最高裁判所裁判官国民審査
テンプレート:Sidebar with heading backgrounds 最高裁判所裁判官国民審査(さいこうさいばんしょさいばんかんこくみんしんさ)は日本における最高裁判所裁判官を罷免するかどうかを国民が審査する制度である。
目次
概要
日本国憲法第79条第2項及び第3項と最高裁判所裁判官国民審査法に基づいている制度である。最高裁判所裁判官は、任命後初めて行われる衆議院議員総選挙の際に国民審査を受け、その後は審査から10年を経過した後に行われる衆議院総選挙の際に再審査を受け、その後も同様とすると定められている(日本国憲法第79条第2項)。
しかし、日本では諸外国と比べて司法に対する国民の関心が低い上、国民審査は必ず衆議院議員総選挙と同時に実施することと定められており、大手の新聞社やテレビ局は衆議院議員総選挙のニュースばかりを大きく報道していて、国民審査の扱いは極めて小さいため、国民審査は国民からほとんど注目されることがない。また、最高裁判所裁判官の定年は70歳であるのに対し、最高裁判所裁判官に任命される者はほとんどが60歳以上であるため、上記の日本国憲法第79条第2項の条件を満たして実際に国民審査の再審査を受けた最高裁判所裁判官は過去にわずか6人で、再審査を2度受けた裁判官は1人もおらず、後述の通り1963年を最後に国民審査の再審査は1度も行われていない。
日本国外からの評価事例として、アメリカ人で東京大学教授のダニエル・フットは、日本では市民の意向が国民審査によって反映される状況になっていないことを指摘している[1]。また、オランダ人ジャーナリストのカレル・ヴァン・ウォルフレンは、日本の社会に関する論説の中で、国民審査の制度について「この“直接民主主義”は純粋に儀式的な、そえ物」と表現している[2]。
歴史
アメリカのいくつかの州には日本の国民審査制度とよく似た制度が存在する。1930年代から制度の検討が始められ、1940年にミズーリ州で始められたものが最初とされるが、この審査制度はアメリカ合衆国最高裁判所の裁判官には適用されていない。
この制度が日本国憲法に導入された経緯については、不明な点も多い。もともとは太平洋戦争終了後に日本の行政を監視・統制していたGHQの提案により憲法改正案に導入されたものであるが、当時、憲法改正案を審議していた貴族院において、元大審院院長であり後に最高裁判所裁判官にもなった霜山精一議員は「(国民審査を導入すると)裁判官は罷免を恐れて良心から出る裁判に影響を来す。法律の判断は国民に容易に分かるものではないから、国民審査制度はぜひやめたい」と言って、国民審査の導入に強く反対した。この反対に対し、元東京帝国大学法学部長の山田三良議員は「(国民審査は)裁判官をして反省させるために必要である。民主化するに伴い、国民も裁判に関心を持ち、裁判の当否を批判する力を持つに至る」と反論し、最高裁判所裁判官の権力の乱用を防ぐ手段としての国民審査の必要性を訴えた[3]。また、GHQ側は貴族院に対し、国民審査を導入しないのであれば最高裁判所裁判官の任命をアメリカの場合と同じく国会同意人事にすべきであると主張したが[4]、それでは最高裁判所が国会の支配下に置かれることになり、司法の独立を阻害される結果を招きかねないとして、最終的には霜山も不本意ながら国民審査の導入を認めたとされる。
ただ、国民審査制度の実効性については提案したGHQ側も懐疑的だったらしく、GHQの司法担当だったアルフレッド・オプラーは1949年に書いた論文の中で、裁判官全員が信任された第1回国民審査の結果を踏まえて「最高裁の裁判官について多くの人が関心を持つようになることがあるのか、かなり疑問だ」と感想を述べ、「審査制度は裁判官の任命に関する実質的なチェックというより、国民主権の象徴的な制度と解釈したい」と記している[5]。
実施(投票)方法
- 通常
- 国民審査の投票用紙には、審査の対象となる裁判官全員の氏名が記されている(公示や投票用紙での裁判官の氏名の記載順序はくじ引きで決められる)。投票者は罷免すべきだと思う裁判官の氏名の上の欄に×印を記入し、それ以外は何も記入してはならない。×印以外の記号を投票用紙に記入した場合はその投票用紙は無効となり、「2人以上の裁判官の審査において×の記号を自ら記載したものでないもの」及び「裁判官の何人について×の記号を記載したかを確認し難い記載」はその記載のみが無効となる(最高裁判所裁判官国民審査法第22条)。
