川棚温泉
テンプレート:日本の温泉地 川棚温泉(かわたなおんせん)は、山口県下関市豊浦町川棚(旧国長門国)にある温泉。
泉質
- 塩化物泉
温泉街
下関市街から北に約25km、鬼ヶ城連山の山裾に開けている。長閑な雰囲気で、細い沿道に沿って和風旅館や温泉ホテルが軒を並べる。共同浴場(ぴーすふる青竜泉)はジェットバスやミストサウナなど最新の設備を調えた温泉施設になっている。山口県を代表する温泉の一つで、「下関の奥座敷」などと称されることがある。
温泉街の旅館や料亭では、熱した瓦の上で茶そばを焼いた名物の瓦そばを提供する店が多い。また、下関名物のふぐ料理が食べられる店も少なくない。
周囲には響灘、青龍湖(舟郡ダム)、下関乗馬倶楽部などがあり、自然を存分に満喫出来る環境が揃っている。また、近郊にはゴルフなどといったスポーツやアトラクションを楽しめる施設もある。
歴史
歴史は古く、約800年前には既に温泉が発見されていたと伝えられる。伝説によるとこの辺りには大沢沼という大きな沼があり、青龍が棲んでいたというが、大地震の折りに温泉が噴出、青龍を煮殺してしまったという。青龍権現と呼ばれる松五神社があるのはその名残であり、今も尚守護神として崇められている。
江戸時代には長州藩の御前湯として、毛利氏の御殿湯も作られた経歴がある。
漂泊の詩人、種田山頭火はこの川棚を甚く気に入り、老後を過ごす庵を組むつもりでいたという。
明治末期から大正にかけて、当時の長州鉄道(現・JR西日本山陰本線)川棚温泉駅から温泉街に向けて鉄道路線(温泉鉄道)が計画され、線路敷設も完了するものの、開通することなく廃線(未成線)となっている。廃線跡は現在県道豊浦清末線(青龍街道)となっている。
1952年にピアニストのアルフレッド・コルトーが来日した際、川棚温泉に3泊滞在。ホテルから見える響灘と、そこに浮かぶ無人島・厚島の景色に感激し、当時の川棚村村長に、「厚島を譲ってくれないか」と懇願したほどだという[1]。コルトーが宿泊したホテル跡地に建設された「下関市川棚温泉交流センター」には、コルトーの設立したエコールノルマル音楽院の承諾の下、大交流室に「コルトーホール」の愛称が設けられている[2]。
アクセス
関連項目
- 中国自然歩道 - ルートの一つが近傍を通過する
脚注
外部リンク
テンプレート:温泉- ↑ 下関のあれこれ - 厚島とコルトー - 下関市公式サイト内
- ↑ 施設案内 - 川棚の杜(下関市川棚温泉交流センター)公式サイト