金口イオアン
テンプレート:Redirect テンプレート:Infobox 聖人 金口イオアン(きんこうイオアン、テンプレート:Lang-el、344年または349年 - 407年9月14日)は4世紀のキリスト教の神学者、説教者、コンスタンディヌーポリ大主教(当時はまだ総主教制は無かった)。「金口」とは、名説教で知られたことから「黄金の口」を意味する「金口(クリュソストモス・Χρυσόστομος)」を付して呼ばれるようになったことによる尊称である。「ヨハネス・クリュソストモス」「ヨアンネス・クリュソストモス」などとも表記される。イオアン、イオアンネス、イオアンニス、ヨハネス、ヨハネといった各種表記については#表記・呼称を参照。
正教会、東方諸教会、カトリック教会、聖公会、ルーテル教会で、聖人として崇敬される。
正教会において最も頻繁に用いられる聖体礼儀の形式には金口イオアンの名が冠せられ「聖金口イオアン聖体礼儀」と呼ばれる。三成聖者の一人でもある。
生涯
修道士として、神品として、アンティオキアで声望の高かった金口イオアン(イオアンネス・クリュソストモス)は、ネクタリオスの後を継いでコンスタンディヌーポリ大主教(当時まだ総主教制は存在していなかった)に推挙されて着座した[1]。
しかしながらイオアンがその地位に着く事に反対し、着座後もその地位を嫉むアレクサンドリア大主教セオフィロスや、イオアンから職務怠慢によって叱責を受けたり免職された神品達はイオアンを憎んでいた[1]。
金持ちの婦人の奢侈を戒めるイオアンの説教につき、皇后を指しているのだと讒言した人々によって怒った皇后は、大主教セオフィロス、およびイオアンに反感を抱く主教達と結託し、皇帝にイオアンを告発した[1]。
その後、イオアンを守ろうとする民衆と、皇帝側の役人の間で小競り合いが何度も繰り返され、その度にイオアンに対しては捕縛と釈放が繰り返されたが、結局ニケーアへの流刑となった。ニケーアに到着後、アルメニアのククザに流刑先が変更された。流刑先にはイオアンを慕う多くの人々が訪れ、イオアンを物心両面から支援した[1]。
最終的に黒海沿岸にイオアンの移送が決まったが、炎天下や雨の日も歩かせ続けるという残酷な処遇がイオアンの体力を奪い、イオアンは道中のコマナ・ポンティキ(Comana Pontica)で永眠した。永眠前には領聖し、「全て光栄は神に帰す」と唱えて永眠したと伝えられる[1]。
30年後、イオアンの不朽体はコンスタンティノープルに移された。コンスタンティノープルの海峡は、不朽体を迎えるための民衆の舟で満ち満ちたという[1]。
イオアンの説教は、簡潔でありながら自在に『聖書』を引用し、あるいは聖書の挿話や信者の生活を身近なものに喩え、対句や反復などを用いて、わかりやすく信仰の要点を示した。彼の著作としてモーセ五書、聖詠、ヨハネによる福音書、パウロ書簡についての注釈などが残っている。
表記・呼称
- 日本正教会ではごく僅かな例外を除き「金口イオアン」(きんこう—)と呼ばれる。名の「イオアン」は中世ギリシア語の発音「イオアンニス」が教会スラヴ語を経てロシア語風に再建された読み(イオアン)に由来する。「金口」はクリュソストモスの漢訳である。
- Ιωάννης は、ギリシャ正教会で用いられているコイネー表記の現代ギリシア語読みをカナ転写するとヨアニスないしはイオアンニスが近い。
- ロシア正教会では、名の中世ギリシア語発音「イオアンニス」が教会スラヴ語に転写され[2]、「金の口」の部分を教会スラヴ語に直訳したイオアン・ズラトウースト(Иоанн Златоуст)で呼ばれる[3]。
- 英語では John Chrysostom と表記される。
- 歴史関係の書籍などでは、ラテン語などに基づく慣用形のヨハネス・クリュソストモスが用いられることが多い。
- 日本のカトリック教会関係の文献ではヨハネ・クリゾストモと表記される[4]。
正教会におけるクリュソストモス
正教会では特に崇敬される。固有の祭りに加え、不朽体移動日、他の聖人との合同の祭りなどがある。また正教会に理論的にもっとも大きい影響を残した神学者のひとりであって、その注釈書や説教は現在でもたびたび引用される。たとえば彼の復活祭説教のひとつは復活大祭の奉神礼の一部に取りいれられ、必ず朗読される。
中世半ばから、大バシレイオス、ナジアンゾスのグレゴリオスとともに三成聖者(さんせいせいしゃ、テンプレート:Lang-el, テンプレート:Lang-ru, テンプレート:Lang-en)として合同の祭りをもつようになった。正教会ではこれを「三成聖者大司祭首 聖大ワシリイ(バシレイオス)、神学者グレゴリイ(グレゴリオス)、金口イオアンの祭日」として記憶しており、記憶日は2月12日(グレゴリオス暦換算の日付)である。但し日本正教会では聖体礼儀等の公祈祷で祝われる事は稀である。なお東京復活大聖堂(ニコライ堂)の東面(至聖所)の二枚のステンドグラスはこの三大聖師父のうち、大バシレイオスと金口イオアンのイコンである(南側ステンドグラスが大バシレイオス、北側ステンドグラスが金口イオアン)。
