能登下村藩
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能登下村藩(のとしもむらはん)は、能登国(現在の石川県七尾市田鶴浜町)に存在した藩である。
概要
元禄2年(1689年)6月、信濃国高遠藩主・鳥居忠則の家臣・高坂権兵衛は江戸城の馬場先門の守衛を務めていたが、夜中に密かに旗本・平岡頼恒の長屋を覗いたという罪により逮捕され、主君の忠則にも連座として閉門を命じられた。ところが閉門中の同年7月23日に忠則は急死。逮捕された高坂も取調中に主家に累が及ぶことを恐れて、舌を噛み切って自殺した。このため真相は闇の中となったが、幕府はすでに故人となっていた忠則の家臣団統制がよろしくなかったということから、忠則の後嗣であった鳥居忠英の家督相続を認めず、その所領を没収するに至った。
しかし、鳥居氏は鳥居元忠以来の名族であるという経緯もあって、幕府も取り潰すわけにはいかず、特別の計らいとして忠英に能登国内の内、鹿島・珠洲・鳳至・羽咋四郡の内の1万石を与えて能登下村藩を立藩させた。
元禄8年(1695年)5月、忠英が近江水口藩に1万石加増の上で移封されたため、能登下村藩はわずか6年で廃藩となり、その所領は天領となった。
歴代藩主
鳥居(とりい)家
- 鳥居忠英(ただてる)