沢庵漬け

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季節の風物詩でもある日干しされる大根

沢庵漬け(たくあんづけ)は、大根などで漬けた漬物で、主に日本で食べられる。たくあんたくわんなどとも呼ばれる。

概要

江戸時代臨済宗の僧・沢庵宗彭(1573年-1646年)が考案した[1][2]という言い伝えがある。沢庵宗彭が創建した東海寺では、「初めは名も無い漬物だったが、ある時徳川家光がここを訪れた際に供したところ、たいそう気に入り、『名前がないのであれば、沢庵漬けと呼ぶべし』と言った」と伝えられている。東海寺では禅師の名を呼び捨てにするのは非礼であるとして、沢庵ではなく「百本」と呼ぶ。

沢庵和尚の墓の形状が漬物石の形状に似ていたことに由来するという説もある。

また別の説によると、元々は「じゃくあん漬け」と呼ばれており「混じり気のないもの」、あるいは、「貯え漬け(たくわえづけ)」が転じたものであり[3]、後に沢庵宗彭の存在が出てきたことにより、「じゃくあん」「たくわえ」→「たくあん」→「沢庵和尚の考案したもの」という語源俗解が生まれたともされるテンプレート:要出典

この大根の漬物は、18世紀に江戸だけではなく京都九州にも広がり食べられていた[4]

製法

日本における伝統的な製法では、手で曲げられる程度に大根を数日間日干しして、このしなびた大根を、容器に入れて米糠で1~数か月漬ける。風味付けの昆布や唐辛子、の皮などを加えることもある。

大根を日干し、塩を加えて漬けて水分を減らす事によって大根本来の味が濃縮され、塩味が加わり、米糠の中に存在するデンプンを分解して生ずる糖分によって甘味が増すとともに、徐々に黄褐色へ染まっていく。

しかし、現在商品として流通している大多数の沢庵漬けは、日干し大根の代わりに塩や糖液に漬けて水分を除いた塩押し大根や糖絞り大根を使用することが多く、伝統的な沢庵とは食感や風味が異なる(それぞれ塩押し漬、糖絞り漬などとして区別されることもある)。また、甘味料うま味調味料などを配合した調味液で調味したり、人工着色料で色づけするなどして加工されることもある。これは時代が下るにつれて消費者の嗜好がより甘く低塩分な漬物を求めるようになった事、また大量生産、コスト削減の為に製造工程の短略化を図った事等の帰結である。その一方で、三浦半島三重県伊勢地方、徳島県などでは、伝統的製法による沢庵が今なお商品として生産されており、付加価値が付いた名物となるとともに一定の需要を得ている。

伝統的な糠漬けでは、米糠の中に含まれる枯草菌の産出物によって、ダイコンは徐々に芯まで黄色から褐色に染まる。しかし、菌の作用は地域や環境によって異なるため、沢庵の色は統一されにくく、また、味などの商品の品質も不安定である。したがって、近年大量生産される商品では、糠漬けであってもウコンクチナシ色素を加える事で画一的に黄色く着色したものが主流になっている。

八百屋などで10~20本の沢庵漬け用の干し大根が販売されている。しかし、梅干キュウリなどの糠漬とは異なって数本程度の少量で漬け込む事は困難で漬け込む際の匂いを敬遠する事もあり、沢庵を漬ける家庭はそれほど多くはない。

料理

多くは、糠から取り出したダイコンを水洗いして、糠を落とし、薄切りにして食べる。ご飯のおかずとして食べたり、お茶請けとしても用いられる。千切りにして仕出し弁当の添え物などに用いられることもある。

日干し大根を用いた伝統的な製法の沢庵では、古くなった場合、塩抜きして油いためにしたり、煮物などの料理に使用することがある。

なお、以前たくあんに油分を加えて中華風に味付けしたものを、桃屋が「根菜」として瓶詰めにして販売していたが、姿を消している。

新香巻(しんこまき)

海苔の上に酢飯を乗せ、その上に細切りにした具を乗せて巻き簾を使用して細巻きにした海苔巻き寿司。二等分に切り、さらに二等分もしくは三等分に切って盛り付ける。

いぶりがっこ

「いぶし沢庵」とも呼ばれる。秋田県では、二十日間いぶし続けて燻製にしたダイコンを漬けたものをいぶりがっこと称し(沢庵を燻製にするのではなく、燻製にしたダイコンを漬ける)、伝統的に食べられている[5]

