松倉重信
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松倉 重信(まつくら しげのぶ、天文7年(1538年)? - 文禄2年7月7日(1593年8月3日)?)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。筒井氏の家臣。名は勝信(かつのぶ)とも。通称右近。嫡男は後の肥前国島原藩主松倉重政。筒井家の家老松倉政秀の次男とされるが、重信と勝信は別の人物とも言われており詳細は不明。生年は大永7年(1522年)、没したのは天正14年3月7日(1586年4月25日)ともいわれる。
島清興(左近)と並んで筒井氏の両翼と目され、「右近左近」と称された。また森好之の森氏も加えて、「筒井の三家老」とも称される。
本能寺の変の際には主君・筒井順慶へ有名な「洞ヶ峠の日和見」の献策をしたとも伝えられている。順慶没後、後を継いだ筒井定次が伊賀国へ転封となった際に従い、伊賀名張に8千石余を領した。後、豊臣秀吉に接近し、大和国吉野に8千石余を領したとの記録がある。