自動警戒管制組織
自動警戒管制組織(じどうけいかいかんせいそしき、BADGE:Base Air Defense Ground Environment)は、1969年から2009年まで運用されていた航空自衛隊の防空指揮管制システム。略称はバッジ・システム。自動化された航空警戒管制システムであり、指揮命令、航空機の航跡情報等を伝達・処理する全国規模の戦術指揮通信システム(コンピュータシステム)である。
2009年7月1日に、後継の自動警戒管制システム(JADGE:Japan Aerospace Defense Ground Environment、略称:ジャッジ・システム)に換装された。
概要
初代バッジシステムは、アメリカ空軍の半自動式防空管制組織(SAGE)をモデルとして導入されたもので、日本の領空防衛の根幹となっていたシステムである。全国28カ所に設置された防空監視所(レーダーサイト)や早期警戒機・早期警戒管制機等の警戒監視手段と、4カ所の防空指令所(三沢、入間、春日、那覇)、航空作戦管制所(府中)を通信網で接続し、目標の探知・識別、要撃機や地対空ミサイルに対する目標の割り当て、要撃管制等をコンピュータを使って自動的に行い、領空侵犯を行った国籍不明機に対してスクランブルなどを行っていた。スクランブルの指令は、航空方面隊ごとに設置された防空指令所(防空管制群が管理、運用)により行われた。
バッジ・システムは2回更新され、最初のシステムは1964年12月に日本アビオトロニクス(現:日本アビオニクス、日本電気とヒューズの合弁企業)が主契約社として防衛庁(当時)より受注、1968年3月に完成し、1969年3月26日から運用を開始した。最後のシステムは日本電気が主契約社として受注し、1989年3月30日から運用を開始したものである。
BADGEシステム
ヒューズ社がアメリカ海軍向けに開発した海軍戦術情報システム(NTDS)の改良型である戦術航空火器管制システム(TAWCS:Tactical Air Weapon Control System)をベースとして、日本アビオトロニクス(現:日本アビオニクス)社が航空自衛隊向けにカスタマイズしたものである。1964年12月に受注、1968年3月に完成し、1969年3月26日から運用が開始された。
システムは、基本的に半自動式防空管制組織(SAGE)の構成を踏襲しており、
- 戦術情報処理装置
- 情報処理システム - H-330B迎撃用コンピュータおよびRTS-II追尾用コンピュータ
- マン・マシン・インターフェース(指揮所用大画面およびコンソール)
- 戦術データ・リンク:時分割データ・リンク(TDDL: Time Division Data Link)
- 対空データリンク装置
- 機上データリンク装置
- 地上回線
によって構成されている。
全国24ヶ所に設置された防空監視所(レーダーサイト)がセンサーの役割を担っており、ここで探知された目標情報は地上回線によって防空管制所(CC)に送信され、戦術情報処理装置に入力される。
防空管制所においては、情報融合(All-source fusion)による情勢評価および意思決定が行なわれる。これによって攻撃指令が下された場合、要撃機及び地対空ミサイルの兵力統制も担当する。要撃機に対する指令は、離陸後も時分割データ・リンク(TDDL)によって送信可能であった。これらの情報は、同地域の防空司令所(DC)、また防空管制所および防空指令所を直轄する航空方面隊作戦指揮所(SOC)でも共有されているほか、東京の航空総隊作戦指揮所(COC)及び航空幕僚監部作戦室(ASOOC)とも共有されており、作戦級C4Iシステムとしての性格も有していた。ただし、指揮(command)系列に属する防空司令所(DC)は、本システム、すなわち管制(control)系列に属する防空管制所(CC)とは別個に存在していたことから、現代的C4Iシステムとしての統合は不十分であった。
本システムは、完成当時はアメリカを除けば世界最高と呼ばれる能力を有しており、これを開発したヒューズ社は、北大西洋条約機構のNADGEシステムなど、この当時に世界中で就役しつつあった同種のシステム開発を席巻することとなった。
1969年の運用開始時には、コンピューターの能力による稼働時間の問題や高度700メートル以下の低空侵入に対する弱点がマスコミに指摘されている。
