問寒別駅
問寒別駅(といかんべつえき)は、北海道(宗谷総合振興局)天塩郡幌延町字問寒別にある北海道旅客鉄道(JR北海道)宗谷本線の駅である。駅番号はW66。電報略号はトヒ。
歴史
- 1923年(大正12年)11月10日 - 国有鉄道天塩線誉平駅(現・天塩中川駅) - 当駅間延伸開通に伴い開業[1][2]。一般駅。
- 1924年(大正13年)6月25日 - 線路名を天塩南線に改称、それに伴い同線の駅となる[1]。
- 1925年(大正14年)7月20日 - 当駅 - 幌延駅間延伸開通に伴い中間駅となる[2]。
- 1926年(大正15年)9月25日 - 天塩南線と天塩北線を統合し線路名を天塩線に改称、それに伴い同線の駅となる[1]。
- 1930年(昭和5年)
- 1971年(昭和46年)6月1日 - 幌延町営軌道全線廃止[3]。
- 1982年(昭和57年)11月15日 - 貨物取扱い廃止。
- 1984年(昭和59年)
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR北海道に継承。
- 1980年代後半 - 1990年代前半 - 駅舎改築、貨車駅舎となる。
駅構造
単式ホーム1面1線を有する地上駅。ホームは線路の北東側(稚内方面に向かって右手側)に存在する[6]。分岐器を持たない棒線駅となっている[6]。かつては相対式ホーム2面2線を有する列車交換可能な交換駅であった[7]。当時は互いのホームは駅舎側ホーム中央部分と対向側ホーム北側を結んだ構内踏切で連絡した[7]。駅舎側(東側)が上下本線(共用)、対向側ホームが下り線となっていた(番線表示なし)[7]。そのほか対向側ホーム外側への副本線を1線有し[7]、また上下本線の旭川方から分岐し駅舎東側のホーム切欠き部分の貨物ホームへの貨物側線を1線とその途中から分岐した側線を1線有していた[7]。側線を含め交換設備運用廃止後は線路は撤去されたが、ホーム前後の線路は分岐器の名残で湾曲していた[6]。
無人駅となっている。駅舎は構内の北東側に位置しホーム中央部分に接している[6]。有人駅時代からの駅舎は改築され、ヨ3500形車掌車[8]を改造した貨車駅舎となっている[6]。旧駅舎の基礎の上に設置されている[9]。出入口には砕石で盛り土をした上にアスファルト敷きのスロープが新たに設置されている[9]。駅舎とは別棟でプレハブのトイレ棟を有する[9]。
駅の後方には鉄道林がある。
また以前は当駅から殖民軌道問寒別線(後の幌延町営軌道)が接続していた(1930年(昭和5年)9月10日開業、1971年(昭和46年)6月1日廃止)[3]。
駅名の由来
当駅の所在する地名より。地名は、アイヌ語の「トイ・カム・ペッ」(土の被さる川)に由来する[6][9][10]。
利用状況
駅周辺
- 北海道道583号上問寒問寒別停車場線
- 北海道道541号問寒別佐久停車場線
- 北海道道395号問寒別停車場下国府線
- 幌延町役場問寒別出張所
- 天塩警察署問寒別駐在所
- 問寒別郵便局
- 幌延町農業協同組合(JA幌延町)問寒別支所
- 幌延町立問寒別中学校
- 幌延町立問寒別小学校
- 北海道大学天塩研究林
- 天塩川
隣の駅
脚注
関連項目
外部リンク
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 書籍『JR・私鉄全線各駅停車1 北海道630駅』(小学館、1993年6月発行)179-180ページより。
- ↑ 2.0 2.1 書籍『日本鉄道旅行地図帳 全線全駅全廃線 1 北海道』(監修:今尾恵介、新潮社、2008年5月発行)47ページより。
- ↑ 3.0 3.1 3.2 書籍『日本鉄道旅行地図帳 全線全駅全廃線 1 北海道』(監修:今尾恵介、新潮社、2008年5月発行)49ページより。
- ↑ 書籍『北海道の鉄道』(著:田中和夫、北海道新聞社、2001年2月発行)231ページより。
- ↑ 書籍『無人駅探訪』(監修:西崎さいき、文芸社、2011年6月発行)149ページより。
- ↑ 6.0 6.1 6.2 6.3 6.4 6.5 6.6 書籍『JR・私鉄全線各駅停車1 北海道630駅』(小学館、1993年6月発行)149ページより。
- ↑ 7.0 7.1 7.2 7.3 7.4 7.5 書籍『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』(小学館、1983年7月発行)184ページより。
- ↑ 書籍『ダルマ駅へ行こう!』(著:笹田昌宏、小学館文庫、2007年5月発行)19ページより。
- ↑ 9.0 9.1 9.2 9.3 書籍『北海道鉄道駅大図鑑』(著:本久公洋、北海道新聞社、2008年8月発行)216ページより。
- ↑ 書籍『北海道の駅878ものがたり 駅名のルーツ探究』(監修:太田幸夫、富士コンテム、(2004年2月発行))123-124ページより。