林家三平 (2代目)

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テンプレート:存命人物の出典明記 テンプレート:ActorActress 2代目林家 三平(はやしや さんぺい、本名:海老名 泰助(えびな たいすけ)、1970年12月11日 - )は、東京都台東区根岸出身の日本落語家タレント出囃子は『祭りばやし』。二代 林家三平と表記されることもある。

落語協会真打。かつてはタレントとしてホリプロにも所属していた。ねぎし三平堂堂長。英語が得意であるばかりでなく、中国語もできる。左利き

来歴・人物

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花菱は、林家三平一門の定紋である。

初代林家三平海老名香葉子の次男。祖父は7代目正蔵。兄は9代目正蔵。長姉は美どり、次姉は泰葉。義兄は峰竜太。甥は下嶋兄。母方の伯父は釣竿職人の中根喜三郎。父は二代目が9歳のときに死去した。東京都立竹台高等学校を経て中央大学経済学部国際経済学科を卒業。

落語の師匠は、初代より一門を相続した林家こん平である。後見人として泰葉の元夫である春風亭小朝(三平曰く、「元お兄ちゃん」)がいる。芸風としては爆笑王である父とは異なり本格派を指向している。三遊亭王楽3代目桂春蝶2代目林家木久蔵月亭八光との五人の通称『坊ちゃん5』として落語会を開催する等の活動を行っている。

2005年大銀座落語祭より中国語落語に挑戦し、2005年秋には中国青島での高座に上がった。演題は、2005年「時蕎麦」、2006年「動物園」、2007年「お菊の皿」。

2011年に、時代劇『水戸黄門』での共演が縁で、女優の国分佐智子と結婚することとなり[1]、同年3月22日に入籍した。

略歴

襲名

2009年3月21日鈴本演芸場で2代目を襲名した。以後全国各地で襲名披露興行催行。

これに先だって2009年3月8日に両国国技館で三平襲名記念公演「日本全国感謝の会」を開催した。

エピソード

テンプレート:出典の明記

  • 子供時代(素人時代)、毎年5月に、神奈川県横浜市で開催の「横浜みなと祭国際仮装行列」をテレビ中継放送するテレビ神奈川(tvk)の番組に、ゲストとして母親と姉や兄が出演した時期の数年、一緒に出演していた事もある。(後年、母親と子供時代(素人時代)にゲスト出演した時期も数年あった)
  • 元落語家の伊集院光とはマネージャーが同じだったことがあり、親しくしている。
  • こん平一門に正式に入門するまでは豆三平などの名前で高座に上がった。
  • 大学在学中の1992年に、初代の声をサンプリングし、ハウスミュージックに乗せたCD「Jungle House 3 Gas」をプロデュースした。(ジャングル・ハウス・スリー・ガス。初代が高座でくすぐりとしていたネタで、「林・家・三・屁」の直訳)
  • タレントの坂井真紀は中学生時代の同級生。一時期坂井に恋心をいだいたときもあったという[1]
  • 5代目三遊亭圓楽は一門以外にはほとんど稽古を付けないが、三平(当時・いっ平)に対し一度だけネタの「お血脈」の稽古をつけた。数時間を越える稽古であらすじだけでなく、5代目圓楽による芸談や、お血脈のあらすじの元となっている仏教血脈話を教わることになった(5代目圓楽は寺の息子で、仏教に詳しい)。くすぐり等は春風亭小朝に稽古を付けてもらった。5代目圓楽に付けてもらった稽古をテープに録音しており、三平自身の宝物になっている。
  • 二姉・泰葉と小朝の離婚会見に同席させられた。会見の席で小朝は、三平と兄正蔵は本音として会見に同席したくなかったということを明かしており、三平自身も離婚には反対していたことから、会見では困惑を隠さなかった。小朝は三平襲名興行には毎日ではないがつきあった。
  • 趣味はサーフィンなど。
  • テンプレート:要出典範囲

主な出演

テレビ番組

テレビCM

ラジオ番組

ラジオドラマ

映画

  • あした元気にな〜れ!(2005年、声優、大兄ちゃん(忠吉)役)
※この映画は、母・香葉子の空襲体験を基にした絵本が原作となっている。

DVD

英語落語のDVDと、公共機関広報のDVDとが出ている。

演じた俳優

脚注

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外部リンク

テンプレート:ホリプロ

テンプレート:パナソニックドラマシアター 水戸黄門 主要キャスト
  1. 林家三平と国分佐智子が婚約 共同通信 2011年1月22日閲覧
  2. ゲストの北野武と安住紳一郎アナが海老名家を訪問ロケした際に出演
  3. ゲストの北野武と安住紳一郎アナが海老名家をアポ無し訪問ロケした際に出演