琉球エアーコミューター
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琉球エアーコミューター株式会社(りゅうきゅうエアーコミューター、英称:RYUKYU AIR COMMUTER CO.,LTD.、略称:RAC)は、那覇空港をベースに沖縄の離島路線を運航している航空会社であり、日本航空(JAL)グループの構成企業である。
目次
概要
もともとは公共施設地図航空[1]が運航していた那覇 - 慶良間線(2006年に廃止)を1987年に継承したのが始まり。1989年に那覇 - 粟国線を開設して計2路線を運航したが、1991年に南西航空(現・日本トランスオーシャン航空)の増資を受け傘下に入り、その後順次日本トランスオーシャン航空からDHC-6運航路線の移管が始まった。2011年時点では沖縄県内に11の路線を運航している。
JALグループではあるが日本航空と直接の資本関係はなく、厳密に言えば、日本航空の系列会社の日本トランスオーシャン航空 (JTA) の子会社という方が適当であり、またワンワールドのメンバーではない[2]。
沿革
- 1985年12月24日: 琉球エアーコミューター株式会社(RAC)設立。
- 1987年2月17日: 初の就航路線となる那覇 - 慶良間線開設(使用機種・BN-2Bアイランダー)。
- 1989年12月20日: 那覇 - 粟国線開設(BN-2Bアイランダー)。
- 1991年: 南西航空(SWAL、現・日本トランスオーシャン航空 (JTA) 、以下同)からの増資を受け、同社の子会社となり、同時にJALグループの一員となる。
- 1992年11月16日: SWALから、同社のDHC-6就航路線を移管。
- 1997年1月: DHC-6の後継機となるDHC-8-Q100(ダッシュ8)を導入。
- 1997年4月15日: 那覇 - 与論線をJTAから移管、機材はそれまでのYS-11に代わりDHC-8-Q100が就航。
- 1997年7月20日: 現・南大東空港開港により、那覇 - 南大東線にDHC-8-Q100が就航。
- 1997年10月9日: 北大東空港の滑走路が1,500mに延長により、那覇 - 北大東線にDHC-8-Q100が就航。同時に南大東 - 北大東線を開設(ただし那覇 - 南大東 - 北大東 - 那覇あるいは那覇 - 北大東 - 南大東 - 那覇の三角運航)。
- 1997年11月7日: 那覇 - 久米島線開設(DHC-8-Q100)。
- 1999年2月1日: 那覇 - 奄美線開設(DHC-8-Q100、これまでエアーニッポンが就航していたのを継承)。
- 2000年7月21日: 那覇 - 与那国線、石垣 - 与那国線開設(いずれもDHC-8-Q-100で週4日運航)。
- 2002年1月23日: DHC-6が退役(就航していた路線はBN-2Bに変更)。
- 2003年10月10日: 現在の多良間空港開港により、宮古 - 多良間線にDHC-8-Q100就航。宮古 - 石垣線開設(DHC-8-Q100)。
- 2006年3月31日: 那覇 - 慶良間線、石垣 - 多良間線廃止。
- 2006年7月: 那覇 - 宮古線開設(DHC-8-Q100、7月半ば - 9月の季節限定運航)。
- 2007年4月: 社名(略称)ロゴをJALグループ仕様(太陽のアーク)に変更。
- 2007年4月27日: DHC-8-Q300を導入、那覇 - 久米島線と那覇 - 南大東線にそれぞれ就航させた。
- 2007年11月30日: 石垣 - 波照間線廃止。
- 2009年5月31日: 那覇 - 粟国線運休。なお、運休後も6月4日 - 17日の期間、チャーター便が1日2便運航された[3]。
- 2011年4月: JAL同様ロゴを鶴丸に変更。鶴丸内の文字はJALのまま。
- 2013年1月8日: 那覇 - 石垣線開設。
就航路線
使用機材
保有機材
- デ・ハビランド・カナダDHC-8-Q103(ダッシュ8):1997年にDHC-6に替わる大型機として導入した。設立後初の客室乗務員が必要な機材となった。
- デ・ハビランド・カナダDHC-8-Q300(Q300):2007年に導入した。
かつての保有機材
- デ・ハビランド・カナダDHC-6(ツインオッター): 1973年に当時の南西航空が導入した。1992年に同社から移管され、DHC-8-Q103の導入を受けて2002年に退役した。
- ブリテン・ノーマン アイランダー(BN-2B): 設立当時から保有していた機材。需要拡大や機材の老朽化に伴い2009年7月に最後の機体を第一航空に売却し退役した[4]。同機の退役と前後して、DHC-8が離着陸出来ない800m級滑走路の空港(慶良間・粟国・波照間)から撤退している。
