日本貨物航空
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日本貨物航空株式会社(にっぽんかもつこうくう、テンプレート:Lang-en-short)は、総合物流企業である日本郵船グループの空運部門を担当する、国際線貨物専門航空会社である。
機材はノーズカーゴドアを持つ大型貨物専用機ボーイング747-400Fとボーイング747-8F (ジャンボフレイター)に統一されている。一般航空貨物を輸送する貨物専門航空会社としては世界有数の運航規模を誇る。
目次
沿革
- 1958年(昭和33年) - 日本郵船、大阪商船、商船三井などにより貨物専門航空会社の設立が構想される[1]。
- 1970年(昭和45年) - 日本郵船らは、国際貨物分野への参入を研究していた全日本空輸 (ANA)、川崎汽船、山下新日本汽船、日本通運らのグループと合流する[1]。
- 1978年(昭和53年)9月27日 - 日本貨物航空株式会社が上記会社の共同出資(各社10%ずつ)にて設立される[1][2]。しかし事業免許が取得できず就航まで長期間を要する。
- 1983年(昭和58年) - 運輸審議会の答申結果(国際線貨物便の複数社参入支持)を受け、定期航空運送事業免許を取得。海運2社(昭和海運、ジャパンライン)が参加。日本通運は免許取得上の課題(貨物混載事業者の経営参加)により離脱。
- 1984年(昭和59年)12月17日 - 初号機ボーイング747-200F(機体記号 JA8167)をボーイング社より受領。同年国際航空運送協会 (IATA) への加盟承認。
- 1985年(昭和60年)
- 1998年(平成10年)
- 2003年(平成15年) - IATA CARGO2000正会員へ昇格(2001年(平成13年)4月より準会員として加盟)。
- 2004年(平成16年) - 香港に現地法人NLV (NCA Logistics Venture) 社を設立、三国間貨物輸送を強化。
- 2005年(平成17年)
- 6月15日 - ボーイング747-400F初号機 (JA01KZ) をボーイング社より受領。6月欧州線に投入。
- 8月5日 - 日本郵船がANA所有の株式を取得して持ち株比率を50%以上とし、日本郵船の連結子会社とした。
- 11月 - 次世代主力機ボーイング747-8Fを発注。カーゴルックス航空とともに同型機のローンチカスタマー[3]となる。同時にカーゴルックス社と8F導入に向け提携。
- 2006年(平成18年)3月 - ボーイング747-400Fにより従来給油のためアンカレジに寄航していた欧州路線の直行を開始。
- 2007年(平成19年)
- 1月 - 日本における営業・運送の中核となるNCA Japan社が営業開始。以降世界4極 (Japan, Asia Pacific, Europe, America) における事業体制を構築。
- 2月 - シンガポールに設立された貨物専門航空会社ジェットエイト (Jett8) 社と戦略的提携。
- 3月 - ボーイング747-400F/-8F対応型フライトシミュレーターを発注[4]。
- 4月 - 羽田空港第4滑走路の供用を開始する2010年(平成22年)10月以降、羽田空港への深夜・早朝帯(23時 ― 6時)に貨物定期便を就航させることを表明。
- 6月 - IATA常設委員会であるCargo Committeeメンバー(世界有力12社)に選出。
- 7月 - ボーイング747-400Fの整備体制を自社にて確立(200FについてはANAへ委託継続)。
- 10月 - 成田空港内に運航管理部門の拠点となるグローバルオペレーションセンター (GOC) を開設。
- 2008年(平成20年)
- 1月 - 成田国際空港整備地区内に整備用ハンガーを建設・着工[5]。
- 3月28日 - 成田 - サンフランシスコ - ロサンゼルス間のKZ152便の運航をもって、ボーイング747-200Fが退役 (JA8181) し、フリートはボーイング747-400Fに統一される[6][7]。
- 4月1日 - 運航業務ならびに整備業務を完全自立化し、航空会社としての自社オペレーション体制が確立される。
- 4月 - 運航 (i-Sky) ・運送 (i-cargo) ・整備 (i-Macs) 情報システムを新規に構築・運用開始。
- 6月 - 日本国政府手配による四川大地震救援物資を中華人民共和国成都双流国際空港へチャーター輸送。
- 2009年(平成21年)
- 2010年(平成22年)
- 3月2日 - 日本航空の航空貨物部門との統合を断念[10]。
- 2012年(平成24年)
