福島弓子
テンプレート:存命人物の出典明記 テンプレート:基礎情報 アナウンサー 福島 弓子(ふくしま ゆみこ、1965年12月10日[1][2] - )は、日本の島根県松江市出身[1][2]の元アナウンサー。
姉は元CBC→NHKアナウンサーでフリーアナウンサーの福島敦子[2]、夫はプロ野球選手のイチロー(本名:鈴木 一朗)。
目次
来歴・人物
松江市立朝日小学校に通い、島根県立松江南高等学校時代にはバレーボール部に所属。慶應義塾大学文学部卒業[1][2]後、1989年4月にTBSへアナウンサー第25期生として入社した(同期は斎藤哲也、小笠原保子、小林豊)[3][4]。
入社後は、『三宅裕司のえびぞり巨匠天国』、『クイズランチ』などのバラエティ番組、『JNNニュース1130』のサブキャスターや『ザ・フレッシュ!』、『世界かれいどすこうぷ』などの報道・情報番組の司会などを務めた。スポーツ分野では、『JNNスポーツ&ニュース』や『JNNニュースの森』のスポーツコーナーに出演し、長野オリンピックの現地キャスターなどを歴任した。そのほかでは、番組宣伝や局主催のイベントを紹介する深夜番組『おしえてア・ゲ・ル』に出演したことがある。
コサキンとの関わり
1990年ごろから1998年まで、小堺一機と関根勤がパーソナリティを務めるTBSラジオの番組『コサキン』(番組タイトルは『コサキン快傑アドレナリン』→『コサキンDEワァオ!』)に、度々ゲストとして出演した。スタジオ収録、横浜(野毛山動物園、横浜中華街)での収録、数百人を集めた公開イベントや、さらには小堺の代行も務めた(1998年12月24日放送。小堺が南極地域観測隊に同行した経験を持つ父親とともに南極大陸へ取材に向かったため)。番組内では「ユミー」と呼ばれるなど、出演者・スタッフ・リスナーに親しまれ、関根は番組内で「福島姉妹の中では妹派だ」と宣言していた[5]。
イチローとの出逢い、結婚・引退
1995年の暮れから数回にわたってTBSラジオで放送された『イチローの気持ちはいつもフルスイング』[6]にて、福島はアシスタントを務めた。パーソナリティは当時オリックス・ブルーウェーブの選手だったイチローであり、この仕事がイチローとの交際のきっかけとなった[7]。以降、テレビでも対談したほか、TBSがインタビューを行うときは、イチローは必ず福島を指名するようになった。1997年の8月からは、取材する側とされる側の垣根を越えて個人的な交際が始まり[7]、1999年1月にイチローが福島にプロポーズした[7]。そして、同年3月にTBSを退社[3][4][8]。
同年12月3日(現地時間)、福島とイチローはアメリカ・ロサンゼルス郊外のサンタモニカにあるチャペルで、約20名の親族が立ち会う中、挙式を行った[9] 。帰国後の会見では、新郎・イチローは新婦・弓子について「話すリズムとか価値観とか同じ空間にいて心地よく感じた」と語れば、新婦も新郎について「信頼感のある方と思った」と返し、時折顔を見合わせながら記者の質問に答えていた。
以後、フリーアナウンサー転身等はせず、しばらくは専業主婦に徹する。2000年代後半からシアトル近郊に美容院を出していたが、イチローのヤンキース移籍後には日本人美容師に譲り、手放したという[10]。週刊誌女性自身によれば「近年はシアトルで美容サロンの経営のほか不動産投資も行っており、シアトルで知られた存在になっていた」[11]とあるが、この週刊誌の報道では具体的な数字がどこから出てきたのか不明な点が多々あり、日経産業新聞によるイチローのインタビュー[12] では「投資で生計を立てるのは素人にできることではない」という趣旨の投資に慎重な発言があり、同週刊誌が報道するような巨額の資産を妻とはいえ素人に任せるとは考えにくい。また、同週刊誌は「弓子夫人はイチローの代理人である」とも報じているが、イチローの代理人はメジャーリーグ移籍以降、一貫してトニー・アタナシオである[13][14]。