大バシレイオスの制定したとされる聖体礼儀の奉神礼文を簡略化して整備したことでも知られる。ビザンチン奉神礼で通常用いられる「金口イオアンの聖体礼儀」は彼に帰せられるが、現在使われる形は彼より後の付加によって発展したものであると考えられている。正教会に於いて、聖体礼儀は他の奉神礼と同様、歌唱される。
伝統的な旋律・聖歌は東欧を中心とした各地正教会に存在するが、近世以降、「金口イオアンの聖体礼儀」に作曲した作曲家も多数存在する。チャイコフスキー、ラフマニノフ、リムスキー=コルサコフ、などによるものが音楽的に知られる。詳細は「聖歌作曲作品としての金口イオアン聖体礼儀と作曲家」を参照。
歌われる言語は各国地元の言語を主に使う為、現在も聖体礼儀など奉神礼に用いる曲は各地方教会が各々育てている状態であり続けている。
西方への影響
ヨハネス・クリュソストモスは西方教会にも影響を及ぼした。カイサリアのバシレイオス、シリアのエフレム、エウアグリオス・ポンティコスらの著作とともにクリュソストモスの講話・書簡・論考が古今を問わず西方の修道院で個人的に読まれ、また食卓などで公に読まれた[5]。
教会の教えに対するクリュソストモスの影響は現代のカトリック教会のカテキズムにもみられる。カテキズム18番では彼の教説、中でも祈りの目的や主の祈りの意味に関する彼の説明が引用されている: テンプレート:Quote
R.S. Storrのようなキリスト教の聖職者が彼を指して「使徒時代以来真理と愛に関する神の使信を人類にもたらした最も雄弁な説教家の一人」と述べており、19世紀のジョン・ヘンリー・ニューマンもクリュソストモスを「快活で明るい、穏やかな精神;高い感受性を持った心[6]と評している。
脚註
参考文献
- 『諸聖略伝 11月』82頁 - 110頁、日本ハリストス正教会、2004年
関連項目
- コンスタンディヌーポリ総主教の一覧
- 三成聖者
- ズラトウースト(金口イオアンに由来する地名)
- ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト - 彼の正式な洗礼名(ラテン語形)は、Johannes Chrysostomus Wolfgangus Theophilus Mozart
外部リンク
- 聖金口イオアン - 名古屋正教会のページ
- Sainted John Chrysostomos (Zlatoust), Archbishop of Constantinople - HOLY TRINITY RUSSIAN ORTHODOX CHURCHのページ テンプレート:En icon
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- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 『諸聖略伝 11月』82頁 - 110頁、日本ハリストス正教会、2004年
- ↑ 正確を期すならば「イオアン」は「教会スラヴ語のロシア風再建音」と言うべきである。古代の教会スラヴ語においてギリシア語人名 Ἰωάννης の転写である Иоанн が実際にどのように発音されていたのかは現在不明であり、再建音は推測でしかない。そもそも教会スラヴ語をグラゴル文字ではなくキリル文字を用いて表記している段階で、一定の綴りの変化は避けられない。正教会の奉神礼においては、聖歌においても「イオアン」と発音されて歌われる。ちなみにロシア語人名では「イヴァン(イワン)」が同系であり、これが当該人物の聖名である場合、ロシア正教会の奉神礼では「イオアン」、日常生活においては「イヴァン(イワン)」と呼ばれることになる。
- ↑ なお、ウクライナ正教で用いられるウクライナ語では「ゾロトウースティイ(Золотоустий」のように形容詞語尾を伴って表記される場合がかなりあり、ロシア語でもそれと同様「ズラトウーストゥイ(Златоустый)」のように表記されることがないわけではないが、それほど一般的でない。
- ↑ テンプレート:Cite web、テンプレート:Cite web、『YOUCAT(日本語)――カトリック教会の青年向けカテキズム』日本カトリック司教協議会青少年司牧部門訳、カトリック中央協議会、2013年6月30日、ISBN:978-4-87750-174-7、p275など
- ↑ ジャン・ルクレール『修道院文化入門』神崎忠昭・矢内義顕訳、知泉書館、2004年10月25日、ISBN:4-901654-1、p122
- ↑ John Henry Newman, "St. Chrysostom" in The Newman Reader (Rambler:1859) available online (see esp. chapter 2). Retrieved March 20, 2007.