宝塚映像
テンプレート:Infobox 宝塚映像(たからづかえいぞう)は、1983年9月に設立された阪急阪神東宝グループの映像製作会社。映画製作会社宝塚映画製作所(たからづかえいがせいさくしょ)が経営不振から解散し、新しく設立された。本稿では前身の宝塚映画製作所も記載する。
目次
概要
本社は宝塚市にあり、大阪梅田に営業所がある。通称「宝映」「ヅカ映」。労働組合を設けている。主に製作したテレビドラマのロケーション撮影は宝塚市・西宮市・川西市と阪急沿線を中心に行われた事で知られている。
主な番組
「阪急ドラマシリーズ」(1965年 - 1994年・関西テレビ)は、阪急電鉄・阪急百貨店・阪急不動産の提供で数々の作品を世に送り出し人気を博した。スポンサーの関係で、主に京阪神の観光地(特に阪急沿線)が舞台であったり、当時の現役タカラジェンヌ(宝塚歌劇団生徒)が主演級で登場したことも一つの特徴だった。
また、「ライオン奥様劇場」(フジテレビ系)の作品「ママは1年生」と「木曜ゴールデンドラマ」、「朝の連続ドラマ」(読売テレビ製作、日本テレビ系)、「月曜・女のサスペンス」(テレビ東京系)の各2本の作品も製作している。
CM
テレビCMでは三遊亭楽太郎を起用した祐徳薬品工業の貼り薬「パスタイム」(「気持ちんよかー」のフレーズで有名)のCM製作と、親会社の阪急電鉄等のCM製作も手掛けている。
主な事項
スタジオの存続運動
宝塚映画時代の撮影所は、大部分が隣接する遊園地・宝塚ファミリーランドの遊技施設敷地となり、大スタジオも同遊園地のイベントホールとして賃貸された。このため、遊園地の一角にテレビスタジオが存在する形となったが、遊園地は2003年に閉鎖され、スタジオも同時に閉鎖された。そのスタジオの存続のために、親会社の阪急電鉄と宝塚映像の経営陣に対して、存続を求めて労働組合が署名運動等を繰り広げた。[1][2] [3] [4]
阪神大震災以降
「阪急ドラマシリーズ」終了後、そのコンセプトを生かした旅番組「日だまり日曜日」をスタートしたが、1995年1月の阪神大震災で、社員は自宅待機を余儀なくされる。番組自体は続けられたが、その年の6月に終了した。現在は事業を大幅に縮小し、番組製作部門は休止中。
現在
阪急三番街の大型カラービジョン「ビッグマン」の運営・保守と主に阪急の系列の企業等の広報映像の作成・各企業の産業映像、人権・啓発を題材にした映画の製作等、「阪急ドラマシリーズ」等を放送するファミリー劇場・各テレビ局等からの放映料による収入、同じ阪急阪神東宝グループの東宝と国際放映製作作品の製作協力等(ただし、テロップ表示なし)の地道な営業活動と経営を行っている。
製作した番組
ここでは前身の宝塚映画製作所時代の作品も記する。
ドラマ
- 製作経験なし
TBS系
- 月曜・女のサスペンス
- 六甲山殺人事件
- 宝塚殺人事件
情報番組
- 日だまり日曜日(関西テレビ)製作協力で参加。
CM
他
宝塚映画製作所
沿革
- 1938年8月に兵庫県宝塚市に開設された映画撮影所、および映画製作会社。宝塚歌劇団の付帯事業からスタート。宝塚運動場(宝塚球場)跡地の一角[1]にスタジオを建設して映画を製作した。1941年戦局の悪化で閉鎖。
- 1951年に設立された映画製作会社。阪急電鉄が全額を出資。撮影所跡を改修して事業を開始。東宝争議で製作力が低下した東宝系の一翼として、多くの劇場用映画を製作した。1968年に劇場用映画製作から撤退。テレビ映画の製作を主体に切り替えていた。またかつては俳優も所属していた会社でもあった。
作品
映画
テレビ作品
- 宝塚映像の作品を参照
所属していた俳優
関連書籍
- 高野昭二『わが青春の宝塚映画 宝塚映画製作所・宝塚映像株式会社作品譜』宝塚映画製作所 OB会有志、2010年11月1日
関連会社
- 宝塚クリエイティブアーツ(宝塚歌劇団公演の公式映像を収録・製作する会社。またTAKARAZUKA SKY STAGE<宝塚歌劇専門のスカパー!・ケーブルテレビ番組>の委託放送事業者でもある)
脚注
テンプレート:Reflist- ↑ 宝塚ファミリーランド内という説もある。 ([[5]])