大誉地駅
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大誉地駅(およちえき)は、北海道足寄郡足寄町大誉地本町20-11[1]にあった北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線の駅である。ふるさと銀河線廃線に伴い、2006年(平成18年)4月21日に廃駅となった。電報略号はオヨ。
駅名の由来はアイヌ語の「オヨチ(熊の害の多い所)」だと言われているが、現実には「オ・イ・オチ(川の近くに蛇の多いところ)」が有力。
駅構造
単式ホーム1面1線を有する地上駅。もとは島式ホーム1面2線を有する構造であったが1線が撤去され、この構造で廃駅を迎えた。
駅跡・周辺
駅舎は現存するが、線路や電線は撤去されている。国道から線路跡を挟んだ反対側に大誉地の集落があり、駅舎も集落側に位置する。
- Oyochi.JPG
2007年7月現在。線路、電線が残る。
- Oyochi station02.JPG
2009年7月現在。線路、電線は撤去。
歴史
1910年(明治43年)の池田-淕別間開業まもなく周辺の山から採石した石材搬出がこの地で盛んになり、本線上に貨車を停車して積込み作業を行っていたが、列車遅延の原因となっていたために当駅が開設された。1915年(大正4年)からは王子製紙により淕別の斗満川上流からの流送木材陸揚げ網羽が最寄りの利別川に設けられ、当駅土場まで馬車軌道が敷設されて木材の搬出が盛んな時期もあったが、1919年(大正8年)の洪水で被害を被ったために淕別駅土場へ切り替えられた。
- 1913年(大正2年)10月11日 - 国有鉄道の駅として開業。一般駅[2]。
- 1961年(昭和36年)4月1日 - 路線の呼称変更により[3]、池北線の駅となる。
- 1977年(昭和52年)4月28日 - 業務委託化[4]。貨物取扱い廃止。
- 1984年(昭和59年)2月1日 - 荷物取扱い廃止[5]。
- 1986年(昭和61年)11月1日 - 無人化。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により北海道旅客鉄道に継承。
- 1989年(平成元年)6月4日 - 経営移管により、北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線の駅となる[6][7]。
- 2006年(平成18年)4月21日 - ふるさと銀河線廃線により廃止。
隣の駅
脚注
参考文献
- 足寄町史 昭和48年発行
- 王子製紙山林事業史 昭和51年発行
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