伊丹城
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テンプレート:Infobox 伊丹城(いたみじょう)は、有岡城(ありおかじょう)ともいう兵庫県伊丹市にある城。国の史跡に指定されている。
概要
南北朝時代、摂津国人の伊丹氏によって建築され、文明4年(1472年)には改築され、それまでの伊丹城が日本最古の天守台を持つ平城となった。
しかし、天正2年11月5日(1574年11月18日)、荒木村重によって攻め落とされ、のちに伊丹氏の伊丹城を大改修し、有岡城に改称した。
荒木村重は後に謀反を起こし、有岡城は織田信長に攻められて落城することになる。
この時の詳しい戦いの様子は有岡城の戦いを参照。
大坂城や江戸城などにもあった惣構えの最古(2005年現在)の遺構が発掘された。城の東側を流れる伊丹川との間は崖になっており、さらにその東側には駄六川と猪名川が流れており、これらの河川が天然の要害となっていた。
伊丹城・有岡城の略史
- 南北朝時代:伊丹氏により築城。伊丹城と称する。
- 天正2年(1574年):荒木村重が城を落として大改修。ついで、有岡城と改称。
- 天正7年(1579年):村重謀反により織田軍に攻められ落城。
- 天正8年(1580年):池田之助が城主になる。
- 天正11年(1583年):之助が美濃に転封されることにより、廃城。
- 明治26年(1891年):鉄道敷設の為、当城東側破壊。
- 昭和50年(1975年):発掘調査開始。
その後史跡公園として整備され、現在に至る。
現在確認可能な残存遺構
- 石垣
- 土塁
- 井戸跡
- 堀跡
など。
その他
- 黒田如水は当城内にあった牢内に幽閉されていた時期があった。
- 信長に反旗を翻し城に籠もっていた城主の村重は、家宝の茶壺である兵庫壺を背負い、名鼓「立桐筒」を腰に結わえ、少数の家臣と共に尼崎城に移ったという。逃亡という説もあるが、その後有岡城が直ぐに落城しなかったところから、同盟を結んでいた毛利と連絡を図るためとの説がある。残された家臣は堅城を恃みによく戦ったがついには内応により落城する。
- 猪名野神社の紋章は村重を従えていた織田家の家紋(織田木瓜)である。
- 城跡南東には「荒村寺」と言う村重の由来を感じさせる寺があり、伊丹城・有岡城で亡くなった人達の慰霊碑がある。
- 城跡南西には「墨染寺」と言う寺があり、謀反後に処刑された荒木家由来の人々の墓がある。
所在地
- 本丸跡
- 兵庫県伊丹市伊丹2丁目(JR伊丹駅西側。有岡公園内)
- 岸の砦跡(北曲輪の跡)
- 兵庫県伊丹市宮ノ前3-6-1(猪名野神社境内西側)
など。その他市内各地に遺構がある。
関連作品
小説
- 『黒田如水』(吉川英治)
- 豊臣秀吉の片腕として活躍した如水の半生を描く。村重によって伊丹城に幽閉された前後を著している。
- 『反逆』(遠藤周作)
関連項目
外部リンク
- 伊丹市ウェブサイト 有岡城跡
- 伊丹市ウェブサイト フロイスも驚いた名城・伊丹城
- 惣構の北端「岸の砦」が置かれていた猪名野神社
- 有岡城(Web版尼崎地域史事典『apedia』)
- 有岡城跡/伊丹市公式ホームページ