塵劫記
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『改算塵劫記』。国立科学博物館の展示。
概要
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塵劫記顕彰碑(常寂光寺)
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塵劫記の、そろばん使用法を解説している頁
明の程大位の『テンプレート:仮リンク)</small>』にヒントを得て、1627年に吉田光由が執筆した。命数法や単位、掛け算九九などの基礎的な知識のほか、面積の求め方などの算術を身近な話題をもとに解説し、これ一冊で当時の日常生活に必要な算術全般をほぼ網羅できる内容となっている。
社会経済の発達に伴い、人々の生活にも基礎的な算術の素養が求められるようになってきた中で出版され、またこれに比肩するような類書がその後も出版されなかったことなどから、同書は版を重ね、江戸時代の数学書のベストセラーかつロングセラーとなった。また内容を多少変えた異本が多数出版され、明治時代に至るまで実に300-400種類の『塵劫記』が出版されたといわれている。
同書はまた江戸時代の多くの学者に影響を与えた。後に和算の大家となった関孝和や儒学者の貝原益軒なども、若いころ『塵劫記』で数学を独習していた。 また学者のみならず、懇切丁寧な説明と非常に多い挿絵のおかげで、民衆にも広く愛された。
書名の『塵劫記』は天竜寺の長老玄光がつけたものであり、蓋し塵劫来事糸毫不隔の句に基づく。法華経の「塵点劫」(この世の土を細かく砕いて粉にしたものを千の国を通るたびに一粒ずつ落としていき、その砂がなくなるまでに通る国の数のことで、数えきれないくらい大きな数のたとえ。法華経の「化城喩品」などにその記述がある)に由来しており、「(永遠に等しいほど)長い時間経っても変わることのない真理の書」という意味が込められているとする説もある。
1641年には『新篇塵劫記』という小型本を刊行。下巻に算術の道を志す者に対する12問の遺題を掲載し、その解法を期待した[1]。
参考文献
一次資料
二次資料
- 竹内均訳『地球物理学者竹内均の現代語版塵劫記』同文書院、1989年
- 佐藤健一『吉田光由の「塵劫記」 二十六条本の現代訳と変遷』研成社、1997年
- 佐藤健一『江戸のミリオンセラー「塵劫記」の魅力 吉田光由の発想』研成社、2000年
- 西田知己『「塵劫記」にまなぶ』研成社、2005年
- 西田知己『めざまし塵劫記 笑いと数の江戸文化』東洋書店 2009
- 和算研究所『日本語現代訳版「塵劫記」―校注付』
- 和算研究所『英訳版 JINKOKI(塵劫記)―原本影印付』