- 点字投票の場合
- 点字用の投票用紙は墨字で国民審査である旨を記す記述と選挙管理委員会の印影、そして点字で「コクミン シンサ」とだけ打たれた紙となっており、裁判官の氏名は書かれていない。投票者は罷免すべきだと思う裁判官をすべてフルネームで打つ(最高裁判所裁判官国民審査法第16条)。無論、すべての裁判官を罷免したい場合は相当な時間がかかることになるうえ、紙面が足りなくなる可能性もある[6]。
×印(または点字で書かれた氏名)を記入した票は「罷免を可とする票」と呼ばれ、罷免を可とする票が有効票数の過半数に達した裁判官は罷免される。ただし、その審査の投票率が100分の1(1%)未満であった場合には罷免されない(最高裁判所裁判官国民審査法第32条)。
何も記入しない票は「罷免を可としない票」と呼ばれる。「罷免を可としない票」「罷免を可とする票」は一般に「信任票」「不信任票」と呼ばれることが多いが、法律上は「信任」「不信任」という用語は使われていない(厳密には後述の通り、「罷免を可としない票」の中には積極的な信任票だけでなく多数の棄権票も含まれていると推測されるため)。
国民審査の告示は、衆議院議員総選挙の公示と同時に行われる。告示後には、有権者投票の判断材料の一つとして、審査の対象となる裁判官の経歴や主な裁判の判決(最高裁判決の少数意見を含む)を簡単に記載した『審査公報』が発行される。
国民審査が必ず衆議院議員総選挙と同時に行われるのは、司法に対する国民の関心が低い日本において国民審査を単独で行うと投票率が大幅に下がることが予想されるため、国民の大部分が参加する国政選挙と同時に国民審査を行うのが合理的と考えられたためとされる。一方、参議院議員通常選挙の際に国民審査を行わないのは、この制度が作られた当時の衆議院議員総選挙は中選挙区制で1票を投じるだけの選挙であったのに対し、参議院議員通常選挙は地方区と全国区の2票を投じる選挙で開票作業に時間がかかっていたため、参議院議員通常選挙の際に国民審査を行うのは合理的ではないと考えられたためとされる[7]。
投票用紙は右縦書きであるが、投票用紙の右側に記載されている裁判官の氏名の欄に×印を書かれる確率が高くなる傾向がある「順序効果」が統計的に指摘されている。そのため、審査を受ける裁判官たちは自分の氏名が投票用紙の右側に記載されることを嫌っており、投票用紙に記載される裁判官の氏名の順序は前述の通りくじ引きで決められることになっている。
これら国民審査の実施方法などについては、最高裁判所裁判官国民審査法で定められている。この他に裁判官を罷免する制度は日本国憲法第78条に基づく弾劾裁判の制度があるが、現在までに最高裁判所裁判官が弾劾裁判の対象とされた事例は1例も存在しない。
不信任率の地域差
一般に公表される国民審査の不信任率(罷免を可とする票の割合)は全国平均の結果であるが、この率は都道府県によって大きな差が生じる傾向がある。例えば、2003年に審査を受けた泉徳治の場合、不信任率の全国平均は7.3%であったが、最も高い県は沖縄県の13.5%、最も低い県は福井県の3.9%で、他の裁判官の審査においても同様の傾向であったという。沖縄県で不信任率が高いのは、戦争の記憶やアメリカ軍の基地の問題が背景にあり、裁判所や政府を含む日本の統治機構全体に対する不信感が強いためではないかと推測されている[8]。
ちなみに沖縄県はアメリカ軍の基地の問題を抱えている事情もあり、人口当たりの訴訟件数も全国一である。この他に不信任率の高い都道府県としては北海道と京都府があり、これら3つの都道府県は長年にわたって不信任率のトップ3を占めている[9]。しかし、とりわけアメリカ軍の基地の問題について、アメリカに有利な判決を出すことが多い日本の裁判所に対する沖縄県民の批判は根強く、沖縄県における国民審査の不信任率は第2位以下の都道府県を大きく引き離して常に第1位である。過去の国民審査において最も不信任率が高かった下田武三の審査の場合、不信任率の全国平均15.17%に対して、沖縄県における不信任率は39.5%であった[10]。
罷免された裁判官の処遇
国民審査で罷免された最高裁判所裁判官は、罷免の日から少なくとも5年間は最高裁判所裁判官に任命されることができない(最高裁判所国民審査法第35条の2)。
法曹資格がない者が最高裁判所裁判官に就任した場合は弁護士法第6条によって弁護士資格を得るが、国民審査で罷免されても、弁護士資格は剥奪されない[11]。
制度の問題点
