小野清子
テンプレート:政治家 テンプレート:MedalTableTop テンプレート:MedalSport テンプレート:MedalCompetition テンプレート:MedalBronze テンプレート:MedalBottom 小野 清子(おの きよこ、1936年2月4日 - )は、日本の体操選手、政治家。勲等は旭日大綬章。旧姓は大泉。
参議院議員(3期)、社団法人日本音楽著作権協会理事長、国家公安委員会委員長(第70・71代)、内閣府特命担当大臣(青少年育成及び少子化対策担当)、内閣府特命担当大臣(食品安全担当)、参議院予算委員長、独立行政法人日本スポーツ振興センター理事長などを歴任した。
来歴
生い立ち
宮城県岩沼市に生まれ、その後秋田県秋田市に移る。幼少時、病弱だったため体操を始めた。
1952年の国民体育大会で後の夫となる同じ秋田県出身で4学年上の体操選手の小野喬と知り合った[1]。喬の指導を受けるうちに互いに恋が芽生え、東京教育大学(現・筑波大学)体育学部を卒業後の1958年に結婚した[1]。
体操選手として
慶應義塾大学体育研究所に勤務しながら体操の技能を磨いた彼女は1960年のローマオリンピック(24歳)、1964年の東京オリンピック(28歳)と夫婦そろって連続出場(夫の喬は1952年のヘルシンキオリンピック、1956年のメルボルンオリンピックから4大会連続出場)した。特に東京大会では1男1女の2児の母として出場し、赤の長袖レオタードにハーフシューズ姿で演技をこなし、体操競技で団体銅メダルを得た。夫との間には息子2人、娘3人がいる[1]。
体操選手を引退後は中央教育審議会委員など、各種審議会委員を務めてスポーツを通じた青少年教育に従事。
政治家として
1986年の第14回参議院議員通常選挙に当時の総理・総裁中曽根康弘の要請で出馬し、東京都選挙区で初当選。中曽根派に所属し、第18回参議院議員通常選挙での落選を挟み、通算3期18年間議員を務めた。
議員活動のかたわら、日本音楽著作権協会理事長や日本オリンピック委員会理事など、スポーツ・文教関係の役職を歴任。また現在も国際養神会合気道連盟の会長や日本オリンピアンズ協会の副会長を務めている。
小泉政権
第1次小泉第2次改造内閣で初入閣。国家公安委員会委員長、内閣府特命担当大臣(青少年育成及び少子化対策担当)、内閣府特命担当大臣(食品安全担当)の3ポストを兼任した。また、第2次小泉内閣では、国家公安委員会委員長、内閣府特命担当大臣(青少年育成及び少子化対策担当)、内閣府特命担当大臣(食品安全担当)の3ポストに再任された。その後も、参議院予算委員長、自由民主党紀委員会副委員長を歴任した。
2007年、3期の任期満了と共に政界を引退。
日本スポーツ振興センター
2008年4月、長年に亘るスポーツ界並びに政界への功績により日本政府より春の叙勲で旭日大綬章を受章することが発表された。日本のスポーツ選手経験者としては初となる大綬章叙勲でもある。また、2009年より日本スポーツ振興センターの理事長を務めた。2011年の任期満了により理事長を退任し、後任には日本アンチ・ドーピング機構会長などを務めた医学者の河野一郎が就任した[2]。
年譜
- 1954年 秋田県立秋田北高等学校を卒業
- 1958年 東京教育大学(現・筑波大学)体育学部卒
- 1959年 慶應義塾大学体育研究所に勤務
- 1960年 ローマオリンピックで体操競技団体4位、個人総合15位
- 1962年 世界選手権 個人総合で11位
- 1964年 東京オリンピックで体操競技団体銅メダルを獲得、個人総合9位
- 1965年 東京教育大学の非常勤講師に就任
- 1986年7月 第14回参議院議員選挙で初当選(東京選挙区)
- 1989年4月 日本オリンピック委員会評議員に就任
- 1991年1月 環境庁政務次官
- 1992年7月 第16回参議院議員選挙で再選
- 1998年
- 第18回参議院議員選挙で落選
- 日本音楽著作権協会(JASRAC)理事長に就任(後に参院選立候補のため任期途中で辞任)。
- 1999年 日本オリンピック委員会理事に就任
- 2001年
- 日本オリエンテーリング協会会長就任
- 第19回参議院議員選挙で当選(比例区)
- 2003年 第1次小泉第2次改造内閣で国務大臣(国家公安委員会委員長、内閣府特命担当大臣(青少年育成及び少子化対策担当、食品安全担当))
- 2004年 日本スポーツクラブ協会会長就任
- 2005年
- 2006年 日本女子サッカーリーグ(mocなでしこLEAGUE)名誉会長に就任。
- 2006年 党党紀委員会副委員長に就任。
- 2007年2月 自民党は7月に行われる第21回参議院議員選挙に年齢などを理由に公認候補者としないことを決定。議員を引退した。
- 2008年4月 春の叙勲で旭日大綬章を受章。
- 2009年10月1日「独立行政法人日本スポーツ振興センター」理事長就任。年間報酬1841万円、その内訳に「特別地域手当」が150万円分、通勤手当月額93,000円が設定されており、説明としては「民間における賃金、物価及び生計費が特に高い地域に在勤する役員に支給されているもの」とある。
脚注
関連項目
外部リンク
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|-style="text-align:center"
|style="width:30%"|先代:
中曽根弘文
|style="width:40%; text-align:center"|テンプレート:Flagicon 参議院予算委員長
2005年 - 2006年
|style="width:30%"|次代:
尾辻秀久
|-style="text-align:center"
|style="width:30%"|先代:
松浦孝治
|style="width:40%; text-align:center"|テンプレート:Flagicon 参議院文教委員長
1995年 - 1996年
|style="width:30%"|次代:
清水嘉与子
テンプレート:S-off
|-style="text-align:center"
|style="width:30%"|先代:
谷垣禎一
|style="width:40%; text-align:center"|テンプレート:Flagicon 国家公安委員会委員長
第70・71代:2003年 - 2004年
|style="width:30%"|次代:
村田吉隆
|-style="text-align:center"
|style="width:30%"|先代:
谷垣禎一
|style="width:40%; text-align:center"|テンプレート:Flagicon 特命担当大臣(食品安全)
第2・3代:2003年 - 2004年
|style="width:30%"|次代:
棚橋泰文
|-style="text-align:center"
|style="width:30%"|先代:
創設
|style="width:40%; text-align:center"|テンプレート:Flagicon 特命担当大臣(青少年育成及び少子化対策)
初・第2代:2003年 - 2004年
|style="width:30%"|次代:
南野知惠子
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- ↑ 1.0 1.1 1.2 テンプレート:Cite book
- ↑ 「文部科学省」『【人事】文部科学省 - MSN産経ニュース』産経デジタル、2011年9月17日。