神戸銀行
神戸銀行(こうべぎんこう)とは、現在の三井住友銀行の前身の1つで、兵庫県を中心に店舗を有していた都市銀行である。
概要
1936年(昭和11年)2月に成立した廣田内閣の馬場鍈一蔵相が唱導した「一県一行主義」の下、政府の勧奨により同年12月12日、当時兵庫県内に本店をもっていた41の銀行のうち、資本金、預金高の最も大きくかつ堅実な業績を示していた神戸岡崎・五十六・西宮・灘商業・姫路・高砂・三十八(姫路支店の業務継承)の7行が新設合併し、株式会社神戸銀行として設立された。
- 株式会社三十八銀行
- 明治10年8月に資本金23万円をもつて創立された第三十八国立銀行の後身。本店姫路市。兵庫県本金庫、神戸市金庫等の事務も取扱う。合併時頭取は伊藤長次郎(伊藤財閥)
- 株式会社神戸岡崎銀行
- 大正6年5月に資本金1千万円をもつて創立。本店神戸市。合併時頭取は岡崎忠雄(岡崎財閥)
- 株式会社五十六銀行
- 明治11年3月に資本金5万円をもつて創立された第五十六国立銀行の後身。本店明石市。合併時頭取は米沢吉次郎(二代)
- 株式会社西宮銀行
- 明治24年5月に資本金3万円をもつて創立された私立西宮銀行の後身。本店西宮市。合併時頭取は八馬兼介(八馬財閥)
- 株式会社灘商業銀行
- 株式会社姫路銀行
- 明治29年4月に資本金25万円をもつて創立された株式会社姫路商業銀行の後身。本店姫路市。合併時頭取は牛尾健治(牛尾財閥)
- 株式会社高砂銀行
- 明治29年11月に資本金3万円をもつて創立された株式会社高砂貯蓄銀行の後身。本店高砂市。合併時頭取は松本亀太郎
神戸銀行の中核となったのは岡崎藤吉が1917年(大正6年)5月8日に開業した神戸岡崎銀行である。同行を中枢とする岡崎財閥は岡崎汽船や神戸海上運送保険(同和火災海上保険を経て現・あいおいニッセイ同和損害保険)等全国的な事業展開をしていたため、合併成立後の神戸銀行も、地方銀行ではなく都市銀行とみなされた。したがって大阪、名古屋、東京にもいくつかの店舗が存在したが、とは言えやはり店舗網の大半は兵庫県下に存在していた。
なお、戦時統合で、1942年(昭和17年)には第百三十七銀行(篠山が拠点)を、1945年(昭和20年)には、3月27日に兵和銀行(1941年8月に西播地区の8銀行が合併し発足)・福本銀行・全但銀行・播州銀行を、5月25日に神戸貯蓄銀行を、7月16日に神戸信託を合併した。神戸信託についてはのちに東洋信託銀行(現・三菱UFJ信託銀行)の設立に際し、その事業を譲渡。その後も日本クレジットビューロー(現・ジェーシービー)やオリエント・リース(現・オリックス)の設立に出資するなど、どちらかといえば三和銀行(現・三菱東京UFJ銀行)に近い存在であり、のちにさくら銀行の時代を経て合併する住友銀行とは当時、阪神相互銀行(神戸銀行系)と兵庫相互銀行(住友銀行系)の競合もあり、むしろライバル関係にあった。
ちなみに、阪神相互銀行と兵庫相互銀行はその後、ともども普通銀行に転換して阪神銀行と兵庫銀行となったが、兵庫銀行の経営破綻、ならびに受け皿銀行として設立されたみどり銀行の事実上の2次破綻により、1999年(平成11年)に阪神銀行が救済合併しみなと銀行として「県民銀行」の位置付けを掲げた。加えて、さくら銀行が、住友銀行との合併に際しメガバンクへの脱皮を図る中で、兵庫県内に根ざした取引業務を、みなと銀行にシフトさせる動きも見せた。具体的には、2000年(平成12年)から行われた、さくら銀行によるみなと銀行の子会社化と、さくら銀行兵庫県内店舗のうち24店舗のみなと銀行への譲渡である。
また、1956年(昭和31年)に、但馬地区の大半の店舗を香住銀行(現在の但馬銀行)に営業譲渡を行っている(譲渡しなかった豊岡支店は、後に太陽神戸銀行―さくら銀行を経て現在は三井住友銀行豊岡支店となっている(但馬地区唯一の都市銀行支店)。なお、道を隔てて向かい側には、兵庫銀行―みどり銀行豊岡支店を経て、みなと銀行に受け継がれずに但馬銀行に売却され豊岡東支店となっている店舗がある)。
