小田嶽夫

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小田 嶽夫(おだ たけお、1900年7月5日 - 1979年6月2日) は、日本の小説家。本名は、小田武夫。

新潟県高田市(現・上越市)竪春日町出身。 高田中学(現新潟県立高田高等学校)、東京外国語大学支那語学科を卒業後、外務省入省。外務書記として中国杭州領事館などに勤務。 1926年蔵原伸二郎の紹介で同人誌『葡萄園』に参加。のちに『文藝都市』にも寄稿する。1936年に「城外」(『文學生活』創刊号、1936年6月)で第3回芥川賞受賞。

ほとんどの作品が中国に眼を向けたもので、代表作の「城外」もその一つである。しかし、「高陽草子」には、郷土(高田)への思いをこめた文章が多く書かれている。

日本における魯迅の紹介者という役割もあり、「魯迅伝」を著している。太宰治とは交友関係にあり、「魯迅伝」に示唆されて書かれた作品が「惜別」である。

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