天照大神

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天照大神(あまてらすおおみかみ)は、日本神話に登場する。皇室の祖神で、日本民族の総氏神[1]とされている。『延喜式』では自然神として神社などに祀られた場合の「天照」は「あまてる」と称されている。

天岩戸の神隠れで有名であり、記紀によれば太陽を神格化した神であり、皇室の祖神(皇祖神)の一柱とされる。信仰の対象、土地の祭神とされる場所は伊勢神宮が特に有名[2]

名称

古事記』においては天照大御神(あまてらすおおみかみ)、『日本書紀』においては天照大神(あまてらすおおかみ、あまてらすおおみかみ)と表記される。別名、大日孁貴神(おおひるめのむちのかみ)[3]神社によっては大日女尊(おおひるめのみこと)[4]大日霊(おおひるめ)[5]大日女(おおひめ)[6]とされている。

『古事記』においては「天照大御神」という神名で統一されているのに対し、『日本書紀』においては複数の神名が記載されている。伊勢神宮においては、通常は天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)、あるいは皇大御神(すめおおみかみ)と言い、神職が神前にて名を唱えるときは天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)と言う[7]

女神

『日本書紀』ではスサノヲが姉と呼んでいること、アマテラスとスサノオの誓約において武装する前に御髪を解き角髪に結び直す、つまり平素には男性の髪型をしていなかったことに加え、機織り部屋で仕事をすることなど女性と読み取れる記述が多いこと、後述の別名に女性を表す言葉があることなどから、古来より女神とされている。また一般に大和絵や宗教、日本人が最初に神代の時代を知る小中学校の社会科などでも女神として表されるのが主流である。言語学的には別名「オホヒルメノムチ」の「オホ」は尊称、「ムチ」は「高貴な者」、「ヒルメ」は「日の女神」[8]を表す。『日本書紀上』岩波書店の注も参照のこと[9]

また、イザナギとイザナミの子のうち、三貴子の兄として(『古事記』ではイザナギとイザナミの最初の子として)「ヒルコ(日ル子)」という男子が生まれている(三年たっても足がたたなかったため、遺棄されてしまった)が、「ヒルコ(日ル子)」と「ヒルメ(日ル女)」の男女一対の言葉の対象性は、「ヒコ・ヒメ」、「ヲトコ・ヲトメ」、「イラツコ・イラツメ」など、古い日本語に伝統的に見られるものでもあり、名前からも女神ととらえることが順当である[10]。後述するように中世には仏と同一視されたり、男神とする説も広まった[11]が、『日本書紀上』日本古典文学大系は男神説を明確に否定している。

天照大神太陽神としての一面を持ってはいるが、神御衣を織らせ、神田のを作り、大嘗祭を行う神であるから、太陽神であるとともに、祭祀を行う古代の巫女を反映した神とする説もある[12]。ただし、日本語においては「メ」は「女」をさす音であり(ヒメ、ウズメ、ナキサワメなど)、女神の名で「メ」を「妻」「巫女」と解釈する例はないともいわれる[13]

また最高神アマテラスの造形には、女帝持統天皇(孫の軽皇子がのち文武天皇として即位)や、同じく女帝の元明天皇(孫の首皇子がのち聖武天皇として即位)の姿が反映されているとする説もある[14]。  兵庫県西宮市の廣田神社は天照大神の荒御魂を祀る大社で、撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(つきさかきいつのみたまあまさかるむかいつひめのみこと)という祭神名のまたの名が伝わる。これは天照大神を祀る正殿には伝わらない神名であるが、荒祭宮の荒御魂が女神であることの何よりの証左である。  

神話での記述

『日本書紀』においては、

  • 第五段の本文では、伊弉諾尊・伊弉冉尊が自然の神を産んだ後に大日霎貴を産んでいる。
  • 第五段の一書の1では、伊弉諾尊が、左手で白銅鏡(ますみのかがみ)を持ったときに大日霎貴が生まれている。
  • 第五段の一書の6では、『古事記』のように禊にて伊弉諾尊が左の眼を洗った時天照大神が生まれている。

『古事記』においては、伊邪那岐命伊邪那美命の居る黄泉の国から生還し、黄泉の穢れを洗い流した際、左目を洗ったときに化生したとしている。このとき右目から生まれた月読命、鼻から生まれた建速須佐之男命と共に、三貴子と呼ばれる。このときイザナギは天照大御神に高天原を治めるように指示した(「神産み」を参照)。

海原を委任された須佐之男命は、イザナミのいる根の国に行きたいと言って泣き続けたためイザナギによって追放された。スサノヲは根の国へ行く前に姉の天照大御神に会おうと高天原に上ったが、天照大御神は弟が高天原を奪いに来たものと思い、武装して待ち受けた。

素戔嗚尊の潔白を証明するために誓約をし、天照大御神の物実から五柱の男神、素戔嗚尊の物実から三柱の女神が生まれ、スサノヲは勝利を宣言する[15](「アマテラスとスサノオの誓約」を参照)。

