石垣空港
石垣空港(いしがきくうこう、Ishigaki Airport)は、沖縄県石垣市(石垣島)にかつて存在していた地方管理空港である。年間利用客数は、国内1,674,455人、海外12,046人(2012年度)[1]。海上保安庁第十一管区海上保安本部石垣航空基地が併設されていた。
歴史
- 1943年 地元(沖縄県八重山郡)が、旧日本軍海軍飛行場を誘致・建設。
- 1956年 民間航空による運航開始。
- 1968年 滑走路を1200 mから1500 mに延長。
- 1972年 日本復帰と同時に石垣市管理から沖縄県の管理に移行。
- 1973年 第三種空港に指定。
- 1979年 暫定ジェット化空港(滑走路長1500 m)として供用を開始。
- 2013年3月7日 新石垣空港の開港に伴い供用廃止[2]。
運航路線
いずれも運航最終日(供用廃止前日)時点のものである。
国内線
- 日本トランスオーシャン航空 (JTA)
- 琉球エアーコミューター (RAC)
- 那覇空港
- 宮古空港
- 与那国空港
- 全日本空輸 (ANA) (ANAウイングスの機材・乗務員で運航する便あり)
かつての就航路線
かって就航した会社
- エア・アメリカ 1964年-1967年 南西航空 現日本トランスオーシャン航空が就航する以前。
国際線
- テンプレート:Flagicon 中華民国 : マンダリン航空 (AE)
- 台湾桃園国際空港(定期チャーター便・夏季のみ運航)
- テンプレート:Flagicon 中華民国 : トランスアジア航空 (GE)
- 花蓮空港(チャーター便・夏季のみ運航)※2013年3月をもって運休予定。
行先 | 旅客数 | 国内線順位 |
---|---|---|
那覇空港 | 約139万人 | 14位 |
旅客ターミナル
旅客ターミナルビルは、1961年に供用を開始した建屋(主にJTA・RACが使用、冒頭画像の左奥)と、1990年に エアーニッポン(現 ANA)が設置し供用を開始[4]した建屋(ANAが使用)に分かれていた。
いずれもボーディングブリッジがないため、ターミナルと搭乗機間の移動はバスまたは徒歩となっていた。
- 主にJTA・RACが使用するターミナル : 旅客施設は1階部分を使用し、各社共通の出発・到着ロビー・搭乗待合室などが設置されていたほか、土産物店・売店・レストランが入居していた。また、屋上部分には屋外展望デッキがあった。
- Inside in Ishigaki Airport terminal (JTA & RAC) Ryukyu,JAPAN.jpg
ターミナル内部
- Inside in Ishigaki Airport terminal security check and boarding area entrance (JTA & RAC) Ryukyu,JAPAN.jpg
保安検査場・搭乗待合室出入口
- Ishigaki Airport terminal view deck (JTA & RAC) Ryukyu,JAPAN.jpg
屋外デッキ
- ANAが使用するターミナル : 2階建て構造で、1階に出発・到着ロビーのほか土産物店・売店などが入居、2階には展望デッキのほかレストランが入居していた。
- Ishigaki Airport04s3s4410.jpg
ターミナル内部
- Inside in Ishigaki Airport terminal boarding area (ANA) Ryukyu,JAPAN.jpg
搭乗待合室
交通
旅客便の運航最終日である2013年3月6日まで、東運輸が石垣バスターミナル発着便(西回り(ホテル日航八重山経由)、東回り(全日空ホテル&リゾート経由))を運行していた。
新空港建設
テンプレート:出典の明記 テンプレート:See also 当空港は様々な問題を抱えており、新空港の建設が検討されてきた。1982年には南西航空(現 日本トランスオーシャン航空)のボーイング737-200が滑走路をオーバーランし、炎上する事故も起き住宅密集地の空港への危機感が高まった。同年発表された新空港案は石垣島東部の白保集落沖合いのサンゴ礁を埋め立てるもので地元や自然保護団体から強い反対を受け、1989年に撤回された。その後建設予定地は二転三転し、2000年に島東部の海沿いの陸地が新空港予定地として選定された。
建設推進論
- 今後、乗降客数が増加すると予想され、現在の空港での対応は困難となる恐れがある。
- 滑走路が1,500 mと短く「暫定ジェット化」として運用されており、小型旅客機(廃港時点で就航していたジェット旅客機は、ボーイング737-400・500・700)ですら着陸する際には常に急制動が行われている状態であり、旅客機を運航するのに十分な長さとはいえない。
- 離陸時も航空機の滑走距離と最大離陸重量の兼ね合いから、(特に本土路線において)搭乗客数、搭載貨物数に重量制限が課せられており、福岡を除く本土路線では離陸時重量制限のため本土直行分の燃料が搭載できないため、給油のため他の空港(那覇・宮古)への経由を余儀なくされている。
- 滑走路長との兼ね合いから、上記記載の小型旅客機でしか運航出来ず、小型旅客機においては航空貨物のコンテナ輸送が不可能なため、八重山地域の産業振興・発展に支障をきたしている。
- 石垣空港の北には国指定のフルスト原遺跡があり、南には市街地が広がっているため、現空港の拡張は不可能である。
- 現空港の南側には市街地、住宅地、学校等が存在しており、現在テンプレート:いつでも航空機騒音等により住民生活に強い不安を与えている。空港南側に位置する八重山商工高校、平真小学校では航空機騒音により授業を一時中断するほどの被害があるため、新空港建設は石垣市街地に住む住民から強い要請がある。
建設反対論
- 乗降客数が増加する予想は過大。
- 環境が自慢の観光資源の島で、環境を破壊する大きな開発を伴う。
- 現空港の拡張は可能。
跡地利用
新石垣空港に機能が移転された後の跡地利用が市によって策定されており、県立八重山病院や石垣市消防本部、石垣市伝統工芸館の移転、老人福祉施設や公園の整備などが計画されている。一部の公園については北側に隣接するフルスト原遺跡と一体的に整備されるほか、医療機関との連携において新空港よりも利便性の高い当空港跡地に急患輸送用のヘリポートが整備される見通しである。[5][6]
脚注
- ↑ テンプレート:Cite press release
- ↑ 2013年(平成25年)2月7日国土交通省告示第104号「石垣空港の供用廃止の件」
- ↑ テンプレート:Cite press release上位50位までを記載
- ↑ 石垣空港の沿革 - 石垣市(2013年3月8日閲覧)
- ↑ 現空港跡地計画まとまる 市役所庁舎移転せず 八重山病院、博物館の移転を計画 - 八重山毎日新聞(2012年5月31日付)
- ↑ 現空港跡地にヘリポート 急患搬送で市消防 - 八重山毎日新聞(2012年12月7日付)