東京・生活者ネットワーク
東京・生活者ネットワーク(とうきょう・せいかつしゃネットワーク)は、東京都で活動する地域政党・政治団体である。略称ネット、生ネ。また、頭の「東京・」が省かれた形である「生活者ネットワーク」、「生活者ネット」とも呼ばれる。東京都内の生活クラブ生活協同組合の代理人運動部門である。
概要
1977年、東京都練馬区で生活者ネットの前身である「グループ生活者」が結成され、以来現在に至る。
市民の政治改革を目的におく生活者ネットの独自ルールの1つに、議員の「ローテーション」(交代)があり、所属議員の任期は最長3期までと定めている。これにより特権化を防ぎ、広範囲に参加者を求めることを目的としている。ただこの「ローテーション」は必ずしも円滑に機能してはおらず、選挙前に現職が離党して再度立候補し当選する一方で、公認候補が落選する例も出ている[1]。
基本方針・路線は神奈川ネットワーク運動などに類似する。国政では緑の党グリーンズジャパンを支持する[2]。かつては民主党を支持していたが2001年以降「非拘束名簿」が導入された比例区については、制度の改悪であるとして態度表明をしていない。 自治体議会では、民主党や社民党と統一会派を組むこともある[3]。世田谷区、小平市、武蔵野市などでは、区・市長与党的立場に立っている。
構成員は女性が中心で、所属都議会議員および区・市議会議員も全員が女性である。なお、各区・市の生活者ネットの支部組織はそれぞれ「○○・生活者ネットワーク」(○○の部分に区や市の名前が入る)と称する。現在議席を持っていない区や市においても、これらの支部組織が残っている場合もある。
沿革
- 1977年、東京都練馬区で生活者ネットの前身であるグループ生活者が結成された。
- 1985年、都議選に挑戦した北多摩第2区(国立市・国分寺市・小金井市:当時)で、初の都議誕生。
- 1989年、東京都に食品安全条例を求める直接請求運動を市民団体とともに全都で展開。55万筆を集めた市民立法による条例案は否決されたが、これを機に東京都の食品安全行政は大きく前進。都の消費生活条例に「都民の権利」明記、食品安全対策基本指針の策定などを実現し、後の東京都食品安全条例(2004年制定)へとこぎつける牽引車の役割を果した。
- 1991年東京都知事選挙では都議会で会派を組む日本社会党の推薦候補大原光憲を支援したが供託金没収の憂き目。社会党都議団は同選挙で現職として再選した鈴木俊一と政策協定。
- 1993年、政党内の右傾化に反発した福士敬子(杉並区議会議員)らは離脱し「自治市民'93」を結成(福士は1999年から都議)。
- 1995年東京都知事選挙では鈴木後継で与野党相乗りの石原信雄を社会党が推薦した事に反発、自主投票。都議会会派も独立。同選挙で当選した青島幸男とは比較的良好な関係だった。
- 1995年、第17回参議院議員通常選挙で初めて国政候補者への推薦・支持を表明。東京都選挙区の新党さきがけ新人中村敦夫と日本社会党新人鈴木喜久子を推薦、無所属新人で(数ヵ月後に市民リーグ結成し代表委員、総理大臣指名選挙で惨敗する)海江田万里が擁立に尽力し二院クラブからも推薦された見城美枝子支持。
- 1996年、第41回衆議院議員総選挙で結党間もない旧民主党を支援。
- 1999年、元代表の上原公子が国立市長選挙で当選し、国立市長に就任。
- 1999年東京都知事選挙では(青島から後継指名受ける)民主党都連初代会長鳩山邦夫を全面的に支援、生活者ネット前代表で前々年まで北多摩第2区選出都議を連続3期12年務めた池田敦子が副知事候補だった。同選挙で初当選した石原慎太郎が再選を目指す2003年東京都知事選挙では樋口恵子、2007年東京都知事選挙では浅野史郎と民主党系候補を支援。
- 2007年4月、東京都知事選挙において浅野史郎を支援するも落選。都議会補欠選挙世田谷区選挙区において1議席獲得し、4議席となった。