遠州焼き

遠州焼きとは、静岡県西部の浜松市を中心とする地域のお好み焼き小麦粉鶏卵の生地に、地元の三方原大根などで作った沢庵を刻んで加え、豚肉、イカなどとともに焼くもの。キャベツは必ずしも入らない。ソース風味のものと、醤油風味のものがある。ただし、遠州焼きという名称は、他地域の人によるもので、地元では単にお好み焼きと呼ばれている。

サラダパン

滋賀県長浜市では「サラダパン」と呼ばれる、マヨネーズで和えたたくあんの細切りを挟んだ惣菜パンが製造販売されている。

沢庵の枚数

和食料理店などで、おかずの一品として沢庵が二切れ付いてくる事がよくあるが、この沢庵を二切れ出すという習慣は、江戸時代から始まったといわれている。

侍が世の中の中心だった江戸時代、沢庵はおかずに欠かせない定番で、当時、侍に沢庵を一切れ、もしくは三切れだけ出すのはタブーだった。それは、一切れは「人斬れ」に通じ、また三切れは「身斬れ(腹を切れ)」に通じると言われていたためである。そこから、沢庵を二切れ出すという習慣が生まれたという。ただしこの理由は江戸を中心とした武家政権が確立された地区の習慣だとする説もある。

関西では沢庵付けを三切れ出す事は縁起を担ぐ(三方)ものとされ、関西の丼専門店ではあえて三切れの沢庵付けを出す店もある。

日本の刑務所では、沢庵の量は一人当たり二十五グラム前後である[5]

日本国外の沢庵

台湾

日本の統治が長かった台湾にも沢庵漬けがあり、年配者は日本語のまま「タクアン」とも呼ぶが、一般的には台湾語で「鹹菜脯(キヤムツァイポー)」と呼ばれ、現在も根付いている。「菜脯」は本来、台湾、福建、広東潮汕地区に見られる干し大根(蘿蔔乾)を用いた漬物であり、本来は単なる塩漬けに近いものだが、黄色く染め、甘みを加えた日本式の沢庵も同じ名前で親しまれている。薄切りにした「鹹菜脯」は、折り詰め弁当のおかずのひとつとして、また、刻んだ煮こみ豚ばら肉乗せご飯の「滷肉飯」や、嘉義市の「鶏肉飯」などのご飯料理の定番の付け合せとして親しまれている。さらに、刻んだ沢庵は、卵焼きに混ぜて「菜脯卵 ツァイポーヌン」(干し大根で作ることもある)としたり、春巻の具のひとつとするなど、料理の材料としても用いられている。日本が統治していた当時は、徳島県などから供給されていたというが、現在は台湾現地産や中国産が主となっている。

韓国

韓国にも、日本統治時代に沢庵漬けが持ち込まれた。「日帝の持ちこんだもので良かったものは、沢庵だけ」という格言があるほど韓国社会に受容され、現在では広く普及している。日本語のたくあんが朝鮮語式発音に変わった「タカン」または韓国語での造語である「タンムジ」という。「タン」は甘い、「ム」は大根、「ジ」は漬けものの意味。味は甘酸っぱい傾向があるもののほぼ同じ。朝鮮固有のチャンジという漬物もあるが、これは名前通り(チャン=塩辛い)味が非常に塩辛い。また韓国では日本料理店のみならず、洋食を供するレストランでも沢庵漬けが出されることがあるが、これは洋食そのものが日本から伝わったものであるために定着した現象である。

中国

中国において、大根の漬け物は「鹹蘿蔔」と呼び、各地で作られているが、一般には日干しした大根の他にだけを用い、2度漬け込みするか、2度めに唐辛子を加えて辛い味を付けるものがほとんどである。このため、色は白または赤いものとなる。

臭い食べ物の代表例

沢庵は発酵により、外国人など馴れていない者が臭気とも感じる特有のにおいがある。イザベラ・バードは著書の「日本紀行」で、「誰かがこれを食べているときは、同じ家のなかにいられないほどで、これよりひどい臭いはスカンクしか無い」と描写している。 テンプレート:臭い食べ物

参考文献

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

関連項目

外部リンク

テンプレート:Sister

  • 守貞漫稿物類称呼
  • 中国で製法を教わったとする説もあるが、婦人倶楽部昭和四年新年号付録 P385に沢庵宗彭が中国へ渡航した記録は無い
  • テンプレート:Cite book
  • 「料理網目調味抄」・「物類称呼」
  • 5.0 5.1 テンプレート:Cite book