裁判官の匿名性
最高裁判所は昭和27年(1952年)2月20日の大法廷判決において、国民審査の制度を「解職の制度」と見なす判断を示している。しかし、現在までに国民審査によって罷免された裁判官は1人もいない。日本国憲法79条第2項において、国民審査は衆議院議員総選挙(衆院選)と同時に行うことと定められている上、大手のマスコミは衆議院議員総選挙のニュースばかりを大きく報道していて、国民審査についての報道をすることは滅多にないため、国民審査の存在は衆議院議員総選挙のニュースの陰に隠れてほとんど注目されないのが現状である。もともと日本ではマスコミが最高裁判所裁判官についての報道をすること自体が稀であるため、日本の一般国民の大部分は最高裁判所裁判官の名前さえ知ることもなく、投票所で初めて裁判官の名前を知る国民も多いという。最高裁判所判事の経歴や実績が詳細に報道されるアメリカとは異なり[12][13][14][15] 、日本の最高裁判所裁判官についての報道は新聞の片隅に小さく掲載されるだけのベタ記事扱いであることが多く、前述の『審査公報』に掲載される裁判官の判決の情報でさえ、裁判官1人につき多くてもわずか5~6件程度で、判断材料が極めて少ない[16][15][17]。このため、国民審査の制度は完全に儀式化・形骸化していると言われるが、それでも国民審査は「伝家の宝刀」であり、存在することによって最高裁判所裁判官の権力の乱用を抑える一定の効果があるとする意見も強い。元貴族院議員の一人で国民審査の導入に尽くした前述の山田三良は生前、国民審査の制度を「裁判官に対する最後の統制手段たるレファレンダム(国民投票)制」と表現していた[3]。
最高裁判所による反対
国民審査による裁判官の解職は、罷免を可とする過半数の票のみで足り、罷免すべき理由が裁判官訴追委員会と裁判官弾劾裁判所の定める訴追事由に該当する「職務上義務に著しく違反した事由」「職務を甚だしく怠った事由」「裁判官としての威信を著しく失うべき非行があった事由」であるかどうかは一切問われない(罷免すべき理由は「自分の思想や政治信条に合わない判決」「一般国民の常識からかけ離れた事実認定による誤判」でもよく、極端な場合は「怖そうな顔の裁判官」などという裁判官の職務と関係のない理由でも罷免票になり得る)。この点において、国民審査の制度は衆議院による内閣不信任決議とよく似ていると言える。
しかし、常に選挙や内閣支持率調査などによる国民からの監視を受け、国民の意思に沿って行動することが絶えず求められる国会や内閣と異なり、多数派や権力者などの利害から離れ、憲法と良心に基づき独立して行動しなければならない裁判官に同じ制度を設けることには無理があるとする意見がある。「国民審査による罷免を恐れて、裁判官が多数派やそれを扇動する権力者に迎合してしまい、その結果、公正な裁判がなされなくなる可能性があるから、国民審査は廃止すべきである」などといった主張は、日本国憲法が施行された1947年当時から主に最高裁判所の関係者によってなされている(前述の霜山精一がその代表である)。
反面、例えば前述の通り、日本の裁判官たちはアメリカの政治的圧力を警戒して、アメリカ軍の基地の問題についてはアメリカに有利な判決を出す場合が多いなど、実際の裁判官たちは必ずしも「多数派や権力者などの利害から離れ、憲法と良心に基づき独立して行動している」とは言えない状態であることも事実であり[18]、そのような裁判官たちの不公正な権力行使を防ぐために国民審査は必要不可欠であるとする国民の反論も根強い(前述の山田三良がその代表である)。しかし、実際の国民審査は、前述の通り終始一貫して国民審査の廃止を求めている最高裁判所の意向が尊重され、後述の通りあらゆる点において国民に不利な方式で運用されているのが現状である。前述の通り霜山精一が最高裁判所の関係者を代表して国民審査の導入に反対した際、山田三良を除く貴族院議員の多くは霜山の意見に賛同していたとされる[3]。
ちなみに、前述の泉徳治は他の最高裁判所裁判官と同様に国民審査の廃止を希望しつつ、「最高裁のチェック機能を働かせたいなら、(国民審査よりも)裁判官の選考過程を透明化した方がよい。今は(最高裁判所裁判官の選考は全て非公開で行われているため)誰がどういう理由で選ばれたのか(国民には)分からない。(最高裁判所裁判官の選考については)有識者会議にはかる仕組みを作ったらどうだろうか」と発言している[8]。
棄権の権利の侵害
