清水脩
テンプレート:Portal クラシック音楽 清水 脩(しみず おさむ、1911年11月4日 - 1986年10月29日)は、日本の作曲家。カワイ楽譜(現・カワイ出版)元社長。大阪府大阪市天王寺区出身。
大阪外国語学校(新制大阪外国語大学の前身、現・大阪大学外国語学部)のフランス語科を卒業後、昭和12年(1938年)に東京音楽学校(現・東京芸術大学)選科に入学、橋本國彦に作曲、細川碧らに理論を学ぶ。昭和14年(1939年)、第8回音楽コンクール作曲部門で「花に寄せたる舞踏組曲」が1位入選[1]。
第二次世界大戦後の、日本の作曲界の隆盛に尽力し、顕著な業績を残した。真宗大谷派寺院に生まれ、父が舞楽を行っていたという環境から、日本の音楽に積極的に関心を示し、邦楽器のための作品を数多く残した。また、オペラや合唱にも力を注いだ。清水が残したオペラ、オペレッタは15作、合唱曲は400曲以上に及び、「蓮如」「樹下燦々」などの仏教讃歌もいくつか残している。特にオペラ「修善寺物語」はスタンダードレパートリーとなっており、2009年に新国立劇場で外山雄三指揮(若杉弘病気のため変更)、坂田藤十郎演出で上演されている。合唱の分野では、作曲や出版(後述)、合唱指揮のみならず、厚生音楽運動の推進および全日本合唱連盟の設立に関わっている。
大阪外語学校在学中はグリークラブに所属していた。当時のパートはバリトンであったが、自身の声域はバスであった。かつて名古屋の東海メールクワイアーを指導したとき、D2の低音を楽々発声してみせたというエピソードがある。
作曲家として活躍するかたわら、出版業にも早くから関わった。音楽之友社には設立間もない頃に入社し、『音楽之友』の編集にたずさわっている。カワイ楽譜時代には、合唱曲の出版を精力的に行った。自身の合唱曲については「清水脩合唱曲選集」というシリーズを冠している。カワイ楽譜の倒産後は、音楽之友社が彼の版権を引き受け、「清水脩・合唱曲全集」として1975年から1982年にかけて21巻まで刊行した(この全集に収録されていないものも少なくない)。フランス語に堪能で、理論書の他ベルリオーズの「回想録」翻訳も行なっている。
弟子には、多田武彦などがいる。
主な作品
歌劇
管弦楽
- 花に寄せたる舞踊組曲
- インド旋律による四楽章
- 交響曲1-3番
- 箏と管弦楽のための六段「千鳥」
室内楽・器楽
歌曲
()内の人物は作詩。
合唱
- 日本の花第1集、第2集(大木惇夫)
- カンタータ「蓮如」(土岐善麿)
- 男声合唱組曲「月光とピエロ」(堀口大學/混声合唱版あり)
- そうらん節(北海道民謡)
- カンタータ「樹下燦々」(阿南知也)
- 三つの俗歌(北原白秋)
- 台湾ツウオ族の歌
- 最上川舟唄(山形県民謡)
- 男声合唱組曲「山に祈る」(混声合唱版あり)
- 大手拓次の三つの詩
- 朔太郎の四つの詩
- アイヌのウポポ
- カンタータ「歎異抄」(土岐善麿)
- 男声合唱曲「智恵子抄巻末のうた六首」(高村光太郎/混声合唱版あり)
- 男声/混声合唱組曲「廟堂頌」(長田恒雄)
- 成道讃歌(長田恒雄)
- 君はいま~追悼のうた~(長田恒雄)
- 男声合唱組曲「青い照明」(宮沢賢治)
- 阿波祈祷文(野上彰)
- カンタータ「仏教大師讃歌」
- 黙示(木原孝一)
- 死の淵より(高見順)
校歌
- 北海道室蘭工業高等学校
- 山形県立新庄北高等学校
- 山形県立天童高等学校
- 福島県立小名浜高等学校
- 神奈川県立茅ヶ崎北陵高等学校
- 長野県小諸高等学校
- 大阪府立八尾高等学校
- 兵庫県立宝塚高等学校
- 甲陽学院中学校・高等学校(学院歌)
- 福岡教育大学附属小倉小学校
- 佐賀県立佐賀西高等学校
著書
- 職場に音楽を採り入れる方法(厚生音楽研究会)
- 合唱指導必携(日本音楽雑誌)
- 合唱と合奏の指導(河出書房)
- 簡易楽曲の作曲及び編曲法(河出書房)
- 標準音楽通論(音楽之友社)
- 書き落した楽章(カワイ楽譜)
- 合唱の素顔(カワイ楽譜)
- 基礎音楽通論(カワイ楽譜)
- わがオペラの軌跡(音楽之友社)
脚注
- ↑ 国立音楽大学附属図書館・現音ドキュメンツ作成グループ編『ドキュメンタリー新興作曲家連盟 戦前の作曲家たち 1930~1940』国立音楽大学附属図書館、発行年記載なし、p.408
外部リンク
- 清水 脩・合唱曲全集(合唱アンサンブル.com)
- 清水脩・合唱曲全集(合唱ちゃんねる)
- 慶應義塾ワグネル・ソサィエティー第123回定期演奏会「清水脩の夕べ」 - 清水の十三回忌にあたって企画されたプログラム。「月光とピエロ」など、清水の代表的な男声合唱曲を聴くことができる。