李肇星
テンプレート:政治家 テンプレート:中華圏の人物 李 肇星(り ちょうせい、リー・ヂャオシン、1940年10月20日)は中華人民共和国の外交官、政治家。第9代外交部長(外務大臣)、第16期中国共産党中央委員を経て、現在は第11期全国人民代表大会常務委員会委員・全国人民代表大会外事委員会主任委員を務める。
略歴
1964年に北京大学を卒業し、中国外交学会職員として勤務。北京外国語大学大学院でも学んだが、1968年、文化大革命により山西省、江西省などに下放された。
1970年、駐ケニア大使館員として復職。外交部情報局勤務が長く、報道局長を経て、1990年に外交部部長助理(次官補)となった。その後、1993年に国際連合大使、1995年に外交部副部長(次官)となり、1998年3月16日、駐アメリカ合衆国全権大使に就任する。
2001年1月、副部長として外交部に戻る。2003年3月17日、第10期全国人民代表大会第1回会議において温家宝内閣が成立し、李は外交部長(大臣)に任命された。
2007年4月27日、全国人民代表大会常務委員会の決定により、李は外交部長を退任。2008年3月の第11期全人代第1回会議において全人代常務委員、全人代外事委員会主任委員に就任。
2012年12月31日、新設された非営利団体「中国公共外交協会」の初代会長に就任した[1]。
主な発言
(「日本の援助が無くても、中国はいける」「中国人民は自分の力、知恵、決心そして自信を頼りに、自分の国家を建設することができる」)―小泉純一郎首相(当時)が「中国もODAは卒業すべき時だ」と発言したことを受けて。
(「中国政府はこれまで日本人民に申し訳が立たないような、謝らなくてはならないことをしたことがない。大事な問題は、日本政府が中国人民の感情を傷つけた一連の行為だ。」)―3週連続で反日デモが開催され、一部が北京大使館、上海総領事館に投石など破壊行為をした件で、町村信孝外相(当時)に謝罪を求められて。
(「あるドイツ政府当局者が、『日本の指導者がこの様な事をなぜできるのか、この様な愚かで不道徳なことをするとは、ドイツ人も理解できない』と言っていた。これはドイツ人が言っていたことだ。彼らは、第二次大戦以降ドイツの指導者のだれも、ヒトラーやナチス党員を崇拝する人がいなかった、と言っている」)―両会開催中の外交方針に関する記者会見場で。記者は東シナ海のガス田について質問したのだが、激昂し演説となった。原稿はあらかじめ用意しており、日本関連の質問が出たら話す予定だった模様。
著書
- 李肇星、ジョセフ・E・スティグリッツ、ジョージ・ソロスほか『混乱の本質』(徳川家広訳、土曜社、2012年)
脚注
外部サイト
- Li Zhaoxing(英語)
- [1](中国語)
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- ↑ 「有利な国際世論形成へ「中国公共外交協会」設立」、2012年12月31日21時14分、Yomiuri Online。