- 7月25日 - ボーイング747-8F (JA13KZ) をボーイング社より受領。デリバリーフライトで、8月2日に成田に到着(便名:KZ696便)。この機体で、同社の新塗装が初めてお披露目された。
- 8月13日 - 先述の受領したボーイング747-8F (JA13KZ) が初めて同社の営業路線に就航。初便は、成田-ロサンゼルス(便名:KZ108便)。
- 11月5日 - 成田~ダラス・フォートワース線就航開始。
- 2013年(平成25年)
- 1月9日 - ボーイング747-8F (JA12KZ) をボーイング社より受領。合計2機目。デリバリーフライトで、1月11日に成田に到着(便名:KZ696便)。
- 4月8日 - ボーイング747-400F (JA02KZ) が成田-シカゴ(便名:KZ134便)の運航を以て退役(シカゴの空港到着後、退役)。同機は日本貨物航空では8年足らずの運航となり、同社で初めて退役するボーイング747-400Fとなった。
- 5月11日 - ソウル線の復路便(ソウル/仁川 → 東京/成田)において北九州に寄港開始。往路は従来通りソウルへ直行する。
- 11月2日 - ボーイング747-8F(JA11KZ)をボーイング社より受領[11]。
- 11月20日 - ボーイング747-8F(JA14KZ)をボーイング社より受領[12]。
- 11月21日 - 台北/桃園線の復路便(台北/桃園 → 東京/成田)において北九州に寄港開始。往路は従来通り台北へ直行する。
今後の事業計画
- 2014年4月以降の5年間で、ボーイング747-400Fを全機退役させ、ボーイング747-8Fに統一する予定[14]。
概略
- プリフィックス(航空運送状番号) : 933
- 拠点(ハブ)空港 : 東京/成田、大阪/関西
就航路線
- 東京/成田 - 大阪/関西、北九州(ソウル/仁川、台北/桃園線の復路のみ寄港)、ソウル/仁川、上海/浦東、台北/桃園、香港、バンコク、シンガポール、サンフランシスコ、ロサンゼルス、シカゴ、ダラス・フォートワース、ニューヨーク/ケネディ、アンカレッジ、アムステルダム、フランクフルト/ハーン、ミラノ
- 大阪/関西 - バンコク、シンガポール
- 香港へは就航当初は、啓徳空港(閉港)発着だったが、同年7月6日のチェクラップコク国際空港開港により変更。
- ソウルへは就航当初は、金浦国際空港発着だったが、2001年(平成13年)3月の仁川国際空港開港により変更。
- バンコクへは就航当初は、バンコク国際空港(現・ドンムアン空港)発着だったが、2006年(平成18年)9月のスワンナプーム国際空港開港により変更。
過去の就航路線
不定期便実績(主要空港のみ)
- 東京/成田 - 札幌/新千歳、インディアナポリス、アトランタ、ダブリン
- 2003年(平成15年)からインディ・レーシング・リーグ (IRL)主催インディカー・シリーズ「インディジャパン300」レースマシン輸送の公式企業に選定されている。
保有機材
現役機材
NCAの機材は以下の航空機で構成される(2013年(平成25年)4月、日本籍のボーイング747-400F型とボーイング747-8F型を運航しているのは同社のみである)。 2014年4月以降、5年間でボーイング747-8F型に統一する予定で、ボーイング747-400Fは随時退役となる。
- ボーイング747-400F(純貨物型)- 7機[15]
- この型式には社内公募により各機に愛称が付与されている。
- ボーイング747-8F - 4機[21]
- JA13KZ 1号機
- JA12KZ 2号機
- JA11KZ 3号機
- JA14KZ 4号機
導入予定機材
- ボーイング747-400F - 2機発注中。残りの2機は以下である。機体番号は予約登録されているが、同社への納入は当初の予定どおりでなく、先送りとなった[22][23]。
- なお、JA09KZとJA10KZの2機については2014年4月以降、5年間でボーイング747-8Fに統一されることに伴い、同社に導入されることなく退役となる見込み。
- ボーイング747-8F - 2機発注中(+6機オプション)
- 発注していた14機は導入に先立ち、機体記号が予約登録された。カスタマーコードは全て-8KZFである。カーゴルックス航空とともに747-8Fのローンチカスタマー[3]であり、ボーイング社への開発協力を行っている。日本籍を有する初めてのボーイング747-8型(-8KZF)となった。
- JA11KZ - JA21KZ, JA23KZ - JA25KZ(1号機 - 14号機、2012年(平成24年)より随時納入)
退役機材
(注)機体記号後の括弧内数字は導入順。
- ボーイング747-200F(純貨物型)
