アマテラスとスサノオの誓約
アマテラスとスサノオの誓約(アマテラスとスサノオのうけい)とは、『古事記』や『日本書紀』に記される天照大神(アマテラス)と建速須佐之男命(スサノヲ、日本書紀では素戔嗚尊)が行った誓約(占い)のこと。
あらすじ
古事記
伊邪那岐命(イザナギ)が建速須佐之男命(スサノヲ)に海原の支配を命じたところ、建速須佐之男命は伊邪那美命(イザナミ)がいる根の国(黄泉の国)へ行きたいと泣き叫び、天地に甚大な被害を与えた。伊邪那岐命は怒って「それならばこの国に住んではいけない」と彼を追放した[1]。
建速須佐之男命は、姉の天照大神に会ってから根の国へ行こうと思い、天照大神が治める高天原へ昇る。すると山川が響動し国土が皆震動したので、天照大神は建速須佐之男命が高天原を奪いに来たと思い、弓矢を携えて彼を迎えた[2]。
建速須佐之男命は天照大神の疑いを解くために、宇気比・誓約をしようといった。二神は天の安河を挟んで誓約を行った。まず、天照大神が建速須佐之男命の持っている十拳剣(とつかのつるぎ)を受け取って噛み砕き、吹き出した息の霧から以下の三柱の女神(宗像三女神)が生まれた。この女神は宗像大社に祀られている[3]。
次に、建速須佐之男命が、天照大神の「八尺の勾玉の五百箇のみすまるの珠」を受け取って噛み砕き、吹き出した息の霧から以下の五柱の男神が生まれた[4]。
- 左のみづらに巻いている玉から 正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命
- 右のみづらに巻いている玉から天之菩卑能命
- かづらに巻いている玉から天津日子根命
- 左手に巻いている玉から活津日子根命
- 右手に巻いている玉から熊野久須毘命
これにより建速須佐之男命は「我が心清く明し。故れ、我が生める子は、手弱女を得つ。」と勝利を宣言した。
日本書紀
『日本書紀』第六段の本文では、古事記と同様に天照大神が素戔嗚尊(スサノヲ)を待ち構えるが、天の安河を挟んではいない。
また素戔嗚尊が「私は今、命令を受けて根國に向かおうとしており、一度高天原を訪れ姉上と会った後に去ろうと思う」と言うと(伊弉諾尊が)「許す」といった、とあるので古事記の様に追われたのでも無い。
誓約では、天照大神が素戔嗚尊の十握劒(とつかのつるぎ)を貰い受け、打ち折って三つに分断し、天眞名井(あめのまなゐ)の水で濯ぎ噛みに噛んで吹き出した、とある。その息の霧から生まれた神が以下の宗像三女神である。
そして素戔嗚尊が天照大神の頭髪と腕に巻いていた八坂瓊之五百箇御統(やさかにのいほつみすまる)を貰い受け、天眞名井の水で濯ぎ噛みに噛んで吹き出した、とある。その息の霧から生まれた神が以下の五柱の神である。
これにより彼の心が清いと証明している。
第六段一書(一)では待ち構えていた日神(ひのかみ)が素戔嗚尊と向かい合って立ち、帯びていた剣を食べて生まれた神が以下の宗像三女神である。
- 十握劒(とつかのつるぎ):瀛津嶋姫(おきつしまひめ)
- 九握劒(ここのつかのつるぎ):湍津姫
- 八握劒(やつかのつるぎ):田心姫
そこで素戔嗚尊はその首にかけていた五百箇御統之瓊(いほつみすまるのたま)を天渟名井(あめのまなゐ)またの名は去来之眞名井(いざのまなゐ)の水で濯いで食べて生まれた神が以下の五柱の神である。
- 正哉吾勝勝速日天忍骨尊(まさかあかつかちはやひあめのおしほね)
- 天津彦根命
- 活津彦根命
- 天穂日命
- 熊野忍蹈命(くまのおしほみ)
第六段一書(二)では、素戔嗚尊が天に昇る時に羽明玉(はかるたま)という神が迎えて、瑞八坂瓊之曲玉(みつのやさかにのまがたま)を献上したので、その玉を持って天上を訪れた。この時、天照大神が弟に悪心(きたなきこころ)があると疑い、兵を集めて詰問する、とある。