衆議院総選挙の際に、国民審査に関心がない、あるいは判断ができないといった理由で審査を棄権したい場合には、投票用紙を受け取らないか、受け取った場合でも用紙を返却することが可能であり、投票所にはその旨を記した注意書きが掲示されている。しかし、前述の『審査公報』にはそのような注意書きは一切記載されておらず、一般の有権者は投票所の注意書きを見ない限り、審査の棄権が可能であることを知ることはできない。また、衆議院総選挙と国民審査の投票所を取り仕切る選挙管理委員会の中には、有権者に国民審査の投票用紙を渡す際に「分からなかったら、そのまま何も書かずに(投票箱に)入れて下さい」と言い、何も事情を知らない有権者を故意に誘導して裁判官全員を“信任”させる職員がいるという報告が多数寄せられている[19][20]。この他、有権者が審査の棄権を申し出た際にその有権者の氏名を問い、メモをする職員がいるという報告もあり、秘密投票の権利を侵す行為ではないかと批判されている[20]。投票所によっては、有権者が審査の棄権を申し出た際に職員がこれを受け付けず、あくまでも白紙の票を入れるように指示され、その職員と言い争いになったという報告も複数寄せられている[21]。
国民審査の投票用紙には、×以外の記号を記入することは一切認められておらず、×以外の記号を1つでも記入すると、その投票用紙は丸ごと無効にされてしまう。また、何も記入しない票(罷免を可としない票)は投票者本人の信任・棄権の意思に関わらず、全て信任票として扱われてしまう。そのため、国民審査においては、特定の裁判官だけを審査して他の裁判官の審査を棄権することは事実上不可能となっている[22]。このような投票方式においては、何も記入しない票(罷免を可としない票)の中に積極的な信任票がどれだけ含まれているかを調べることは不可能であるにも関わらず、全国の選挙管理委員会を総括している総務省は国民審査において、何も記入しない票を全て信任票として扱い、×印を記入した票が有効票の過半数に達していない集計結果のみをもって「裁判官は全員が信任された」とする発表を毎回繰り返している。
そもそもこの投票方式は、国民審査制度を提案したアメリカではなく、アメリカと正反対の政治体制を構えていた旧ソ連の投票方式を採用したものであり、本来民主主義の制度である筈の国民審査の理念と相反する反民主主義の投票方式であると批判されている[23]。このような投票方式を不服とする国民の間では、信任票と棄権票の区別を明確にするため、裁判官を信任する場合には○印、罷免したい場合には×印を記入し、判断できない場合には何も記入しない方式に改めるべきとする意見が多いが[19][20]、最高裁判所は前述の昭和27年(1952年)2月20日の大法廷判決において、国民審査の制度は解職の制度であるから罷免を可とする票の数だけを明らかにすればよく、何も記入しない票は全て信任扱いしてよいなどとして、この意見を棄却した。それ以来、日本の政府は現在に至るまで上記の投票方式を改正することはなく、国民審査の制度は最高裁判所によって骨抜きにされた状態が続いていると批判されている[24][25]。
ちなみに、地方自治体のリコールにおいては、賛成欄又は反対欄に解職される公職の氏名を記載するか、解散される地方議会について賛成票か反対票を投じる仕組みになっており、何も記載しない票を反対票とする扱いはされていない。
期日前投票期間の差
また、期日前投票制度では衆議院総選挙の期日前投票は公示日の翌日から可能であるのに対して、国民審査の期日前投票は投票日の7日前からとされている。衆議院総選挙は公職選挙法第31条により投票日より12日以上前に公示することが定められているため、少なくとも4日間のタイムラグが生じることになる。このため、投票日より8日以上前には衆議院総選挙の期日前投票しかできず、国民審査の期日前投票を行うには投票日の7日前以降に改めて出直さなければならない。また、衆議院総選挙の在外投票は可能であるのに対し、国民審査の在外投票は認められていない。なお、2012年の第46回衆議院議員総選挙では、先に衆議院総選挙の期日前投票を済ませた有権者が国民審査の投票のため再度投票所を訪れた際に、投票所の職員がこの有権者に再び衆議院総選挙の投票用紙を渡して再度投票させるミスを犯した事例が報告されている[26]。また、衆議院総選挙と国民審査の期日前投票をするために多くの有権者が2回も投票所へ行かなければならない問題については、有権者のみならず選挙管理委員会の現場からも「事務手続きが増え、現場も苦労するのになぜ国は法改正をしないのか」などといった苦情が寄せられている[27]。
