氷川女体神社
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
テンプレート:神社 氷川女体神社(ひかわにょたいじんじゃ、旧字体:氷川女體神社)は、埼玉県さいたま市緑区にある神社。武蔵国一宮を称する。旧社格は郷社。
目次
祭神
主祭神
配祀神
歴史
社伝では、崇神天皇の時代に出雲大社から勧請して創建されたと伝える。
『大日本地名辞書』では『延喜式神名帳』に記載されている式内社「武蔵国足立郡 多氣比賣神社」の論社としているが、多氣比賣神社は桶川市篠津の多氣比賣神社とする説が有力である。
江戸時代には、幕府より社領50石が寄進された。
近世の文書や拝殿の額に「武蔵国一宮」と記されている。これは大宮の氷川神社と当社、および中山神社(簸王子社)の三社を一体のものとして、大宮の氷川神社が武蔵国一宮であることから当社もそれに含まれると解釈したものである(後述)。現在は、氷川神社とともに「全国一の宮会」に加盟している。
見沼周辺の氷川3社
神社名 | 別名 | 主祭神 | 続柄 |
---|---|---|---|
氷川神社 | 男体社 | 須佐之男命 | 夫 |
氷川女体神社 | 女体社 | 奇稲田姫命 | 妻 |
中山神社 (中氷川神社) |
氷王子社 (簸王子社) |
大己貴命 | 子(孫) |
元の見沼付近に位置する当社と氷川神社、中山神社は直線上にある。太陽は夏至に西北西の氷川神社に沈み、冬至には東南東の氷川女体神社から昇るという、稲作で重要な暦を正確に把握するための意図的な配置となっている。また、3社の関係は右表のようになる。
これらから、3社で一体の氷川神社を形成して見沼を神池「御沼」として広大な神域を有していた、とする説がある[1]。
境内
- 磐船祭祭祀遺跡
摂末社
本殿裏手に複数社鎮座する。
文化財
重要美術品(国認定)
- 三鱗文兵庫鎖太刀 1口 - 昭和23年4月27日認定
埼玉県指定有形文化財
- 三鱗文兵庫鎖太刀 1口(工芸品) - 昭和47年3月28日指定(国の重要美術品認定のものと同じ)[2]
- 氷川女体神社神輿 1基(工芸品) - 昭和47年3月28日指定
- 牡丹文瓶子 一対(2口)(工芸品) - 昭和48年3月9日指定。東京国立博物館に寄託
- 紙本墨書大般若波羅蜜多経 539巻(典籍) - 昭和47年3月28日指定
- 氷川女体神社社殿 1棟(建造物) - 昭和51年3月30日指定
さいたま市指定文化財
- 氷川女体神社古社宝類 一括(工芸品) - 昭和44年5月21日指定
- 神明宮扁額 僧公遵書 1面(書跡) - 昭和63年3月28日指定
- 北条氏綱制札 1通、北条氏印判状 1通(古文書) - 昭和36年3月31日指定
- 氷川女体神社社領寄進及び朱印状 12通(古文書) - 昭和54年3月28日指定
- 氷川女体神社の名越祓え - 昭和60年3月28日指定
- 氷川女体神社磐船祭祭祀遺跡 - 昭和54年3月29日指定
- 氷川女体神社社叢 - 昭和40年7月1日指定
現地情報
所在地
交通アクセス
脚注
参考文献
- 青木義脩 『氷川女体神社』(浦和市郷土文化会、1975年)
- 『氷川女体神社』(さきたま出版会、1984年)
- 野尻靖 『氷川女体神社 浦和』(さきたま出版会、1995年、ISBN 4878912480)
- 井上香都羅 『みむろ物語―見沼と氷川女体社を軸に』(さきたま出版会、1998年、ISBN 4878911123)
関連項目
外部リンク
テンプレート:神道 横- ↑ 『大宮のむかしといま』大宮市(1980年11月発行)。
- ↑ さいたま市内・指定登録文化財一覧による。本節に列挙した他の物件についても同様。