塗装
JALグループの一員となってからも長らく独自デザインを使用していたが、3代目からJALグループ各社と統一したデザインに変更している。
- 3代目
- 2007年4月よりJALグループの当時統一ビジュアルイメージであった「Arc of the Sun(太陽のアーク)」となったが、「JAL」が「RAC」(Aの横棒がなくノが入る)に置き換えられ、「RYUKYU AIR COMMUTER」表記を添えたものであった。同年4月導入のDHC-8-Q300はこの塗装で納入された。
- 4代目
- 2011年4月よりJALの鶴丸デザインに変更する。ホワイトボディに「RYUKYU AIR COMMUTER」と斜体字で表記されるが、垂直尾翼の鶴丸はJAL表記である。
機内サービス
- 客室乗務員は基本的に全便1人しか乗務しない。
- ドリンクサービスはなく、キャンディが配られる。
- 機内誌はJTAの「Coralway」のみ搭載され、『SKYWARD』や「JAL SHOP」は搭載されていない。
- 座席のリクライニングはできない。
- オーディオ、ビデオサービスはない。
注意点
運航開始当初は小型機のみの運航であり、設立経緯も異なるなどの事情から、親会社の日本トランスオーシャン航空をはじめ他のJALグループ各社とは異なる点があった。
- 持込手荷物・受託手荷物の重量制限があったが、機材が大型のDHC-8シリーズに統一されたため、これらは撤廃された。
- 各空港の設備が最新のものに置き換えられ、航空券が磁気券に切り替わり、JALのカウンターでそのまま手続きができるようになった。この結果webチェックインやICカード、おサイフケータイ、バーコード読取りによる搭乗などのJAL ICサービスも通常のJAL便と同様に使用でき、事前座席指定も可能となった。
- 以前は、JALマイレージバンク(JMB)のマイル加算対象となる路線は日本トランスオーシャン航空も運航している路線(那覇 - 宮古線、那覇 - 久米島線、石垣 - 与那国線、宮古 - 石垣線)と那覇 - 与那国線のみであり、その他の路線ではマイル加算・特典航空券利用の対象外であったが、2012年7月18日搭乗分より残りの運航路線でマイルが積算され[6]、さらに同年9月1日より特典航空券利用もできるようになった[7]。
JALグループ企業
(グループ企業のうち、航空事業者)
◎JALグループは国際航空連合(アライアンス)「ワンワールド」に加盟しているが、※のある航空会社は経営施策上ワンワールドには加盟していない。
- 日本航空 (JAL)
- 日本トランスオーシャン航空 (JTA)
- ジェイエア (J-AIR)
- 「運送の共同引受」により全便をJAL便として運航。法人名として表記する以外は対外的には「ジェイ・エア」を使用。
- 日本エアコミューター (JAC) ※
- 琉球エアーコミューター (RAC) ※
脚注
関連項目
外部リンク
テンプレート:日本の航空会社- ↑ 一時期、金のペーパー商法で有名な豊田商事を傘下に持つ銀河計画のグループ会社だった。会社自体は現存しており、福井空港での遊覧飛行を行っている。
- ↑ 親子関係は日本航空 - 日本トランスオーシャン航空 - 琉球エアーコミューターとなり、日本航空から見ると琉球エアーコミューターは孫会社である。
- ↑ 事前予約のみで、当日受付は不可。予約は粟国村役場総務課への電話のみ。料金の支払い方法は、村内は役場にて運賃を支払い、村外は村口座へ振込みを行い、振込み領収書を村役場宛にFAX送信する必要があった。粟国村役場
- ↑ 沖縄タイムス2008年11月27日付夕刊記事より。パイロットの退職に伴い現在運航している那覇 - 粟国便を休止し、運用が消滅する。当初2009年10月から運休する予定であったが、大阪の第一航空が2009年6月からの路線引継を表明したため休止を繰り上げた。
- ↑ 新機種の機体にシーサーをデザイン RAC 琉球新報 1997年3月8日
- ↑ ただし、那覇 - 南大東線を北大東経由で同日乗り継ぎする場合、または那覇 - 北大東線を南大東経由で同日乗り継ぎする場合は、南大東 - 北大東間の区間マイルは加算されない。これらの場合、マイル実績には那覇 - 経由地までの区間マイルとして記載される。[1]
- ↑ ただし、北海道・本州・四国・九州と沖縄(那覇、石垣、宮古、久米島)を結ぶ路線2区間と同時に予約することにより5,000マイルの追加で利用出来る「RAC離島路線」は引き続き対象外とされ、通常のマイル数が必要となる。(RAC離島路線の対象は従来からマイル積算対象だった5路線のみのまま。)