このように国民審査の期日前投票ができる期間が衆議院総選挙のそれよりも短いのは、手書きで候補者名や政党名を記入する選挙の投票用紙と違って国民審査の投票用紙には審査の対象となる裁判官の氏名まで印刷する必要があり、国民審査の告示日は衆議院総選挙の公示日と同日で、告示日に審査の対象となる裁判官が確定してから投票用紙の印刷を開始するので印刷作業に時間がかかるためであるなどと総務省は説明している。しかし、実際には衆議院の解散の時点で審査の対象となる裁判官はほぼ判明していること、実際の衆議院総選挙では衆議院の解散から総選挙の公示日(=国民審査の告示日)までに短くても8日間の時間の余裕がある上、審査の投票用紙は単に裁判官の氏名を列記してその上に×印を記入できる欄があるだけのシンプルなもので、実際の印刷作業は1日もあれば可能であると考えられること、また期日前投票の投票所は市役所や区役所やその支所などに限定されていることから、総務省がやる気さえあれば衆議院総選挙の公示日の翌日から国民審査の期日前投票を実施することは十分に可能ではないか(在外投票の問題についても同様)とする批判もある[20][27]。
再審査制度の実態
国民審査には建前上、再審査制度が存在するが、国民審査で一度信任された最高裁判所裁判官は日本国憲法第79条第2項の規定により、審査を受けた日から10年経過した後の衆議院総選挙まで再審査にかけられることはない。しかも、裁判所法第50条の規定により最高裁判所裁判官は70歳になると定年退官する決まりであるため、再審査を受けるには遅くとも50代で最高裁判所裁判官に就任しなければならない。これらの条件を満たし、実際に再審査を受けた最高裁判所裁判官は過去にわずか6人[28]で、1963年11月21日の入江俊郎の再審査が最後になっている。さらに、再審査を2度受けるには遅くとも40代で最高裁判所裁判官に就任しなければならないが、実際には史上最年少で最高裁判所裁判官に任命された前述の入江俊郎でさえ就任時の年齢は51歳であり、再審査を2度受けた最高裁判所裁判官は1人もいない。50代で最高裁判所裁判官に任命されたのは1964年1月16日就任の田中二郎が最後であり[29]、同年1月31日就任の松田二郎以降の最高裁判所裁判官は全て60歳以上で任命されているため、現在では再審査を受ける最高裁判所裁判官は皆無になっている。
このように、最高裁判所裁判官は、国民審査の再審査よりも前にほぼ全員が定年退官する制度が確立されているため、国民審査で一度信任された最高裁判所裁判官が、裁判官としてふさわしくないと国民から判断されるような行為を審査後に働いたり、またはそのような行為を過去に働いた事実が審査後に判明しても、その裁判官を再度審査にかけることはできない現状が続いている。具体的な例として、第2代最高裁判所長官の田中耕太郎は1959年12月16日の砂川事件の判決において、「かりに(アメリカ軍の)駐留が違憲であるとしても、在日米軍を対象とした刑事特別法はその事実を尊重し、これに適当な保護の途を講ずることは、立法政策上十分是認できる」などといった趣旨の個別意見を記載し、田中は1952年10月1日の国民審査で既に信任されていたため、少なくとも1962年10月2日以後までは田中を再審査にかけることはできず、しかも田中は1960年10月24日に定年退官したため、田中が再審査にかけられることはなかった。また、横尾和子は年金記録問題に絡んで、1994年から1996年まで在任していた社会保険庁長官としての責任を2007年に追及されたが、横尾は2003年11月9日の国民審査で既に信任されていたため、少なくとも2013年11月10日以後までは横尾を再審査にかけることはできず、しかも横尾は2011年4月13日に定年退官することが決まっていたため、年金記録問題の発覚後に横尾が改めて国民審査にかけられる可能性はなかった[30]。
審査の機会のタイミング
最高裁判所裁判官の就任直後に衆議院総選挙があると、その裁判官は最高裁判所裁判官としての実績がほとんどないため、判断材料の限られる状況で審査を受けることになってしまう。具体的な例として、林藤之輔は1986年6月13日に最高裁判所裁判官に就任し、24日目の7月6日に国民審査を受けている。