- JA8167 (1) 、JA8168 (2) 、JA8172 (3) 、JA8188 (4) 、JA8191 (5) 、JA8194 (6)
- ボーイング747-200SF(旅客機改修型[30]、ノーズカーゴドアなし)
- JA8192 (8)[31] 、JA8181 (9) 、JA8182 (10) 、JA8190 (11)
- ボーイング747-100SRF(旅客機改修型[32]、ノーズカーゴドアなし)
- JA8158(7)
- ボーイング747-400F(純貨物型)
- JA02KZ (2)[33]
路線展開
- 1985年(昭和60年) - 東京/新東京(現名称・成田)、サンフランシスコ、ニューヨーク/ケネディ
- 1986年(昭和61年) - 香港/啓徳(後に新空港に移転のため撤退)
- 1987年(昭和62年) - シンガポール
- 1988年(昭和63年) - アンカレッジ、アムステルダム
- 1989年(平成元年) - バンコク(現・ドンムアン)(後に新空港に移転のため撤退)
- 1990年(平成2年) - ソウル(現・金浦)(後に新空港に移転のため撤退)
- 1991年(平成3年) - シカゴ、ロサンゼルス
- 1993年(平成5年) - ミラノ
- 1994年(平成6年) - 大阪/関西、クアラルンプール(後に撤退)
- 1996年(平成8年) - マニラ(後に撤退)
- 1998年(平成10年) - 香港、ポートランド(後に撤退)、上海/浦東、ロンドン/スタンステッド(後に撤退)
- 2000年(平成12年) - フランクフルト(後に撤退)
- 2001年(平成13年) - ソウル/仁川
- 2005年(平成17年) - 名古屋/中部(後に撤退)
- 2006年(平成18年) - バンコク/スワンナプーム
- 2007年(平成19年) - 北京(後に撤退)
- 2011年(平成23年) - 台北/桃園[34]
- 2012年(平成24年) - フランクフルト/ハーン、ダラス・フォートワース
- 2013年(平成25年) - 北九州(ソウル/仁川線、台北/桃園線の復路のみ寄港)
日本郵船と航空事業
戦前、日本郵船は客船による旅客運送事業を主力事業のひとつとしていたが、同時に当時揺籃期であった航空事業に対しても積極的な参加を図っていた。例として、日本郵船は1938年(昭和13年)に設立された国策航空会社である大日本航空(1945年(昭和20年)、敗戦による航空禁止命令により解散)の主要株主であった。なお同社の初代取締役会長として当時日本郵船社長であった大谷登が就任している。大日本航空の定期航空路は東アジア主要都市をカバーしており、客船航路と相互補完的な関係を持っていた。
戦後、日本郵船においてはスピードに優る航空輸送に顧客を奪われた客船事業に代わり、貨物船による貨物輸送事業が主力となった。しかし貨物船事業においてもスピードに優る航空貨物輸送に収益性の高い貨物が徐々に移行するという事態が生じ、同社が貨物専門航空会社設立を進める要因となった。
上記のように、歴史的に日本郵船は航空事業参入への意欲が非常に高く、最終的にNCAの経営権をANAより取得した背景のひとつとして考えられる。
航空事故
1985年(昭和60年)就航以来、事故による損失機はない。
その他
- 2008年(平成20年)1月の業界誌において、「日本航空の貨物事業部門と提携を行うため調整をしている」と報道されたが、日本貨物航空はこの報道を「事実と異なる」として強く否定した[36]。しかしその1年後の2009年(平成21年)1月、両社はコードシェア提携を合意し、2009年(平成21年)3月29日よりコードシェア貨物便の運航が開始された[37]。
- 2010年(平成22年)12月、ボーイング747-400型機の退役を進めている日本航空の代わりに、航空自衛隊が所有する日本国政府専用機の運航免許取得業務を受託した[38]。
注釈
外部リンク
- ↑ 1.0 1.1 1.2 『航空三社 第4の成長産業』、佐藤朝泰、28頁
- ↑ 2005年(平成17年)には全日本空輸と日本郵船が同比率で筆頭株主となっており共同経営体制となっていた。
- ↑ 3.0 3.1 日本貨物航空側の都合により、納入を延期することになった。これにより、この権限はキャセイパシフィック航空に譲ることとなった。
- ↑ テンプレート:PDFlink - 日本貨物航空 2007年(平成19年)3月26日
- ↑ 『NCA 整備用ハンガー(格納庫)着工』自立化に向け、2009年(平成21年)5月供用開始の予定 - 日本貨物航空 2008年(平成20年)1月21日
- ↑ この退役により同社の保有機から航空機関士が必要とされる3人乗務機が消滅した。