天照大神の物実から生まれ、天照大御神の子とされたのは、以下の五柱の神である。

これで気を良くしたスサノヲは高天原で乱暴を働き、その結果天照大御神は天岩戸に隠れてしまった。世の中は闇になり、様々な禍が発生した。思兼神天児屋根命など八百万の神々は天照大御神を岩戸から出す事に成功し、スサノヲは高天原から追放された(「天岩戸」を参照)。

葦原中国に子のアメノオシホミミを降臨させることにし、天つ神を派遣した。葦原中国が平定され、いよいよアメノオシホミミが降臨することになったが、その間に瓊々杵尊・邇邇芸命が生まれたので、孫に当たるニニギを降臨させた(「葦原中国平定」「天孫降臨」を参照)。

神仏混淆と天照大神男神説

中世の神仏混淆本地垂迹説が広まると、インドの仏が神の姿をとって日本に出現したとする考えが広く浸透した。はじめ天照大神には観音菩薩十一面観音菩薩)が当てられたが、やがて大日如来となり、両部神道が登場すると天照大神は宇宙神である大日如来と同一視されるようになる[16]

平安末期の武士の台頭や神仏混淆による男系社会が強まると、一部に天照大神を男神とする説が広まり、中世神話などに姿を残した[17][18]

平安時代、すでに大江匡房は『江家次第』で伊勢神宮に奉納する天照大神のご装束一式が男性用の衣装である事を言及しており、江戸時代の伊勢外宮の神官渡会延経は「之ヲ見レバ、天照大神ハ実ハ男神ノコト明ラカナリ」と記している。(『内宮男体考証』『国学弁疑』)。京都祇園祭の岩戸山の御神体は伊弉諾命・手力男命・天照大神であるが、いずれも男性のお姿である。天照大神の像は「眉目秀麗の美男子で白蜀江花菱綾織袴で浅沓を穿く。直径十二センチ程の円鏡を頸にかけ笏を持つ。」と岩戸山町では伝えられるとおりの伝統を守っている。江戸時代、円空は男神として天照大神の塑像を制作している。江戸時代に流行した鯰絵には天照大神が男神として描かれているものがある。  

近代

1880年明治13年) - 1881年(明治14年)、東京の日比谷に設けた神道事務局神殿の祭神をめぐって神道界に激しい教理論争が起こった[19]。神道事務局は、事務局の神殿における祭神として造化三神(天之御中主神高御産巣日神神産巣日神)と天照大神の四柱を祀ることとしたが、これに対して「出雲派」は、「幽顕一如」(あの世とこの世との一体性)を掲げ、祭神を「幽界」(あの世)を支配する大国主大神を加えた五柱にすべきだと主張した[19]

しかし、神道事務局の中心を担っていた「伊勢派」は、天照大神は顕幽両界を支配する「天地大主宰」であり、他の神々はその臣下にすぎないと主張するなど、両派は真っ向から対立した[19]。果てには、「出雲派が神代より続く積年の宿怨を晴らさんとしている」「皇室に不逞な心を持っている千家尊福を誅殺すべし」など、様々な風説が飛び交った。やがてこの論争は明治天皇の勅裁により収拾(出雲派が敗北)し、天照大神の神格は最高位に位置づけられることになった[19]

なお、政府は神道に共通する教義体系の創造の不可能性と、近代国家が復古神道的な教説によって直接に民衆を統制することの不可能性を認識したと言われている[20]

芥川龍之介は自身の小説にて天照大神を登場させる際、「天照大神」と言う呼称では皇祖神をそのまま文中に登場させてしまう事になるため、太陽神、それも自然神という性格付けで別名の「大日貴」(おおひるめむち)を用いた。実際、芥川の小説には検閲によって訂正・加筆・削除を強いられた箇所が多数存在する[21]

  • 日本全国の神社本庁傘下の神社で皇大神宮(天照皇大神宮)の神札(神宮大麻)を頒布している[22]

中国で活動していたイギリスの宣教師Joseph Edkinsジョセフ・エドキンス(Chinese:艾约瑟; 1823 – 1905)はA-materasu(アマテラス)とMithras(ミトラス)とは、同一の母音から成る名称であると言い、神道とミトラス教を関係付けようとした。[23]

天照大神を祀る神社

全国の天照大神伝承

ファイル:Amaterasu cave.JPG
天岩戸神話の天照大神(春斎年昌画、明治20年(1887年))

