中華まん
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中華まん(ちゅうかまん)とは、小麦粉、水、砂糖、イースト、酵母、ベーキングパウダーなどをこねて発酵させて作った柔らかい皮で具を包み、蒸し上げたまんじゅう(饅頭)の事である[1][2]。
中の具の種類などによりそれぞれ名称も変わり、肉まん[3]、あんまん[4]など多岐にわたる。
概要
日本では中華街に伝わった大正・昭和の頃から各地で食べられており[2]、中華料理店やスーパー・コンビニ・小さな売店における人気のテイクアウト商品となっている。家庭で作られる事は少ないがチルドや冷凍食品は多く販売されており、コンビニエンスストアでは例年8月~9月頃より冬季にかけて、店によっては通年、スチームで蒸し上げた商品を販売している。
一般的には豚肉などを使用した肉まんや小豆餡のあんまんが多いが、近年ではピザまん、カレーまんなど、多様な変り種の中華まんも販売されている(後述)。底の部分にはシート(元々は竹の皮)が付されてることが多く、これは蒸し器とくっ付いてしまうのを防ぐ役割があるが、割って中身を見なくても種類がわかるように「肉まん」や「あんまん」といった文字を入れたシートもある。なお、「○○ロール」と呼ばれる細長い形状の種類も存在している。
豚まん
西日本では肉まんの事を「豚まん」とも呼ぶ、西日本において「肉」といえば一般的に牛肉を指すためである。関西地方の551蓬莱では、初期に牛肉入りの「肉まん」が存在していた。
- 豚まんの日
11月11日を「豚まんの日」として申請しており[5]これは豚の鼻の形にちなんだものとされている。また、その日に「KOBE豚饅サミット」を開催[6]し、神戸をPRしている。
歴史
中華まんの起源は、中国の三国志時代(220年頃)、諸葛亮孔明が作らせたことが知られている[7](「三国志」節で後述)。
日本で最初に登場したのがいつなのかは諸説ある。「中村屋」での発売は、1927年の「天下一品 支那饅頭」が最初で、これは大正14年に同社創業者の相馬夫妻が中国へ視察旅行した際、目に止まった「包子」(パオズ)と呼ばれていた具の入った饅頭を元に、帰国後油っぽかったのを日本人向けのあっさりした味付けに改良し中国人職人を雇ってノウハウを吸収した商品であり、一般の人に親しまれるようになったとしている[7]。
それ以前にも、中華街などの専門店や一部の中華料理店では、本場中国の中華まんが売られていたが、日本人の好みには合わなかったとされる[2]。
神戸中華街(南京町)の「老祥記」の先代は、1915年に「豚饅頭」として売り出した同店の中国包子が日本の中華まんの起こりであるとしている[8]が、現在の日本の中華まんと同一かどうかは定かではない[2]。
主な具の種類
- 肉まん
- 「肉饅頭」の略で、豚肉と、タマネギ、タケノコ、干しシイタケなどの野菜をみじん切りにして煮たものを入れる[3]。干し貝柱・オイスターソース・フカヒレなどを入れることもある。日本ではピロシキの具もこれに近い場合がある。皮の上部にはひねったような模様がつけられ、外見であんまんと区別される。作るときも具をそこから入れて閉じるためという側面もある。
- あんまん
- 小豆のこしあん(ラードや胡麻油で練ることが多い)を入れた、あんまんじゅう[4]。肉まんや他の具材と区別するために食紅で中央に印をつけたものもある。粒あんを用いることもある。
バリエーション
- ピザまん
- 1979年に井村屋が発売した際は「ピザ肉まん」という名称だった[9]。
- 具をトマトケチャップで味付けしたもので本来のピザとは異なる味であったが、近年では中にチーズを入れ、イタリア風のトマトソースを使用するなど、本来のピザの味に近づけたものも多い。
- カレーまん
- 皮にターメリックや着色料などを加え、見た目がカレー色(黄色)をしている。具は肉まんまたは豚まんの具をカレー風味に調味したものや、カレーパンやドライカレーに近いものがある。
- チャーシューまん
- 中国で謂う叉焼包。ダイス状に刻んだ焼豚を具とする。
- サークルKサンクス
- ミニストップ
- かりかりまん 海鮮中華(10月~翌3月ごろまで)
- かりかりドーナツ チーズソーセージ(10月~翌3月ごろまで)
- かりかりまん 豚角煮カレー(10月~翌3月ごろまで)
- かりかりまんチーズラザニア(10月~翌3月ごろまで)
- ファミリーマート
- ローソン
- ミニまんシリーズ - 4種類のミニまんが存在する
- セーブオン
- さくらあんまん
- 牛すじまん
- チーズまん
- 焼いもまん
- セブン-イレブン
- 餃子まん
- ヤマザキ
- 吉野家牛肉まん
- 大同行
- ブラック豚まん
中華まん製造メーカー
タレ・からし
- 九州地方(特に九州北部・熊本県)では、コンビニで中華まんを購入すると、もれなく酢醤油のタレがついてくる。これは九州南部や他地方では見られない独特の習慣で、そもそもタレを用いない地域も多い。九州北部で酢醤油が付くのは、中国で黒酢を付ける習慣が、中華まんが伝わった当時の日本に黒酢が無かった為、酢醤油を使った事による。[10]
三国志
諸葛亮孔明は、南蛮征伐の帰りに風雨で川が氾濫し渡れなかったが、氾濫した川を鎮めようと願うとき水神に人頭を捧げて祭るという南蛮の信仰を、戦いで失われた人命をこれ以上犠牲には出来ないとして、小麦粉を水で練った皮に羊や牛の肉を包んでまんじゅうを作り、人頭に代わって供えて川に投じると見事川は収まったという。これが肉まんの始まりとされている[7]。