歩荷
歩荷(ぼっか、ボッカとも記す)は、運搬形態および運送形態の一種で、山岳のような体力的もしくは地勢的の難所において人間が背中に荷物を背負って徒歩で運搬すること。また、それを職業とする人。
テンプレート:Anchor(ごうりき、剛力とも)は歩荷や登山案内を生業とする日本古来の運送業者であるが、ヒマラヤ山脈等での登山の際に重い荷物の運搬を請け負う運送業者としてのシェルパも、定義から外れない。
概要
歩荷と言えば、背中に背負子(しょいこ)をつけ、それに箱詰めなどした荷物を何段にも重ねて乗せて運搬する形態であり、北半球の一部地域に見られる古来のものであるが、山岳部等で重い荷物を背負う運搬形態として、他の一般的なものに、紐で額に引っ掛けて背負う形がある。アフリカや南アメリカではむしろ一般的なこの形態を「歩荷」と呼ぶと定義している字引的資料は見当たらないが、拡大解釈で俗に「歩荷」と呼ばれる場合があることは考えられる。
背負子による歩荷
背負子の場合、1回の運搬量は数十kgになることもしばしばである。日本では多くの強力が活躍していた富士山や立山では、100kgを超える荷物を背負って標高3,000m程度の高所まで登る者も存在した。新田次郎の小説『強力伝』は、花崗岩製で重さ50貫(約187.5kg)の2基、30貫(約112.5kg)の2基からなる展望図指示盤(風景指示盤)を標高2,932mの白馬岳山頂に白馬大雪渓ルートで担ぎ上げた強力の実話を基に書かれている[1][2](富士山の卓越した強力であった小見山正が1941年(昭和16年)8月に行った実話[1][2]に基づく創作作品であり、多少の脚色はある)。現在の日本においてはほとんどの歩荷は男であるが、かつては女の歩荷も特に珍しくはなかった。野口英世の母親の野口シカも、一時期であるが歩荷をやっていた。
日本における歩荷
運搬・運送の形態としては原始的で、かつて日本ではどの地方でも見られたが、自動車などの交通具の普及や道路・鉄道の発達、人件費の高騰などから徐々に減少し、20世紀後半には、山小屋など直接自動車道がない場所に物資を運搬するときのみに使用されるようになった。しかもその後、山小屋でもヘリコプターによる輸送が可能となり、現在、恒常的に歩荷を専門の職業とする人を見ることができるのは、尾瀬の尾瀬ヶ原地区と白馬岳の夏山期のみとされている。ただし、山小屋の従業員やアルバイト従業員が臨時に歩荷の仕事をすることは、現在でも各地の山域で見られる。
また、科学的な目的として、かつては山岳の山頂に測量のための標石を設置する際にも歩荷が行われていたが、昨今では新たに標石を設置・交換することは稀であり、歩荷の機会そのものが減っている。ただし、測量の際には技術者が山頂まで徒歩で機材を運ぶことがあり、歩荷の機会が完全になくなったわけではない。また、山岳での高層気象観測も機会が減りつつある上に、山小屋と同様に多くの場合はヘリコプターによる輸送に切り替わっている。
脚注・出典
参考文献
関連項目
- 小見山正 (強力) とその娘・小宮山妙子 (強力)(金時娘) :強力として有名な父娘。
- 運送業者としてのシェルパ
- テンプレート:仮リンク(cf. ポーター)
- テンプレート:日本語版にない記事リンク :テンプレート:日本語版にない記事リンク を背負って商品を運ぶ、ドイツの行商的運搬人。
- 飛脚
- 駕籠
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