河内貴哉

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テンプレート:Infobox baseball player 河内 貴哉(かわうち たかや、1982年1月6日 - )は、広島東洋カープに所属しているプロ野球選手投手)。京都府出身[1]東京都杉並区育ち。

経歴

プロ入り前

京都府八幡市生まれ。幼少期に東京都杉並区に転居し同地で育つ。

高校は、國學院大學久我山高校に進学。1999年夏の西東京大会では決勝で日大三高に敗れ、甲子園出場はならなかった。

テンプレート:NPBドラフトのドラフト1位で大阪近鉄バファローズ中日ドラゴンズと競合の末、広島東洋カープが交渉権を獲得し、入団した。意中の球団は中日だったという。甲子園出場経験のない高校生の1位競合は江夏豊以来33年ぶり。高校生としては球団史上最高の契約金1億円、年俸700万円(金額は推定)で契約した。当時の達川晃豊監督はドラフト会議煙草ラッキーストライクを忍ばせ、抽選で引き当てた際にカメラに向けてアピールした。背番号は前年引退した大野豊の24番を受け継いだ。

プロ入り後

テンプレート:By5月30日読売ジャイアンツ戦でプロ初勝利。高卒新人が巨人戦でプロ初勝利は史上4人目であり、5月までに限ればテンプレート:By5月31日江夏豊以来2人目、到達日としては最速であった[2]。同年のフレッシュオールスターゲームでは、4歳上で同期入団の同僚木村一喜と共にウエスタン・リーグ選抜の先発バッテリーを務め、イースタン・リーグ選抜の先発投手で同じ1位指名の高卒新人左腕正田樹と投げ合った。3回被安打1無失点で勝利投手となり、MVPも獲得した。

テンプレート:Byに自己最高の成績を残し、オールスターゲームにも出場(投手のみならず代走としても出場)。しかし、同年4月には151km/hを計測していた球速が、徐々に140km/h前後に落ち込んだ。

テンプレート:Byにはキャンプでフォームを崩し、制球が定まらず、二軍生活が続いた。

テンプレート:Byは投球フォームをオーバースローからサイドスロー気味に変更した。ウエスタン・リーグで防御率2.51と言う好成績が認められ、9月2日に2年ぶりに一軍昇格を果たす。同日に行われた対ヤクルト戦で3番手で登板し、拙守による2失点で復帰。その後も中継ぎとして15試合に登板し、15奪三振15被安打、防御率1.76とまずまずの成績を残した。オフにサイドスローからオーバースローに戻し、捲土重来を期していたが、結局テンプレート:Byもサイドスローでシーズンに突入。序盤は左殺しとして活躍したが、被安打の多さと制球難が問題となり、後半二軍行きとなった。

テンプレート:By5月に左肩関節唇及び腱板部の修復手術を行った。キャッチボール再開まで半年ほどかかるため、一軍はおろか二軍でも登板がなかった。

テンプレート:Byも前年と同様肩のリハビリで一軍でも二軍でも登板がなく、10月31日に戦力外通告を受けた。球団は回復後の復帰を期待し、11月17日に育成選手として契約を結んだ。

テンプレート:By10月29日、規約により自由契約選手公示がなされたが、11月16日に再び育成選手として契約した。

テンプレート:By5月27日、二軍戦で4年振りの実戦復帰。ソフトバンク戦で打者1人(江川智晃)を右飛に抑えた[3]

テンプレート:Byは二軍で12試合に登板して1勝、防御率2.08の成績[4]を残した。5月16日、支配下選手登録[5]。その後一軍に昇格し、5月23日のソフトバンク戦に登板。2007年5月8日以来1482日ぶりに一軍の試合に登板した。[6] 8月16日のヤクルト戦では、3番手での登板で1回と1/3を無安打無失点に抑えると、降板の直後にチームが逆転。2004年9月4日の中日戦以来、2904日振りに一軍で勝利投手になった[7][8]。シーズンを通して、中継ぎで安定した成績を残した。

テンプレート:Byには、開幕を一軍で迎えると、セントラル・リーグ公式戦への初登板からセ・パ交流戦の序盤まで21試合連続無失点を記録[9]7月5日から脊柱起立筋の挫傷[10]などで2度にわたる戦線離脱を余儀なくされたが、シーズン通算では一軍公式戦で自己最多の34試合に登板した。