天照大神の伝承は各地に存在する。

  • 木曽山脈恵那山には天照大神誕生の際に、胞衣(えな)が埋設されたという伝承が残る[24]
  • 長野県戸隠山の戸隠神社には天岩戸の伝承が残る[12]
  • 三重県のめずらし峠は、天照大神と天児屋根命が出会われたという伝承が残っている[25]
  • 奈良県長谷寺の隣の山、與喜(よき)山には天照大神が降臨された伝承が伝わっている[26]
  • 島根県隠岐は天照大神が行幸の際、そこに生育していた大木を「おおき」と感動して呼ばれたことが隠岐の名の起源であるという伝承が残る[27]
  • 鳥取県因幡八上郡 (鳥取県)には、天照大神がこの地にしばらくの間行宮する際、白兎が現れて天照大神の裾を銜(くわ)えて、行宮にふさわしい地として、現在も八頭町鳥取市河原町の境にある伊勢ヶ平(いせがなる)にまで案内し、そこで姿を消したとされる[28]。八頭町の青龍寺の城光寺縁起と土師百井(はじももい)の慈住寺記録には、天照大神が国見の際、伊勢ヶ平付近にある御冠石(みこいわ)に冠を置かれたという伝承が残っている[28]。この伝承と関連して八頭町に3つの白兎神社が存在し、八頭町米岡にある神社は元は伊勢ヶ平にあった社を遷座したものと伝えられるが、天照大神の具体的な伝承に基づく全国的に見ても極めて珍しい神社である。
  • 同じく鳥取県八上の氷ノ山(ひょうのせん)の麓、若桜町舂米(つくよね)には天照大神が大群を従えての行幸伝承とともに、天照大神御製の和歌が伝わっている[29]2007年(平成19年)、若桜町舂米地区内で天照大神が腰掛けをされたさざれ石が発見された[30]
  • 氷ノ山の名は、天照大神が樹氷の美しさに感動され日枝(ひえ)の山と呼ばれたことが起源とされ、氷ノ越えの峠(ここにもかつて白兎を祀る因幡堂があった)を通って因幡をあとにしたとされる[31]
  • 現在は存在しないが、熊本県八代市には上古に天照大神の山陵が在ったと伝えられる[32]
  • 宮崎県高千穂町岩戸にあり天照大神を祭神とする天岩戸神社の周辺には、岩戸隠れ神話の中で天照大神が隠れこもったとされる天岩戸をはじめ、複数の神話史跡や関連の地名が残る。
  • 日本の太陽信仰(天照大御神信仰)はBC5300年の鬼界カルデラ大噴火に起因すると考える説も存在する。天照大神が隠れ、世界が真っ暗になった天岩戸神話を鬼界カルデラ大噴火の火山灰の雲による大災害と見る動きもある。

出典・注釈

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参考文献

  • 戸部民夫 『八百万の神々 日本の神霊たちのプロフィール』 新紀元社 1997年
  • 薗田稔、茂木栄 『日本の神々の事典 神道祭祀と八百万の神々』 学研 1997年
  • 少年社、後藤然、渡辺裕之、羽上田昌彦 『神道の本 八百万の神々がつどう秘教的祭祀の世界』 学研 1992年

関連項目

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  1. 鹿児島県神社庁
  2. 2.0 2.1 『八百万の神々』
  3. 『日本書紀上』p.86、日本古典文学大系、岩波書店
  4. テンプレート:Cite web
  5. テンプレート:Cite web
  6. テンプレート:Cite web
  7. 7.0 7.1 『日本の神々の事典』
  8. 『日本国語大辞典』
  9. 『日本書紀上』日本古典文学大系、岩波書店 1993年9月6日新装版第1刷 1994年5月6日第3刷発行。 p.87注6は「日ノ妻」あるいは「日の巫女」の意であるという折口信夫の説を紹介する。また、注5では、「アマテラスが、太陽神を祀る巫女の、祭られる神に添加したものとする説があるが、アマテラスの属性の一部を説明できても、自然神としての太陽神を見失っているところがある」とする。
  10. 溝口睦子『アマテラスの誕生』
  11. 斎藤英喜『読み替えられた日本神話』
  12. 12.0 12.1 『神道の本』
  13. 溝口睦子『アマテラスの誕生』
  14. 概説日本思想史 編集委員代表 佐藤弘夫(吉田一彦)
  15. 「我が心清く明し。故れ、我が生める子は、手弱女を得つ。」『古事記』
  16. 佐藤弘夫『アマテラスの変貌』
  17. 上島享「中世王権の創出とその正統性」『日本中世社会の形成と王権』
  18. 中世に編纂された『日諱貴本紀』には両性具有神、『中世日本紀』では男性神として描写される。
  19. 19.0 19.1 19.2 19.3 『古神道の本 甦る太古神と秘教霊学の全貌』学研
  20. 『日本史大事典』 平凡社 1993年
  21. 芥川龍之介 『澄江堂雑記』
  22. 1871年12月22日、政府は伊勢神宮の神宮大麻を地方官を通して全国700万戸に1体2銭で強制配布することに決め、翌年から実施した。1878年(明治11年)以後は受不受は自由となったが、依然として地方官が関与してトラブルを生ずることがあった(安丸良夫・宮地正人『宗教と国家-日本近代思想大系第5巻』岩波書店、1998年、p443,535,562)。
  23. 内村鑑三「ペルシャ」『興国史談』
  24. テンプレート:Cite book
  25. テンプレート:Cite web
  26. テンプレート:Cite web
  27. テンプレート:Cite web
  28. 28.0 28.1 テンプレート:Cite web
  29. 大江幸久『もう一つの因幡の白兎神話 天照大神行幸と御製和歌の伝わる八上神秘の白兎と天照大神伝承』
  30. 日本海新聞平成21年6月10日
  31. テンプレート:Cite web
  32. 森本一瑞『肥後国誌』