正親町三条家
テンプレート:日本の氏族 正親町三条家(おおぎまちさんじょうけ・正親町三條家)は、大臣家の家格を有する公家。藤原北家閑院流・三条家庶流。左大臣三条実房の三男公氏を家祖とする。実房の長男公房が継承した嫡流三条家(転法輪三条家)と区別すべく、公氏流を正親町三条と称するのであるが、この家名が定着したのは7代公豊の頃という。「正親町」の称は、屋敷が正親町通り東洞院に面していたことに由来する。また、公氏は嵯峨や西郊とも称したので、明治時代に至って28代実愛が家名を嵯峨(さが)と改めた。
概説
家業は四箇の大事(節会・官奏・叙位・除目)・有職故実。近衛家の家礼。江戸時代の家禄は200石。内々。
当初は正二位権大納言を極位極官としていたが、5代公秀の時にその娘秀子(陽禄門院)が光厳天皇の後宮に入り、崇光・後光厳天皇の生母となったことから、内大臣に至る。その子実継、孫の公豊も内大臣に昇り、ここに大臣家の家格が定まった。なお、公秀の『公秀公記』とその父実躬の『実躬卿記』は鎌倉時代末から南北朝時代にかけての貴重な日記として有名。
公豊の弟公時は三条西家を興す。公豊の曾孫実雅は妹尹子が将軍足利義教の正室に入った縁から、その寵愛を受けて大いに権勢を振るうが、その子公躬は応仁の乱に際して将軍家の命に応じず、足利義視に加担したために解官された。したがって家督は実雅の弟公綱へ移り、その猶子実興がこれを継いだ。実興が文明13年(1481年)25歳で没した後、その父公躬が権大納言に任じられて嫡家に復するも、間もなく興福寺から放氏処分を蒙っている(続氏後、公治と改名)。その孫公兄は永正8年(1511年)将軍足利義尹が丹波へ退去した際、これに随行しなかったことで将軍の不興を買い、危うく一家断絶の瀬戸際に立った。庶流の三条西実隆が嫡家の危急を救うため、将軍の信頼厚い阿野季綱を介して赦免を乞うたことは『実隆公記』に見えるところである。なお、実望・実福は家領の駿河国稲葉郷(静岡県藤枝市)に下向したことがあり、実望はついに在国のまま没した。
近世には、実彦を除いて他家からの養子相続はなく、父子相承によって明治維新を迎えている。ただ、比較的若くして没した者が多いためか、大臣に昇ることはなかった。権大納言に達したのも実有・公統・公積・実愛の4代に留まる。中でも公積は竹内式部から垂加神道を学んでいたため、宝暦事件に連座して罷免・永蟄居の処分を蒙った。幕末期の実愛は議奏や国事御用掛を務め、尊王攘夷派から敵視されて一時失脚したが、明治新政府の樹立に功績を挙げて要職を歴任する。また、転法輪三条家の三条実美との区別のため、明治3年(1870年)12月家名を嵯峨(さが)へ改めた。その子公勝は同17年(1884年)伯爵を授けられたが、同21年(1888年)父実愛の勲功によって特に侯爵に陞爵された。30代実勝の長女浩は、満洲国皇帝で清朝最後の皇帝でもあった愛新覚羅溥儀の皇弟溥傑の妻となる。菩提所は松林院。
歴代当主
- 三条公氏(1182年 - 1237年)
- 三条実蔭(1199年 - 1241年)
- 三条公貫(1238年 - 1315年)
- 三条実躬(1264年 - ?)
- 三条公秀(1285年 - 1363年)
- 三条実継(1313年 - 1388年)
- 正親町三条公豊(1333年 - 1406年)
- 正親町三条実豊(? - 1404年)
- 正親町三条公雅(1384年 - 1427年)
- 正親町三条実雅(1409年 - 1467年)
- 正親町三条公治(1440年 - 1495年)
- 正親町三条実望(1463年 - 1530年)
- 正親町三条公兄(1494年 - 1578年)
- 正親町三条実福(1536年 - 1568年)
- 正親町三条公仲(1557年 - 1594年)
- 正親町三条実有(1588年 - 1633年)
- 正親町三条公高(1619年 - 1648年)
- 正親町三条実昭(1625年 - 1668年)
- 正親町三条公廉(1649年 - 1671年)
- 正親町三条実久(1656年 - 1695年)
- 正親町三条公統(1668年 - 1719年)
- 正親町三条実彦(1703年 - 1725年)
- 正親町三条公積(1721年 - 1777年)
- 正親町三条実同(1748年 - 1785年)
- 正親町三条公則(1774年 - 1800年)
- 正親町三条実義(1798年 - 1820年)
- 正親町三条公厚(1820年 - 1822年)
- 正親町三条実愛(1820年 - 1909年)
- 嵯峨公勝(1863年 - 1941年)
- 嵯峨実勝(1887年 - 1966年)
- 嵯峨公元(1922年 - 1998年)
- 嵯峨実允(1963年 - )
系譜
- 実線は実子、点線(縦)は養子、点線(横)は婚姻関係。
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参考文献
- 『嵯峨家譜』(東京大学史料編纂所蔵)
- 今江広道 「正親町三条家」(『国史大辞典 第2巻』 吉川弘文館、1980年、ISBN 9784642005029)
- 霞会館華族家系大成編輯委員会編 『平成新修旧華族家系大成 上巻』 霞会館、1996年、ISBN 9784642036702
- 橋本政宣編 『公家事典』 吉川弘文館、2010年、ISBN 9784642014427