結婚後はメディアに出ることがほとんど無くなったものの、MLBオールスターゲームの試合前パレードに参加する姿[15]やメジャーリーグ婦人会のボランティア活動やチャリティー活動に参加する姿[16][17]が度々報じられているほか、イチローの食生活に関する記事[18][19]のなかで触れられることが多い。また、2012年シーズンのイチローを追ったドキュメンタリー番組『プロフェッショナル 仕事の流儀 イチロースペシャル2012(同12月29日放送)』では、イチローが福島に支えられていると語る場面が放送された。
イチローがマリナーズからヤンキースへ移籍して以降は、イチローや愛犬・一弓(いっきゅう)と共にニューヨークに在住[20]。イチローのスプリングトレーニング期間中は、イチローや愛犬と共にキャンプ地に暮らしており[21]、現在はイチローのサポートに集中しているようである。
出演番組
ラジオ
- 好奇心の大統領(1989年)[3][4]
- サンデー・ニュース&スポーツ(1989年)[4]
- 時遊人倶楽部(1990年)[4]
- サンデースポーツ(1990年)[4]
- スポーツまるごと60分(1992年)[4]
- ヤンアナジョッキー(1992年)[4]
- バックグラウンド・ミュージック (TBSラジオ、1992年)[4]
- サンデーミュージックリゾート(1993年)[4]
- ひでたけ・ゆみこの AKASAKA ギャッピング[3](1993年[4])
- コサキン怪傑アドレナリン→コサキンDEワァオ! (TBSラジオ、1990年代)
- イチローの気持ちはいつもフルスイング[6](1995年12月2日 - 1996年3月23日、土曜18:00 - 19:00[6][22]。全6回放送[6])
テレビ
- 三宅裕司のえびぞり巨匠天国
- JNNおはようニュース&スポーツ(1990年)[4]
- ぎゃっぷウォーズ(1992年)[4]
- クイズランチ(1992年)[3][4]
- JNNニュース1130(1993年)[4]
- JNNスポーツ&ニュース(1993年)[4]
- 世界かれいどすこうぷ(1993年)[3][4]
- おしえてア・ゲ・ル(1993年)[4]
- ザ・フレッシュ!(『ザ・フレッシュ』[3][4]。1994年[4])
- オンタイム(1995年)[4]
- JNNニュースの森 (スポーツコーナー[2]。1996年[2][4] - 1999年[2])
出演していたゲームソフト
- スーパーパワーリーグ2(ハドソン、1994年) - 『TBSプロ野球情報』(試合終了後の架空の番組)に、キャスターとして声の出演。
脚注
参考資料
- コサキンのひとみと悦子〜BURN THE BRIDGE BEHIND YOU〜(1992年、日音発行、シンコーミュージック発売)ISBN 4401613619
- コサキン新語辞典 ポヨヨ〜ン(1997年、興陽館発行。TBSラジオ編著)ISBN 4877231218
- コサキンことわざ辞典 モレッ(1999年、興陽館発行。TBSラジオ編著)ISBN 4877231293
- スポーツニッポン(東京本社管内発行版)1999年12月4日付
- 毎日新聞(東京本社管内発行版)1999年12月6日付
- TBS50年史(2002年1月、東京放送編・発行)…国立国会図書館の所蔵情報
- アナウンサーになる!(2005年、毎日新聞社発行。著:永井譲治)ISBN 4620317497
- 各種外部リンク
- 女性自身ニュースサイト2012年4月3日付
関連項目
外部リンク
- 1998年当時TBSウェブサイト内に掲載さrたプロフィール - インターネット・アーカイブ1998年1月13日付保存キャッシュ
- 1999年当時TBSウェブサイト内に掲載されたプロフィール(退社後) - インターネット・アーカイブ1999年10月12日付保存キャッシュ
- イチロー、7歳年上の福島弓子元アナと結婚 - 『ZAKZAK』1999年12月3日付(インターネット・アーカイブ2000年11月2日付保存キャッシュ)[23]
- 【12月4日】1999年(平11) イチロー、電撃結婚!挙式はゴルフ場で(野球) - 『スポニチ Sponichi Annex 野球 日めくりプロ野球』2007年12月配信。イチローとの結婚とその後についてつづられた記事。
脚注
- ↑ 1.0 1.1 1.2 外部リンク(TBSウェブサイト内に掲載されたプロフィール)を参照。