プレースタイル・人物

プロ入り当初は最速151km/h (04年) を記録する速球派だったが、怪我の影響で5年間投げ方を模索し、肩に負担の少ない投法としてスリークォーター(サイドスローに近い)でプレートの端からインステップするフォームにたどり着いた。復帰後の2012年は速球は最高で137km/h (12/5/28・マツダ) を記録している。変化球は、変化量の大きいスライダーチェンジアップなどを投げる。

因みに肩関節唇及び腱板部の修復手術をして一軍復帰したプロ野球投手は河内しか居ない。同程度の故障をして6年間リハビリをしていた斉藤和巳が復帰できず引退した事を考えれば、奇跡とも言える復活であった。

同期の苫米地鉄人とは良いライバル関係にあり、その2人を当時の達川監督が「うっちーべっちー」として売り出しを図った。しかし両名とも不振などで一軍定着が出来ず浸透しなかった。

現在はコーチの石井琢朗から「ギラッチ」と呼ばれている。

中学在学中に江夏豊の半生を映像化したテレビドラマで、江夏の中学時代を演じたことがある。

詳細情報

年度別投手成績

テンプレート:By2 広島 10 9 0 0 0 1 4 0 -- .200 188 42.1 55 4 15 1 0 20 2 0 26 20 4.25 1.65
テンプレート:By2 8 6 0 0 0 2 3 0 -- .400 140 29.1 43 5 12 0 2 24 1 0 27 24 7.36 1.88
テンプレート:By2 14 9 0 0 0 1 7 0 -- .125 244 56.2 61 8 22 0 1 53 3 1 32 32 5.08 1.46
テンプレート:By2 7 7 0 0 0 3 2 0 -- .600 170 38.1 37 10 16 0 2 34 0 0 25 23 5.40 1.38
テンプレート:By2 23 23 1 0 0 8 9 0 -- .471 558 119.2 139 18 64 0 6 111 6 0 92 76 5.72 1.70
テンプレート:By2 15 0 0 0 0 0 1 0 7 .000 65 15.1 15 1 6 0 1 15 0 0 5 3 1.76 1.37
テンプレート:By2 14 0 0 0 0 0 0 0 6 ---- 42 9.0 8 2 5 0 3 8 0 0 5 5 5.00 1.44
テンプレート:By2 28 0 0 0 0 1 0 0 3 1.000 73 17.1 12 2 8 0 0 13 0 0 6 4 2.08 1.15
テンプレート:By2 34 0 0 0 0 1 1 0 7 .500 75 17.1 11 2 10 0 3 15 0 0 9 8 4.15 1.21
通算:9年 153 54 1 0 0 16 27 0 23 .372 1555 345.1 381 52 158 1 18 293 12 1 227 195 5.08 1.56
  • 2013年度シーズン終了時

表彰

記録

投手記録
  • 初登板・初先発:2000年5月3日、対ヤクルトスワローズ5回戦(広島市民球場)、5回2失点
  • 初奪三振:同上、2回表に高橋智から空振り三振
  • 初勝利・初先発勝利:2000年5月30日、対読売ジャイアンツ10回戦(広島市民球場)、7回1失点
  • 初完投勝利:2004年4月18日、対読売ジャイアンツ3回戦(広島市民球場)、9回3失点
  • 初ホールド:2006年9月18日、対読売ジャイアンツ19回戦(広島市民球場)、7回表1死に3番手で救援登板、2/3回無失点
打撃記録
  • 初安打:2000年5月30日、対読売ジャイアンツ10回戦(広島市民球場)、2回裏に工藤公康から遊撃内野安打
  • 初打点:2001年7月15日、対読売ジャイアンツ19回戦(東京ドーム)、4回表にダレル・メイから遊撃適時内野安打

背番号

  • 24 (2000年 - 2009年、2012年5月18日 - )
  • 124 (2010年 - 2012年5月17日)

登場曲

脚注

  1. 広島東洋カープ公式サイト
  2. 2001 ベースボール・レコード・ブック 44頁「2000年度の主な記録と出来事」より。
  3. 広島 ドラ1位左腕 4年ぶり実戦復帰 スポニチ Sponichi Annex
  4. 日刊スポーツ・大阪版 2012年5月17日付記事 6版2面「C河内再び支配下登録」より。
  5. 育成 河内貴哉投手 支配下登録選手へ!広島東洋カープ公式サイト
  6. テンプレート:Cite web
  7. テンプレート:Cite web
  8. テンプレート:Cite news
  9. テンプレート:Cite news
  10. テンプレート:Cite news

関連項目

外部リンク

テンプレート:広島東洋カープ テンプレート:広島東洋カープ1999年ドラフト指名選手