逆に、任命されてから退官するまでの間に衆議院総選挙が行われなかった場合には、その裁判官は実績の有無に関わらず国民審査を受けることはない。実際に国民審査を受けなかった最高裁判所裁判官は過去に2人存在する(就任後1年未満で依願退官した庄野理一と、就任後2年余で在任中に死去した穂積重遠)。最高裁判所裁判官が国民審査を受けることなく定年退官した例はまだないものの、衆議院総選挙後に66歳以上で最高裁判所裁判官に任命された者は次の衆議院総選挙が行われる前に70歳になって定年退官する可能性が有り得る。具体的な例として、2012年12月26日に定年退官した須藤正彦は、2009年の第45回衆議院議員総選挙後に67歳で就任し、退官直前の2012年12月16日に行われた第46回衆議院議員総選挙に伴って国民審査を受けたが、当時の衆議院の状況次第では第46回衆議院議員総選挙は2013年まで行われず、須藤は審査を受けないまま退官する可能性もあった[8]。
審査の実施機会や再審査制度の問題を改善するための課題
国民審査について、再審査の時期を最初の審査から10年以上後とする現在の規定を改正して、現職の最高裁判所裁判官全員を毎回審査できる制度を作るべきとする意見が提唱されている。また、国民審査(再審査を含む)を受けることなく退官する裁判官の発生を防ぐためには、国民審査の機会を衆議院総選挙だけに限定せず参議院議員通常選挙や憲法改正国民投票[31]の際にも審査できるようにしたり、場合によっては国民審査を衆議院総選挙や参議院通常選挙・憲法改正国民投票等の全国民が投票する機会以外でも単独で実施できるように制度を改正して、国民審査を実施できる機会を現状より多くする意見も提唱されている。
しかし、最高裁判所裁判官国民審査について上記の条件を改正するためには、日本国憲法第79条第2項の改正が必要不可欠であるとする見解が多数である(ただし、現行の審査が最低限度の規定であり、法令で別個の機会に審査の規定をすることは現憲法でも否定されないとの見解もある)。日本国憲法の条文を改正(憲法改正)をするには、衆議院と参議院の両院で総議員の3分の2以上による可決を経て国民投票で過半数の賛成を得なければならず、制度改正は容易ではない問題がある[31]。また、日本では諸外国と比べて司法に対する国民の関心が低いため、国民審査を衆議院総選挙から独立させて参議院通常選挙や憲法改正国民投票法等の全国民が投票する機会以外でも単独で実施すると投票率が現状よりも大幅に下がる可能性が指摘されている。
過去の国民審査
回 | 審査年月日 | 審査 人数 |
投票率 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 1949年(昭和24年)1月23日 | 14人 | ||
2 | 1952年(昭和27年)10月1日 | 5人 | ||
3 | 1955年(昭和30年)2月27日 | 1人 | ||
4 | 1958年(昭和33年)5月22日 | 5人 | ||
5 | 1960年(昭和35年)11月20日 | 8人 | ||
6 | 1963年(昭和38年)11月21日 | 9人 | 70.22% | |
7 | 1967年(昭和42年)1月29日 | 7人 | 72.53% | |
8 | 1969年(昭和44年)12月27日 | 4人 | 66.42% | |
9 | 1972年(昭和47年)12月10日 | 7人 | 67.61% | |
10 | 1976年(昭和51年)12月5日 | 10人 | 70.11% | |
11 | 1979年(昭和54年)10月7日 | 8人 | 65.67% | |
12 | 1980年(昭和55年)6月22日 | 12人 | 72.51% | |
13 | 1983年(昭和58年)12月18日 | 6人 | 66.39% | |
14 | 1986年(昭和61年)7月6日 | 10人 | 70.35% | |
15 | 1990年(平成2年)2月18日 | 8人 | 70.58% | |
16 | 1993年(平成5年)7月18日 | 9人 | 64.18% | |
17 | 1996年(平成8年)10月20日 | 9人 | 57.56% | |
18 | 2000年(平成12年)6月25日 | 9人 | 60.49% | |
19 | 2003年(平成15年)11月9日 | 9人 | 58.12% | |
20 | 2005年(平成17年)9月11日 | 6人 | 65.49% | 詳細 |
