手樽駅
テンプレート:駅情報 テンプレート:座標一覧 手樽駅(てたるえき)は、宮城県宮城郡松島町手樽字茨崎にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)仙石線の駅である。
2011年(平成23年)3月11日に発生した東日本大震災の影響で、2012年7月現在営業を休止している。以下は主に震災以前の状況を示す。
概要
日本三景・松島(特別名勝松島、県立自然公園松島)の一角に位置する[1][2]。
松島湾の一部を構成する入江「手樽浦」([[[:テンプレート:座標URL]]38_23_18.5_N_141_5_4.6_E_region:JP&title=%E6%9D%BE%E5%B3%B6%E6%B9%BE%E3%81%AE%E6%89%8B%E6%A8%BD%E6%B5%A6%EF%BC%88%E7%8F%BE%E5%9C%A8%E3%81%AF%E5%B9%B2%E6%8B%93%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%A6%E9%99%B8%E5%9C%B0%E5%8C%96%EF%BC%89 地図])に突き出した岬([[[:テンプレート:座標URL]]38_23_13.3_N_141_5_33.7_E_region:JP&title=%E5%B2%AC%E3%81%AE%E4%B8%8A%E3%81%AB%E8%A8%AD%E7%BD%AE%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%9F%E6%89%8B%E6%A8%BD%E9%A7%85 地図])の上に当駅は造られ、1928年(昭和3年)に宮城電気鉄道の駅として開業した。高城町駅との間の線路は手樽浦上を横切るように設置された。1944年(昭和19年)に国有化され、仙石線の駅となった。
1956年(昭和31年)より、駅周囲の手樽浦を干拓する工事が着工し、舘崎と錢神とを繋ぐ潮受堤防(現・手樽公園、[[[:テンプレート:座標URL]]38_22_44.2_N_141_5_39.5_E_region:JP&title=%E6%BD%AE%E5%8F%97%E5%A0%A4%E9%98%B2%EF%BC%88%E7%8F%BE%E3%83%BB%E6%89%8B%E6%A8%BD%E5%85%AC%E5%9C%92%EF%BC%89 地図])が築かれた[3]。干拓事業は1968年(昭和43年)に完了し、当駅は海に囲まれた状態から一面の田圃に囲まれるようになった[3]。
駅構造
単式ホーム1面1線を有する地上駅である。かつては相対式ホーム2面2線の構成で、駅舎も存在していた。
松島海岸駅管理の無人駅。ホーム上に簡易Suica改札機と乗車駅証明書発行機が設置されているが、2012年12月現在使用を中止している。また代行バス乗り場は駅南側の県道沿いに設置されている。
駅周辺
歴史
- 1902年(明治35年)9月9日、日本三景・松島が県立自然公園に指定され、当地も含まれた[1][2]。
- 1923年(大正12年)3月7日、日本三景・松島が、史蹟名勝天然紀念物保存法(大正8年法律第44号)に基づき名勝に指定され(大正12年3月7日付 内務省告示第57号)、当地もその範囲に含まれた[1]。
- 1928年(昭和3年)
- 1944年(昭和19年)5月1日 - 宮城電気鉄道国有化により、国鉄の駅となる。路線名は仙石線に改称。
- 1952年(昭和27年)11月22日、名勝に指定されていた当地を含む日本三景・松島が、特別名勝に指定された(昭和28年文化財保護委員会告示第44号)[1]。
- 1956年(昭和31年) - 駅周囲の手樽浦を干拓する「手樽代行干拓事業」が宮城県により着工[3]。
- 1958年(昭和33年)10月1日 - 無人駅化[4]。
- 1968年(昭和43年) - 「手樽代行干拓事業」が完了[3]。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、JR東日本に継承
- 2003年(平成15年)10月26日 - ICカード「Suica」サービスが開始。
- 2011年(平成23年)3月11日 - 東北地方太平洋沖地震とそれに伴う大津波の影響により全線で不通となる。
- 2015年(平成27年)6月 - 仙石線全線復旧により営業再開予定。
隣の駅
- 東日本旅客鉄道
- テンプレート:Color仙石線
- テンプレート:Color快速
- 通過
- テンプレート:Color普通
- テンプレート:Color快速