神奈川県立横浜平沼高等学校
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神奈川県立横浜平沼高等学校(かながわけんりつ よこはまひらぬまこうとうがっこう)は、神奈川県横浜市西区岡野一丁目にある全日制普通科の県立高等学校。
目次
概要
神奈川県で最初に創立された県立高等女学校が前身。戦前は「県下一の才媛学校」として、県内各地から優秀な女子生徒を集めていた。戦後は男女共学化と小学区制の導入により、徐々にそうした特色は薄れていったが、女子生徒の比率が高い(1学年の定員の6割〜7割)傾向は現在まで続いている。横浜駅より徒歩10分という好立地にあり、入学希望者が神奈川県全域から集まるため、受験倍率は例年高い。なお、かつて併設されていた通信制は、湘南高校通信制と統合され、2008年4月より神奈川県立横浜修悠館高等学校に移管された。
かつてはバスケットボールの強豪で、特に高校総体女子バスケ出場回数は、県内では神奈川県立金沢総合高等学校に次ぐ13回である。
沿革
- 1900年(明治33年) - 神奈川県高等女学校の設立が認可される。
- 1901年(明治34年) - 神奈川県立高等女学校と改称。
- 1907年(明治40年) - 女子師範学校を併置(1927年まで)。
- 1910年(明治43年) - 付属小学校を併置(関東大震災で焼失)。
- 1913年(大正2年) - 『心の掟』[1]制定
- 1916年(大正5年) - 校歌制定。
- 1923年(大正12年) - 関東大震災で校舎が倒壊。
- 1928年(昭和3年) - 二代目校舎が完成。
- 1930年(昭和5年) - 神奈川県立横浜第一高等女学校と改称。
- 1945年(昭和20年) - 横浜大空襲により、臨時の救護病院となる。
- 1948年(昭和23年) - 神奈川県立横浜第一女子高等学校と改称。教育通信部(後の通信制課程)を併置。
- 1949年(昭和24年) - 県立横浜保育園を併置(1990年まで)。
- 1950年(昭和30年) - 男女共学化に伴い、神奈川県立横浜平沼高等学校[2]と改称。校歌の歌詞を改定。小学区制が導入される。
- 1951年(昭和31年) - 女子バスケットボール部がインターハイで準優勝。
- 1954年(昭和34年) - 平翠戦[3]が始まる。
- 1963年(昭和38年) - 中学区制導入。本校は希望ヶ丘、桜丘、戸塚の各校とともに、横浜中部学区に所属する。
- 1981年(昭和56年) - 学区改編。縮小された横浜中部学区に所属する。
- 1992年(平成4年) - 三代目校舎(現在の校舎)が完成。
- 2000年(平成12年) - 創立100周年を迎える。
- 2008年(平成20年)3月 - 通信制閉講。
注
- ↑ 教育勅語の精神を本校の教育の中に生かすことを目標とした、校則ともいうべきもの。終戦後に廃棄される。
- ↑ 実は当時の職員会議で地名に因み「横浜岡野高校」案に固まったが、生徒側が「横浜平沼高校」案を主張し生徒総会で論戦を展開、結局は生徒案に決まった。
- ↑ 神奈川県立横浜翠嵐高等学校との間で行われた体育対抗戦。正式名称は「平沼・翠嵐体育対抗戦」、横浜翠嵐では「翠平戦」と呼ばれた。途中二度の中断をはさんで1980年まで続けられ、25戦で横浜平沼の12勝13敗だった。
校歌
神奈川県立横浜平沼高等学校校歌[1]
- 現行歌詞(1950年改定)
- 学びの道にいそしむは
- 我等が日々のつとめなり
- み空に匂ふ富士の嶺は
- 我等が胸のかゞみなり
- 百船千船つどひよる
- 港の栄えきはみなし
- 栄ゆる春をむかへつつ
- みくにの花と咲き出でん
- 旧歌詞(1916年制定)
- をしへの道のみことのり
- 我らが日々のをしへなり
- み空に匂ふ富士のみね
- 我等が胸のかゞみなり
- 百船千船つどひよる
- 港の栄えきはみなし
- 栄ゆるみよのみめぐみに
- みくにの花と咲き出でむ
部活動
- 運動部
- サッカー部
- 陸上部
- 剣道部
- ソフトテニス部
- 野球部
- バスケットボール部
- ハンドボール部
- 弓道部
- ソフトボール部
- バレーボール部
- 柔道部
- ダンス部
- テニス部
- 応援団
- バドミントン部
- 文化部
- 華道部
- 合唱部
- 写真部
- 演劇部
- 茶道部
- 文芸部
- 軽音楽部
- 吹奏楽部
- オーケストラ部
- 美術部
- 漫画研究部
- かるた部
- Handmade部
- 放送部
- 生物研究部
- 同好会
- 国際交流同好会
- 平沼時報同好会
- 電子科学研究同好会( JA1YOO )
著名な出身者
五十音順
政治・行政
学術・研究
芸能
- 新垣里沙(モーニング娘。)(通信制)
- 大黒まりこ(お笑いタレント、アボカドール)
- 岸恵子(女優)
- 北原遥子(元宝塚歌劇団雪組、女優)※2年まで在学歴あり・JAL123便事故で死去
- 草笛光子(女優)
- 工藤堅太郎(俳優)
- 久留須ゆみ(タレント)
- 小園蓉子(女優)
- 三条ユリーカ(お笑いタレント、アボカドール)
- 高木雄也(Hey! Say! JUMP)(通信制中退)
- 日比野恵子(女優)
- 紅澤葉子(女優)
- 南美江(女優)
- 5代目柳家小せん(落語家)
- 安田ふさ(芸能プロデューサー、由紀さおり・安田祥子姉妹の母)
文芸・芸術
マスメディア
- 斉藤安弘(元ニッポン放送アナウンサー)
- 柴田博(朝日放送アナウンサー)
- 西村知江子(フリーアナウンサー、元ニッポン放送アナウンサー)
- 羽鳥慎一(フリーアナウンサー、元日本テレビアナウンサー)
- 堀潤(フリーアナウンサー、元NHKアナウンサー)
- 吉川美代子(フリーアナウンサー、元TBSアナウンサー)