曽田雄志
テンプレート:存命人物の出典明記 テンプレート:サッカー選手 曽田 雄志(そだ ゆうし、1978年7月5日 - )は、北海道札幌市生まれの元サッカー選手。現役時代のポジションはフォワード、後ディフェンダー。Jリーグ・コンサドーレ札幌職員。
大学卒業後に加入して以来9年間に渡って一貫して同クラブに在籍し、特に2002年以降のチームの波瀾万丈の中に常に身を置き続けたことから「ミスター札幌」[1]「ミスターコンサドーレ」[2]と呼ばれたほか、時折見せる(良くも悪くも)神憑り的なプレーからサポーターからは「ソダン」(ジネディーヌ・ジダンにちなむ)、「ネ申」(神)の愛称でも親しまれた。
来歴
小学校4年生のときにもみじ台西小学校でサッカーを始める[3]。北海道札幌南高等学校卒業後、1997年に一般入試で筑波大学体育専門学群へ入学。3年生からフォワードのレギュラーポジションを獲得、4年生のとき関東大学リーグでベストイレブンとなったほか、全日本大学選抜にも選ばれた。筑波大学の同期には羽山拓巳、小野隆儀らがいる。
2001年1月19日、J1に昇格したばかりのコンサドーレ札幌に加入。当初はフォワード登録だったが、2002年シーズンに入るとディフェンダーとして起用され、シーズン中盤からはフォワードとしても出場した[3]。2002年11月30日に開催された同年度J1セカンドステージ第15節、サンフレッチェ広島戦でハットトリックを達成した[4]。
2005年は一時池内友彦にレギュラーを奪われることもあった。しかし徐々にDFとしての経験を積み、2007年にはブルーノ・クアドロスとコンビを組み、ブルーノ欠場中も安定感を見せるとともに自己最多となる7得点を挙げた。しかし同年腰、膝を故障して以降試合出場数は減少していった[1]。
2008年4月2日に札幌ドームで行われた対川崎フロンターレ戦(J1第4節)では交代枠を使い切った後にゴールキーパー高木貴弘がレッドカードを受けた際にゴールキーパーを務め、全ポジションでの公式戦出場を経験した[5]。
2009年11月17日、コンサドーレ公式HPにて、現役引退を発表。11月29日、札幌ドームでの対横浜FC戦ではフォワードとし途中出場し、1得点を決めた[6]。
2010年1月29日、コンサドーレ札幌アドバイザリースタッフに就任することが発表された[7]。
2011年6月7日、川でおぼれている男性を救助した[8]。
プレイスタイル
中学校卒業まではトップ下兼ボランチ、高校ではボランチとMF一筋だった。 大学2年生時に監督からFW転向を命じられて才能が花開き、Jリーガーとなった。 DFにコンバートされたのがプロ入り後で、ディフェンスラインの統率や、相手のプレッシャーがかかった場面でのボールの扱いは不安定であった。しかし、幼稚園の時に跳び箱13段を跳んだ[3]というジャンプ力を生かした空中戦での強さがあった。 2006年、2007年のJ2リーグでは、2年連続で空中戦ランキングでリーグトップ(J-STATS OPTAによる)を記録しているテンプレート:要出典。
セットプレイの際に前線に上がることが多い。2005年は彼が前線で相手DFをひきつけて、シャドーストライカーのように飛び出した池内が点を決めることが多かった。また劣勢時の試合終盤にFWとしてプレイすることがあり、「ソダン大作戦」と呼ばれた[3][9]。
引退後の活動
引退後は、コンサドーレ札幌のアドバイザリースタッフおよびサポーターズ持株会の理事に就任(いずれも2010年~)。また、現役時代から「人格者」として評判が高く、引退後はその特性を生かして企業、行政、教育機関での講演講師を多く務めている。その他、札幌市シティプロモート戦略会議のメンバーに名を連ねる(2010年〜)など、その活動は多岐に渡る。
2011年3月の東日本大震災後、被災地支援の活動を開始。アスリートが持つ「忍耐力」「向上心」「献身性」という精神が復興への強い力になると信じ、アスリートに声掛けを実施。2011年4月にアスリート19名の賛同を得て支援団体「EN project Japan」を設立し、代表に就いた。同団体では、募金活動を始めとしたチャリティーイベントの開催、アスリートによる被災地訪問など、継続的な支援活動を行なっている。
個人成績
テンプレート:サッカー選手国内成績表 top テンプレート:サッカー選手国内成績表 th |- |1999||筑波大||15||-||colspan="2"|-||colspan="2"|-||1||0||1||0 |- |2001||rowspan=9|札幌||23||rowspan=2|J1||9||0||0||0||1||0||10||0 |- |2002||rowspan=2|18||23||4||6||0||1||0||30||4 |- |2003||rowspan=5|J2||38||4||colspan="2"|-||3||1||41||5 |- |2004||rowspan=6|4||38||2||colspan="2"|-||4||0||42||2 |- |2005||40||1||colspan="2"|-||1||0||41||1 |- |2006||35||1||colspan="2"|-||5||0||40||1 |- |2007||45||7||colspan="2"|-||0||0||45||7 |- |2008||J1||3||0||1||0||0||0||4||0 |- |2009||J2||1||1||colspan="2"|-||0||0||1||1 |- |||VANKEI||||||||||colspan=2|-|||||||| テンプレート:サッカー選手国内成績表 通算始35||4||7||0||2||0||44||4 テンプレート:サッカー選手国内成績表 通算行197||16||colspan="2"|-||13||1||210||17 テンプレート:サッカー選手国内成績表 通算行colspan="2"|-||colspan="2"|-||1||0||1||0 テンプレート:サッカー選手国内成績表 通算終232||20||7||0||16||1||255||21 |}
記録
著作
- 『生きているから生きてゆける』 (エイチエス2010) ISBN 4903707237/電子書籍版(Dopub)
注釈
外部リンク
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