神戸銀行時代からの流れで、2014年現在でも兵庫県・神戸市の指定金融機関は三井住友銀行が担当している。また、神戸銀行本店は三井住友銀行神戸本部として現存する(神戸銀行本店→太陽神戸銀行本店→さくら銀行関西本部→三井住友銀行神戸本部)。
太陽銀行との合併
神戸銀行設立に際し、中核となった神戸岡崎銀行の社長であった岡崎忠雄は会長に就任、このとき初代頭取には八馬財閥の三代目八馬兼介(八馬家の系列にあった西宮銀行の頭取)が就任した。11年後の1947年(昭和22年)、岡崎忠雄の長女の婿養子となった岡崎忠が2代目頭取に就任し以後20年間頭取を務めた。1967年(昭和42年)、山陽特殊製鋼倒産事件でゆれ動くなか、岡崎忠は神戸出身の元大蔵次官石野信一に後身を懇願、3代目頭取に就任した。
石野の大蔵省時代の先輩でやはり大蔵次官を経験していた河野一之は、関東地方を基盤に発展し相互銀行ながら既に都市銀行並みの規模に肥大化していた日本相互銀行の社長に就任し、1968年(昭和43年)に都市銀行・太陽銀行に転換した。そしてかつて先輩後輩の仲であった河野と石野との“トップ会談”により神戸銀行は太陽銀行と合併することになった。
当時、金融再編の流れが起こりつつあり、日本相銀の普通銀行転換のほか、三井銀行と東都銀行の合併(1968年)、第一銀行と三菱銀行の合併発表(1969年、のちに破談)、それに続く第一銀行と日本勧業銀行の異業種合併に神戸銀行が加わる案もあった。この異業種合併では結局、神戸銀行が離脱し1971年(昭和46年)に第一勧業銀行(現・みずほ銀行)が発足した。これらの流れのなかで都市銀行下位になっていた神戸銀行と太陽銀行が、頭取の旧知の仲も後押しとなって1973年(昭和48年)10月1日に太陽神戸銀行となった。
合併に際し、太陽銀行はリテール・関東地方、神戸銀行は大企業・関西+国際取引に強みがあり相互補完できるとの期待もあったが、言い換えれば水と油のように異なっていた両行でもあり、合併がトップで決まったこと、合併発表から合併までが短期間であったことなどで合併後も長くこの色彩が続くことになった(頭取については、1990年に三井銀行と合併するまで、内部人事を行うことがないまま大蔵省出身者が歴代就任した)。
沿革
- 1936年(昭和11年) - 神戸岡崎銀行、第五十六銀行、西宮銀行、灘商業銀行、姫路銀行、高砂銀行、第三十八銀行の7銀行を母体に設立(いわゆる新設合併)。
- 1942年(昭和17年) - 第百三十七銀行(篠山が拠点)を合併。
- 1945年(昭和20年)
- 1956年(昭和31年) - 但馬地区の大半の12店舗を香住銀行(現在の但馬銀行)に譲渡。
- 1959年(昭和34年)11月2日 - 信託業務を東洋信託銀行に譲渡。
- 1973年(昭和48年)10月1日 - 太陽銀行と合併し太陽神戸銀行となる。
- 1990年(平成2年)7月1日 - 三井銀行に合併し解散。太陽神戸三井銀行(後にさくら銀行に改称)となる。
当時の主な融資系列
- 同和火災海上保険(現あいおいニッセイ同和損害保険)
- 川崎製鉄(現JFEホールディングス・JFEスチール)
- 川崎重工業
- 石川島播磨重工業
- 神戸電鉄
- ミノルタ(現コニカミノルタ)
- オリエント・リース(現オリックス)
- 日本クレジットビューロー(現ジェーシービー)
- 淡陶(現ダントーホールディングス)
- 神栄石野証券(現SMBCフレンド証券)
- 小学館
- アシックス
- バンドー化学
- ノーリツ
- ノザワ
- 山陽電鉄
- 神姫バス
- グローリー工業(現グローリー)
- 山陽特殊製鋼
- 東洋信託銀行(現三菱UFJ信託銀行)
- 日和産業
- 菊正宗酒造
- 白鶴酒造
- 神戸コンピュータサービス(現さくらケーシーエス)
- ファミリア
- 東京衡機製造所(現東京衡機)
- 内外ゴム
- ミドリ十字(現田辺三菱製薬)
- 神戸新聞社
- サンテレビジョン
- ラジオ関西
- ウシオ電機
- 神戸製鋼所
- ワールド
- 富士通テン
- 日本毛織(ニッケ)
- 川西倉庫
- 極東開発工業