成9年) - 現駅舎竣工。
- 2012年(平成24年)12月1日 - 同駅を含む長崎地区19駅にSUGOCAを導入。
なお長崎 - 長与間開業から、長崎本線が現在の大村線・佐世保線ルートで全通するまでの約1年間は、ここから3kmばかり離れた舟津港(長与港)より早岐駅までの間を大村湾連絡船でつないだ。現在は長与港から長崎空港まで高速船(大村湾観光汽船により運航)がつないでいる。また、長崎空港へは、バスで時津町まで抜けた上で、時津港から別の高速船航路(安田産業汽船により運航)で向かうこともできる。
終戦時期は長崎市内が被爆したため、長崎本線は当駅で抑止されていた(後に長崎駅方面が復活し救護列車が運行された)。古くは旧字体の長與の表記も見られた。