21 | 2009年(平成21年)8月30日 | 9人 | 66.82% | 詳細 |
22 | 2012年(平成24年)12月16日 | 10人 | 57.45% | 詳細 |
記録
歴代最高不信任率裁判官
位 | 裁判官 | 不信任票 | 総投票 | 不信任率 | 回(審査年月) |
---|---|---|---|---|---|
1 | 下田武三 | 6,895,134 | 45,440,230 | 15.17% | 9(1972年12月) |
2 | 谷口正孝 | 8,029,545 | 54,101,370 | 14.84% | 12(1980年6月) |
3 | 宮崎梧一 | 8,002,538 | 54,102,406 | 14.79% | 12(1980年6月) |
4 | 寺田治郎 | 7,913,660 | 54,103,156 | 14.62% | 12(1980年6月) |
5 | 岸盛一 | 6,631,339 | 45,440,344 | 14.59% | 9(1972年12月) |
6 | 伊藤正己 | 7,170,353 | 54,102,899 | 13.25% | 12(1980年6月) |
7 | 小川信雄 | 5,785,545 | 45,436,928 | 12.73% | 9(1972年12月) |
8 | 池田克 | 4,090,578 | 32,757,722 | 12.49% | 3(1955年2月) |
9 | 奥野久之 | 7,484,002 | 59,939,388 | 12.49% | 15(1990年2月) |
10 | 坂本吉勝 | 5,648,869 | 45,439,112 | 12.43% | 9(1972年12月) |
歴代最低不信任率裁判官[32]
位 | 裁判官 | 不信任票 | 総投票 | 不信任率 | 回(審査年月) |
---|---|---|---|---|---|
1 | 澤田竹治郎 | 1,212,678 | 30,212,180 | 4.01% | 1(1949年1月) |
2 | 藤田八郎 | 1,215,806 | 30,212,022 | 4.02% | 1(1949年1月) |
3 | 河村又介 | 1,238,613 | 30,258,827 | 4.09% | 1(1949年1月) |
4 | 真野毅 | 1,243,296 | 30,265,893 | 4.11% | 1(1949年1月) |
5 | 島保 | 1,258,729 | 30,264,042 | 4.16% | 1(1949年1月) |
6 | 塚崎直義 | 1,318,227 | 30,267,558 | 4.36% | 1(1949年1月) |
7 | 岩松三郎 | 1,324,119 | 30,264,396 | 4.38% | 1(1949年1月) |
8 | 長谷川太一郎 | 1,330,840 | 30,269,331 | 4.40% | 1(1949年1月) |
9 | 栗山茂 | 1,338,479 | 30,267,591 | 4.42% | 1(1949年1月) |
10 | 斎藤悠輔 | 1,362,595 | 30,260,902 | 4.50% | 1(1949年1月) |
脚注
- ↑ ダニエル・H・フット『名もない顔もない司法』、2007年、NTT出版、102~105,187~190ページなど
- ↑ カレル・ヴァン・ウォルフレン『日本/権力構造の謎』、1990年、早川書房、上巻 374ページ
- ↑ 3.0 3.1 3.2 読売新聞1996年1月22日記事『貴族院小委筆記要旨 現行憲法はいかに作られたか 占領下、揺れた制審議会』
- ↑ 当時のアメリカでは、最高裁判所の裁判官を任命する場合には上院全体の過半数の賛成による承認が必要とされていた(現在は3分の2以上の賛成が必要)。
- ↑ 朝日新聞平成21年(2009年)8月26日記事『国民審査 成り立ちは? 起源は米国 GHQが指導』
- ↑ 月刊・お好み書き 2009年11月号によると、東淀川市における2009年の国民審査の点字投票で9人全員の裁判官を実際に書ききれないケースが発生している。
- ↑ OKWave.『衆議院と最高裁との「不思議な」関係』。なお、現在は衆議院総選挙も小選挙区比例代表並立制が導入され、参議院通常選挙と同じく2票を投じる方式になっているため、衆議院総選挙も参議院通常選挙も開票作業にかかる時間はほぼ同じになっている。