- ↑ ボーイング747-200型最後の製造機体を運航していた(機体記号 JA8194 2007年(平成19年)1月退役)。
- ↑ テンプレート:PDFlink
- ↑ 『東京国際空港(羽田空港)への就航について』 - 日本貨物航空・プレスリリース 2009年(平成21年)7月13日付
- ↑ 日航・日本郵船、航空貨物の統合断念を発表 - asahi.com(朝日新聞社)2010年(平成22年)3月2日
- ↑ 日本貨物航空、JA11KZを受領 747-8テストベッド機の引き渡し完了 - Flyteamニュース
- ↑ 日本貨物航空、4機目の747-8Fを受領 成田に到着へ FlyTeam 2013年11月21日付
- ↑ 13.0 13.1 『月刊エアライン』2012年(平成24年)10月号、イカロス出版
- ↑ 日本貨物航空、747-8F統一へ 2014年4月から5カ年の中期計画
- ↑ 当初契約していたボーイング747-400BCF(改造機)4機はキャンセルされ400Fへ切り替えられた。
- ↑ NCA Phoenixについては、生まれ変わるNCAの象徴として命名(中期経営計画"Phoenix Project"より)。
- ↑ なお、JA02KZまでは、ANAを通して発注・受領した機体や、元ANAの旅客型だった機体を貨物機に改修し、NCAに移管した機体であったため、ボーイング社製航空機の顧客番号(カスタマーコード)は、ANAのコードである81の機体となっており、航空機の型式名は747-481F, 747-281F, 747-281 (SF), 747SR-81 (F) となっていたが、ANAの共同経営体制離脱以降に発注し、2006年(平成18年)に引き渡されたJA03KZ以降は、初めて直接ボーイングに発注し、直接受領することになったため、ボーイング社から新たに顧客番号(カスタマーコード)としてIATA航空会社コードと同じKZが与えられ、今後の型式番号は747-4KZFなどになる。
- ↑ 2009年(平成21年)5月8日より、NCA初の特別塗装「NCA グリーンフレイター(Green Freighter)」として就航。
- ↑ 「NCAグリーンフレイター」の運航開始 - 日本貨物航空 2009年(平成21年)5月1日
- ↑ ANA(機体番号 JA783A)・JAL(機体番号 JA738J)のボーイング777-300ERとともにボーイング史上初の日本主要航空会社3社向けの新造機同日デリバリーとなった。
- ↑ 最初に納入されたのは、同社のボーイング747-8Fの3号機(JA13KZ)となった。
- ↑ ベルギーのブリュッセルを拠点とする航空貨物運送会社Cargo B Airlinesにリースしていた。
- ↑ テンプレート:PDFlink - 日本貨物航空
- ↑ この型番はボーイング747-400ERF となる。
- ↑ 2012年(平成24年)現在、エアブリッジ・カーゴでVQ-BHEとして使用されている。
- ↑ この型番はボーイング747-400Fの最終生産機である。
- ↑ この機体は、Cargo B AirlinesのOO-CBDとしてリースされていた。
- ↑ 法政航空部の歴史 - 法政大学体育会航空部
- ↑ JA Search:JA22KZ 登録情報
- ↑ ANAが導入した旅客型のボーイング747-200B型機を改修した機体である。
- ↑ 1989年(平成元年)にブリティッシュ・エアウェイズ(旧ブリティッシュ・カレドニアン航空)から購入した機体(元G-CITB)だが、元をただせばロイヤルヨルダン航空が導入したもの(元JY-AFS。1981年(昭和56年)製造、1987年(昭和62年)売却)なのでモデルネームは-2D3Bである。また、この機体はANA保有のボーイング747で唯一、アッパーデッキへの階段が螺旋状だった。
- ↑ ANAが導入した旅客型のボーイング747-100SR型機を改修した機体である。
- ↑ 日本貨物航空では初めて退役したB747-400F型機となった。愛称は、「NCA Progress(プログレス)」と名付けられていた。
- ↑ NCA、成田 - 台北線を開設 - 日本貨物航空 2011年(平成23年)1月31日
- ↑ 航空事故調査報告書 AA2004-2(PDF) - 航空鉄道事故調査委員会
- ↑ 日本航空との提携についての誤報道に関して - 日本貨物航空 2008年(平成21年)1月29日
- ↑ 日本貨物航空 (NCA) と日本航空 (JAL) 、コードシェア便の運航を開始 - 日本貨物航空 2009年(平成21年)3月31日
- ↑ 2010年(平成22年)12月8日 日本経済新聞