誓約では、天照大神の剣と素戔嗚尊の八坂瓊之曲玉(やさかにのまがたま)を取り換える。そうして天照大神が八坂瓊之曲玉を天眞名井に浮かべ、玉を食いちぎって吹き出した、とある。その息から生まれた神が以下の宗像三女神である。
- 玉の端を食いちぎって吹き出す:市杵嶋姫・遠瀛(おきつみや)に鎮座する神
- 玉の中を食いちぎって吹き出す:田心姫・中瀛(なかつみや)に鎮座する神
- 玉の底を食いちぎって吹き出す:湍津姫・海濱(へつみや)に鎮座する神
そして素戔嗚尊が持った剣を天眞名井に浮かべ剣の先を食いちぎって吹き出した、とある。その息から生まれた神が以下の五柱の神である。
- 天穂日命
- 正哉吾勝勝速日天忍骨尊
- 天津彦根命
- 活津彦根命
- 熊野豫樟日命
第六段一書(三)では日神と素戔嗚尊と天安河(あめのやすのかは)を挟んで向かい合い、まず日神が剣を食べて生まれた神が以下の宗像三女神である。
- 十握劒:瀛津嶋姫命またの名は市杵嶋姫命
- 九握劒:湍津姫命
- 八握劒:田霧姫命
そして、素戔嗚尊がその五百箇統之瓊を口に含み、生まれた神が以下の六柱の神である。
- 左の髻(みづら)の玉を口に含み、左の手のひらに置く:勝速日天忍穂耳尊(かちはやひあめのおしほみみ)
- 右の髻の玉を口に含み、右の手のひらに置く:天穂日命
- 首にかけた玉を口に含み、左の腕に置く:天津彦根命
- 右の腕から:活津彦根命
- 左の足から:火之速日命(ひのはやひ)
- 右の足から:熊野忍蹈命またの名は熊野忍隅命(くまのおしくま)
第七段一書(三)では、まず素戔嗚尊の暴挙狼藉があり、それで日神が天石窟(あめのいはや)に籠る事となる。
天児屋命が先だって事を運び日神が外に戻り、素戔嗚尊は底根之國(そこつねのくに)に追われる事となる。そして、素戔嗚尊は「どうして我が姉上に会わずに、勝手に一人で去れるだろうか」と天に戻る。すると天鈿女命がこれを日神に報告し、二神で誓約が行われる。
誓約では「日神、先(ま)ず十握劒を囓(か)む。 云云(しかしか)」と略されているが、宗像三女神を生んでいる点に変更はなく、続いて素戔嗚尊はぐるぐると回しながら、その髻に巻いていた五百箇統之瓊(いほつみすまるのたま)の緒を解き、玉の音を揺り鳴らしながら天渟名井の水で濯ぎ浮かべた、とある。
そうしてその玉の端を噛んで以下六柱の神を生み出す。
- 左の玉を噛んで、左の手のひらに置く:正哉吾勝勝速日天忍穂根尊(まさかあかつかちはやひあめのおしほね)
- 右の玉を噛んで、右の手のひらに置く:天穂日命
- 次に天津彦根命
- 次に活目津彦根命
- 次に火速日命(ひのはやひ)
- 次に熊野大角命(くまのおほくま)
解説
古事記では天照大神(アマテラス)は、後に生まれた男神は自分の物から生まれたから自分の子として引き取り、先に生まれた女神は建速須佐之男命(スサノヲ)の物から生まれたから彼の子だと宣言した。建速須佐之男命は自分の心が潔白だから私の子は優しい女神だったといい、天照大神は彼を許した[4]。
日本書紀第一と第三の一書では男神なら勝ちとし、物実を交換せずに子を生んでいる。すなわち、天照大神は十拳剣から女神を生み、素戔嗚尊(スサノヲ)は自分の勾玉から男神を生んで彼が勝ったとする(第三の一書で、素戔嗚尊は六柱の男神を生んでいる)。第二の一書では、男神なら勝ちとしている他は『古事記』と同じだが、どちらをどちらの子としたかは記載がない。古事記と同様に物実の持ち主の子とするならば天照大神の勝ちとなる。第七段一書(三)では、筋立てが他とは異なり、思兼神が登場しない点が大きな特徴である。
また、日本全国にある天真名井神社、八王子神社などでは、宗像三女神と、王子五柱の男神を五男三女神として祀る。