- ↑ 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 2.5 2.6 外部リンク(イチロー、7歳年上の福島弓子元アナと結婚)より、福島弓子のプロフィールを参照。
- ↑ 3.0 3.1 3.2 3.3 3.4 3.5 3.6 『TBS50年史』資料編P239を参照。
- ↑ 4.00 4.01 4.02 4.03 4.04 4.05 4.06 4.07 4.08 4.09 4.10 4.11 4.12 4.13 4.14 4.15 4.16 4.17 4.18 4.19 4.20 4.21 『TBSアナウンサーの動き』より、福島の情報を参照。
- ↑ 『コサキン新語辞典 ポヨヨ〜ン』46 - 49ページ、『コサキンことわざ辞典 モレッ』277ページより。
- ↑ 6.0 6.1 6.2 6.3 『TBS50年史』P192に掲載された、ラジオ番組一覧表を参照。
- ↑ 7.0 7.1 7.2 外部リンク『イチロー、電撃結婚!挙式はゴルフ場で(野球)』を参照。
- ↑ 外部リンク『【12月4日】1999年(平11) イチロー、電撃結婚!挙式はゴルフ場で(野球)』を参照。
- ↑ Take five with ... Ichiro Suzuki - Seattle P-I (en:Seattle Post-Intelligencer)、イチローのインタビュー記事 2004年3月29日
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ イチロー夫人「100億円操る」スゴ腕実業家になっていた - 女性自身 2012年4月3日
- ↑ 「耐える力、負けない」 イチローが語る競争世代 - 日経産業新聞 2013年2月14日付
- ↑ Ichiro's career as a Seattle Mariner - シアトル・タイムズ(The Seattle Times)2012年7月23日付ウェブ記事(イチローのキャリアを振り返るフォトギャラリー)
- ↑ Yankees GM Brian Cashman not worried after Ichiro Suzuki’s agent says he’s talked with several other teams - デイリーニューズ (ニューヨーク) 2012年12月1日
- ↑ All-Star Game Red Carpet Show - Zimbio (en:Livingly Media) 2007年7月10日
- ↑ Ichiro's career as a Seattle Mariner - シアトル・タイムズ(The Seattle Times)2012年7月23日付ウェブ記事(イチローのキャリアを振り返るフォトギャラリー)
- ↑ Mariners' wives collect donations for Red Cross - アメリカ赤十字社シアトル支部(Seattle Red Cross)公式Flickr 2011年4月8日
- ↑ 弓子夫人内助の功 節制続けるイチローの食生活 - スポニチ 2011年9月30日
- ↑ 『僕はこんなものを食べてきた。~アスリート最強の食卓~』 - Sports Graphic Number 770号掲載記事 2011年1月20日
- ↑ Change in scenery, standings give Ichiro new life - MLB公式サイトより、イチローのインタビュー記事 2012年8月23日
- ↑ For Yankees’ Suzuki, Spring Challenges Include Alligators - ニューヨーク・タイムズ(The New York Times)、イチローのインタビュー記事 2013年3月2日
- ↑ 『TBS50年史』DVD-ROM『ハイブリッド検索編』に収録された、ラジオ番組のリストを参照。
- ↑ 記事の配信日付は、1999年12月分スポーツニュースバックナンバー(インターネット・アーカイブ2000年3月4日付保存キャッシュ)を参照。