1976年のミグ25事件では、実際に低空侵入・強行着陸を許してしまう事となった。
情報漏えい事件
1960年代前半、最初のシステムの受注をめぐり、米メーカー・日本輸入商社・日本メーカーが3つのグループ、ゼネラル・エレクトリック-三井物産-東芝、リットン-日商岩井-三菱電機、ヒューズ-伊藤忠-日本電気(日本アビオトロニクス)に分かれ競い合った。1963年4月の決定直前に大幅値引きをしたヒューズが130億円で受注した(GEは207億円、リットンは170億円)。その後1966年から1967年にかけて怪文書が出回り、1968年1月に東京地検が伊藤忠を家宅捜索、3月に防衛庁警務隊が航空幕僚監部防衛課長の一佐を逮捕、3日後に上司の空将補が謎の自殺を遂げた。受注を競い合っていた時期に一佐から伊藤忠に膨大な機密情報が漏れたとされ、その後一佐は自衛隊法違反で起訴、実刑となった。最低価格で受注契約したはずのヒューズのシステムであったが、その後電子妨害防止装置などを追加したため、1968年完成時までにかかった費用は当初受注額のほぼ2倍の253億円となった。
- 瀬島龍三(陸士44期卒、伊藤忠取締役業務本部長としてバッジシステム受注競争を指揮、受注競争が始まる直前の1960年に旧陸軍技術将校出身の航空幕僚監部技術情報班長を伊藤忠にスカウト。)
- 浦茂(陸士44期卒、航空幕僚監部防衛部長・バッジシステム導入のための調査団長として、1963年アメリカ視察、最終報告を行う。後に航空幕僚長。情報漏えい事件発覚時は丸紅に天下っていた。)
BADGE改システム
初代システムは、就役当初は世界最高といわれる能力を有していたものの、1970年代後半になると、航空機の性能向上に伴う脅威の増大、および連接されている周辺システムの性能向上に追随しきれなくなってきた。このことから、日本電気を主契約社として、1983年から改修が開始された。
この改修は、下記のようなものであった。
- 全般的な性能向上
- 戦術情報処理装置の処理能力向上
- マン・マシン・インターフェースの改良
- 地上固定回線の光ファイバー化。
- 構成の拡張・効率化
- 新型機への対応
JADGEシステム
航空自衛隊がBADGEシステムを整備してきたのと同様に、陸上自衛隊のC4Iシステムや海上自衛隊のC4Iシステムも並行して整備されてきたが、1990年代においてこれらの自衛隊のC4Iシステムのシステム統合が進められることとなった。この一環として、BADGEシステムは、航空自衛隊の基幹的な作戦級・戦術級C4Iシステムとして生まれ変わることになった。これに基づいて開発されたのが新BADGEシステム・自動警戒管制システム(JADGEシステム)である。研究開発は2002年より開始され、2007年3月20日に入間基地に配備されたのを皮切りに、各基地等の機器の更新が順次行われ、2009年7月1日に正式に運用を開始した[1]。
JADGEシステムとしての主な改修点は下記のとおりである。
- 指揮統制システムとしての機能強化:航空総隊指揮システムの開発・統合。
- 分散処理アーキテクチャの採用。
- 地上回線の強化:作戦用通信回線統制システム(TNCS)の整備。
- 他システムとの互換性強化:防衛省コンピュータ・システム共通運用基盤(Common Operating Environment:略称COE)と防衛情報通信基盤(Defense Information Infrastructure:略称DII)の採用。これにより、同級システムである海上自衛隊の海上作戦部隊指揮管制支援システム(Maritime Operation Force System:略称MOFシステム)や陸上自衛隊の師団通信システム(Division Integrated Communications System:略称DICS)との相互運用性が飛躍的に向上している。
また、JADGEシステムは、ミサイル防衛作戦において、3自衛隊の共通指揮システムとして運用されることとなっている。
登場作品
- 機動警察パトレイバー 2 the Movie - バッジシステムを運用する入間基地の中部航空方面隊作戦指揮所(SOC)が描写されている。
- ガメラ3 - イリス・ガメラとF-15の交戦シーンでバッジシステムを運用する。
脚注
関連項目
- 日本本土防空
- 自衛隊のC4Iシステム
- GCI(地上要撃管制)
- 半自動式防空管制組織
- ミサイル防衛
- レーダーサイト