野上彰 (文学者)
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野上 彰(のがみ あきら、本名:藤本 登、1909年2月15日 - 1967年11月4日)は日本の文学者。
人物・経歴
徳島県徳島市南内町出身。寺島尋常小学校(現徳島市立内町小学校)、徳島中学校(現徳島県立城南高等学校)を出て、旧制第七高等学校(現鹿児島大学)から東京帝大文学部に進み、京都帝大法学部に転入。この頃京都の吉田操子の下で囲碁を学ぶ。1933年中退。1937年に安永一らと雑誌『囲碁春秋』発刊。次いで日本棋院で『囲碁クラブ』編集長など事務畑で働き、1942年からは棋道報国会書記長も務めた。しかし戦局が厳しくなり1945年4月で日本棋院からは退任。後に文人碁会も企画した。
川端康成に師事し、戦後、大地書房で編集局長を経て、詩、小説、童話、戯曲、訳詞などの創作活動に入り、戦後、芸術前衛運動を推進。放送劇の主題歌作詞や台本、オペレッタの演出など、多彩なジャンルで力量を発揮した。
著書に詩集「幼き歌」、戯曲集「蛾」、随筆集「囲碁太平記」など多数。オリンピック讃歌の日本語での訳詞を担当した人としても知られる。
著書
詩集
- 前奏曲 東京創元社、1956
- 幼き歌 野上彰詩集 アポロン社 1968
小説
- 囲碁伝来記 天元社、1940
- 軽井沢物語 三笠書房、1959
- 夜の眼 河出書房新社、1964
- 夜の馬 一水社・かもめ新書、1965
戯曲・脚本
- 愛の手 学校劇脚本集 さ・え・ら書房、1949
- 風のバラード(ラジオドラマ新書)宝文館、1955
- 蛾 緑地社、1958
囲碁に関する本(小説を除く)
- 基本定石集(高川格共著)大地書房、1947
- 初学囲碁講座(全3巻)東和社、1949
- 囲碁の急所(高川格共著)実業之日本社、1954
- 囲碁大観 入門から初段まで 実業之日本社、1954
- 定本囲碁講座(全3巻)宝文館、1957
- はめ手・基本手筋・死活――必携囲碁読本 宝文館、1958
- 囲碁実戦読本 実業之日本社、1958
- 入門から初段まで 実業之日本社、1961
- 攻合の急所(本因坊秀格共著)実業之日本社、1961
- 手筋の急所(本因坊秀格共著)実業之日本社、1961
- 囲碁太平記 河出書房新社、1963
音楽
- 愛と死の歌 名曲物語 角川新書、1957
- こうもり ヨハン・シュトラウス作曲 音楽之友社 1967.7
児童書
- 王さまの耳はロバの耳 さ・え・ら書房、1948
- ギリシア・ローマ神話 さ・え・ら書房、1952
- はなものがたり 実業之日本社、1954
- 放送 少年宮本武蔵(全3巻)宝文館、1956
- がらんぼ・ごろんぼ・げろんぼ 宝文館、1957
- ジル・マーチンものがたり 東京創元社、1960
翻訳
- オハイオ河物語 P.クロウフア 中央公論社 1950
- 小公女 フランシス・バーネット 川端康成共訳 創元社、1953 のち角川文庫
- ターザンと密林の叫び E・R・バローズ原作 宝文館、1956
- ターザンと外人部隊 バローズ原作 宝文館、1956
- ターザンと死の踊り バローズ原作 宝文館、1956
- ターザンとジャックの冒険 バローズ原作 宝文館、1956
- ラング世界童話全集 全15巻 川端康成共訳 東京創元社、1958-63
- 疑惑の霧 クリスティアナ・ブランド 早川書房 1958
- アラビアン・ナイト 1-8 ウイリアム・E.レーン 川端康成共著 東京創元社、1960
- あしながおじさん ジーン・ウェブスター ポプラ社、1968
作詞
- 大いなる樫の木に(作曲/清水脩) - 第33回NHK全国学校音楽コンクール高等学校の部課題曲
- 世界の恋人(作曲/芥川也寸志)- 日産自動車社歌・企業CMソング
- 埼玉県立浦和第一女子高等学校校歌(作曲/高田三郎)
- 「夏は光の中にある」
参考文献
- 中野孝次編『日本の名随筆 囲碁Ⅱ』作品社 1992年