城山 (宗像市・岡垣町)
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テンプレート:Infobox 山 城山(じょうやま)は、福岡県宗像市陵厳寺と遠賀郡岡垣町との境にある標高369.3mの山である。宗像四塚の一つであり、宗像地方では知られた山で、また九州でも有名な登山がしやすい山であるため、地元の小学校の遠足などにも利用されている。また、安土桃山時代までは城(山城)だった。城だった頃は、蔦ヶ嶽城(つたがたけじょう)と呼ばれ、難攻不落の城であった。また、戦国大名の宗像氏の居城でもあった。
城山は文化圏・都市圏、方言の境界だとされており、宗像市以西は福岡の文化圏(福岡都市圏)、岡垣町以東は北九州の文化圏(北九州都市圏)となるため、通勤客の流動も城山を境に変わる。ただし、宗像市も岡垣町も北九州・福岡の両都市圏に属している。
地理
- 旧宗像郡と遠賀郡の境にある。
- 登山口が三郎丸と赤間(福岡教育大学)側と岡垣側とある。
- 城山の湧水の味はとても美味しく、宗像一、はたまた日本一の名水と地元では評判である。地酒にも活用されている。
- 冬場は周辺に強い風が吹き、城山おろしとも呼ばれる。
- 植物の種類がとても多い。また、この付近だけの亜種も見られる。
蔦ヶ嶽城の歴史
- 第6代・宗像大宮司宗像妙忠が築城。
- 1336年、足利尊氏が、多々良浜の戦いの際に入城する。
- 1370年に荒廃していた蔦ヶ嶽城を第54代宗像大宮司・宗像氏俊が修築し、入城した。
- 1561年に第79代宗像大宮司宗像氏貞が大改修し、居城とした。
- 1569年、大友氏の家臣の立花氏による侵略を受けるも、撃退する。
- 1586年3月4日に、蔦ヶ嶽城で氏貞が42年の生涯に幕を閉じ、宗像家が断絶する。
- 1588年、九州征伐の帰途で赤間にたちよった豊臣秀吉の命により廃城となる。