- ↑ 8.0 8.1 8.2 朝日新聞2012年11月19日記事『最高裁10裁判官に国民審査 審査10日前の対象者も』
- ↑ 長峰超輝『サイコーですか?最高裁!』(光文社)ISBN 4334975313 P184
- ↑ 琉球新報1996年10月21日記事『県内は9人全員を3割超が不信任 最高裁判事国民審査』
- ↑ 弁護士資格を有する者が実際に弁護士としての活動をするには弁護士会に入る必要があるが、弁護士法第12条では「弁護士会の秩序若しくは信用を害するおそれがある者」を資格審査会の議決に基いて入会拒否にすることができると規定されており、国民審査で罷免された最高裁判所裁判官を弁護士として入会させるか否かは弁護士会の判断による。
- ↑ テンプレート:Harvnb
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ 15.0 15.1 テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Harvnb
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ 最高裁判所裁判官が実際に「裁判官の独立」を放棄して権力者と癒着し、権力者側の意向に従って不公正な裁判を行った具体例の1つとして、第2代最高裁判所長官の田中耕太郎は1959年に当時の駐日アメリカ大使および首席公使と政治的関係を結び、砂川事件の裁判においてアメリカに有利な判決を作成させる旨の密約を交わしていた上、他の最高裁判所判事たちに対しても判決文に少数意見を入れず全員一致の判決とするよう指示していた実態が判明している(NHKニュース(2013年4月8日放送分)『「司法権の独立揺るがす」資料見つかる』ほか)。また、田中はこの砂川事件の判決において、日本の裁判所は原則として憲法よりも行政の方針を尊重すべきであると見なす考え(統治行為論)を表明しており、日本の裁判所は現在もこの田中の考えに従って行政に都合の良い判決を出す場合が多いと批判されている(『砂川事件最高裁判決に於ける日米密談漏洩事件考』)。
- ↑ 19.0 19.1 江川紹子『最高裁裁判官の国民審査をどうする?』
- ↑ 20.0 20.1 20.2 20.3 江川紹子『最高裁裁判官国民審査の結果から見えてくること』
- ↑ 最高裁判所裁判官国民審査の『重要性』と、誰も教えてくれない『棄権の方法』
- ↑ 個別の裁判官に無効票を投じたい場合は、「×の記号を自ら記載したものでないもの」又は「裁判官の何人について×の記号を記載したかを確認し難い記載」に該当する行為をする必要があるが、国民審査の『審査公報』や投票所の注意書きには個別の裁判官に無効票を投じる方法についての記載は存在しない。
- ↑ 『地域と労働』第108号掲載「最高裁判所裁判官国民審査制度を考える」
- ↑ 日本民主法律家協会『第21回最高裁裁判官国民審査対象裁判官の横顔』
- ↑ 前述の通り、最高裁判所裁判官たちは国民審査自体を忌み嫌っており、彼らは国民審査の廃止さえ望んでいるため、国民審査の制度を国民に有利な方式に改正することに対しては全面的に反対の姿勢である。
- ↑ 【衆院選】1人で「2票」 選管ミス、群馬・安中市で二重投票 国民審査のみの男性に用紙再交付 - 2012年12月9日 MSN産経ニュース
- ↑ 27.0 27.1 信濃毎日新聞2005年9月1日記事『有権者から不満の声 国民審査の期日前投票4日以降』
- ↑ 1960年の小谷勝重・島保・河村又介・藤田八郎・斎藤悠輔と1963年の入江俊郎で、実際に再審査が行われたのはわずか2回のみである。
- ↑ ちなみに田中二郎は1967年1月29日に審査を受けた後、定年前の1973年3月31日に依願退官したが、田中が再審査を受ける日は早くても1977年1月30日以後(実際にこの日以後で初めて衆議院総選挙が行われたのは1979年10月7日)であり、仮に彼が定年の1976年7月13日まで最高裁判所裁判官を務めた場合でもやはり再審査を受ける可能性はなかった。
- ↑ なお、横尾本人は定年退官を待つことなく、責任の追及を受けた翌年の2008年9月10日に最高裁判所裁判官を依願退官した。
- ↑ 31.0 31.1 2013年現在、日本においては憲法改正国民投票は1度も実施されたことがない。
- ↑ 全員が第1回国民審査の対象となった裁判官である。