- 2007年の第21回参議院議員選挙において、前代表である大河原雅子(元都議会議員)が民主党公認候補として、東京都選挙区から立候補しトップ当選。間接的に国政に議席を持つことになった。
- 2009年7月12日の東京都議会議員選挙では、選挙協力した民主党が躍進した煽りを受ける形で議席を減らし、2議席(他推薦で1議席)となった。
- 同年の第45回衆議院議員総選挙では、小選挙区17名・比例単独1名(石毛えい子)の民主党公認候補に加え、民主党候補との選挙区調整で鞍替えした保坂展人(東京都第8区、重複立候補、社民党公認)と有田芳生(東京都第11区、重複立候補、新党日本公認)を推薦・支援した[4]。しかし推薦した民主党小選挙区候補は東京17区早川久美子除き全員勝利(早川は比例復活、石毛も当選)したのに対し、保坂・有田は小選挙区で敗北、比例でも所属政党が議席を得られず当選させる事は出来なかった。
- 2011年4月、東京都知事選挙は協力関係にある民主党が推薦候補者擁立を見送ったため自主投票。
- 2012年12月、第46回衆議院議員総選挙でも民主党を支援したが惨敗。同日投開票となった東京都知事選挙では宇都宮健児を支持するも落選。
- 2013年6月の東京都議会議員選挙では現職2名のほか新人1名が当選し3議席となった。
- 2013年7月の第23回参議院議員通常選挙において緑の党グリーンズジャパンと政策協定を結び公認候補予定者2名を推薦することを決定した。推薦した候補予定者はいずれも緑の党グリーンズジャパン公認のすぐろ奈緒(全国比例)と田口まゆ(全国比例)である[2]。また東京都選挙区では民主党の公認を取り消され無所属で立候補した大河原を支援した。いずれも落選した。
- 2014年1月、同年2月の東京都知事選挙については「脱原発」を掲げる候補が複数名名乗りを上げたため、前回の都知事選で支持した宇都宮健児を党としては支援せず、自主投票となった[5]。しかし都議会議員3名は独自に細川護煕を支援した[6]。両名とも落選した。
現況
2013年7月現在、東京都議会に3議席を有する。 2010年3月現在、区部では11の区に19人、市部では21の市に33人の議席を有している。
脚注
- ↑ 東村山市議会では2006年11月まで2議席を有していたが、3期目の市議島崎洋子が東村山駅西口再開発事業等市政に関する意見相違もあり引退を拒否し、離党。1人会派「市民自治の会」として活動。2007年4月の統一地方選挙東村山市議会議員選挙に無所属で立候補し当選した。一方ネットは1期目の桑原理佐に加え新人の大塚恵美子を擁立し、2議席回復を図った。選挙の結果大塚は当選するも桑原が落選し、議席回復はならなかった。選挙後島崎は自民党会派に合流した。大塚は民主党会派に入会したが、民主党会派が国政選挙等を経るにつれ党支部組織化の傾向を強めたことなどから会派離脱。無党派議員と別の会派を結成していたが、現在1人会派となり民主党との連携は行っていない。一方の島崎は自民党会派を離脱後1人会派を経て、大塚との会派を解消した民主党市議および矢野穂積、朝木直子と会派を組むに至っている
- ↑ 2.0 2.1 テンプレート:Cite web
- ↑ ただし、一部の市議などには自民党と協力する姿勢も見られる。生活者ネット所属だった西東京市議会議員保谷七緒美は、2009年2月の西東京市長選に自民党推薦で出馬する事を表明し2008年9月、生活者ネットを離脱。民主党・生活者ネットほかが推薦する現職坂口光治と争う構図となった。保谷は落選したが、2010年の西東京市議会議員選挙に再立候補し当選。市議選立候補に際して再び自民党の推薦を得、当選後は自民党会派に所属している。
- ↑ 東京・生活者ネットワークHP8月30日の総選挙に向けて
- ↑ 東京都知事選挙について - 東京・生活者ネットワーク
- ↑ テンプレート:Cite news